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五味洋治のページです。主に韓国での北朝鮮関連報道を訳していますが、日本語で紹介されない記事を私の目でセレクトしています。私の執筆活動、経歴についても掲載しています。最近のお勧めは、北朝鮮の軍事関連報道です。日本のメディアが伝えていない細かなものまで拾っています。私がかつてここに書いた金正恩の性格分析は今も十分通用します。筆者へのご連絡はこちらをクリックしてください

2010年7月19日月曜日

金賢姫インタビュー 月刊朝鮮

大韓航空機爆発事件の金賢姫が明日日本に来る。

来たところで新しい情報はないと指摘されているが、どんな証言をするのだろうか。

ところで彼女は月刊朝鮮の6月号でインタビューに答えている。

とても長いのできれいに原稿を直すのは時間がかかる。おおざっぱなところで許していただきたい。

彼女の関心がどこにあるかが分かる内容だ。横田めぐみと田口八重子については生きていると強調しているが、具体的な説明はない。すでに北朝鮮を離れて23年だから、無理もない。

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KAL 858期爆破犯金賢姫氏 インタビュー
ポイント
KAL858期爆破犯金賢姫が話す私の人生と天安号沈没事件
金賢姫,“一部で23年目にせ物という私は‘生きているプロペラ’だ”
“哨戒艦沈没事件が今でも北仕業ないとの者ら,その場で自分の子供がそのように死んでもそういう話するか?”
◎ドストイェフスキの<罪と罰>読んで“私がこのように生きて呼吸していてもいいのか”とする考え持つことも
◎国家安保意識鼓吹ために最近国家情報院新入職員相手に12年ぶりに公開講演
◎ “北は証拠隠滅と逃げ腰戦略,南は国際協調と証拠獲得…哨戒艦沈没は23年前大韓航空機爆破事件と似ている”
◎ “23年前‘証拠隠滅ために(大韓航空機)爆破位置を海の上で選択した’という話(言葉)聞いた”
◎ “北,私をにせ物と宣伝して一部幹部らに私の写真が公開された後‘この女分かる’という人とても
たくさん出て当惑しながら,口封じ”


1987年11月29日、KAL858機がインド洋上空で爆破されて、乗客と乗務員115人全員が死亡した。
韓国政府は国際協調を通して、日本人ハチヤマユミに装った犯人金賢姫の身辺を確保したし、金正日の指令によるテロであることが確定した。

その事件後今まで23年目北朝鮮政権と韓国の一部左派団体は“証拠がない”、“金賢姫はにせ物”として韓国側の操作だと主張している。


2010年3月26日、大韓民国海軍哨戒艦哨戒艦沈没が西海ペクリョン島海上で沈没して、将兵40人が死亡して6人が失踪した。

韓国政府は多国籍民軍合同調査団を構成して、北韓製魚雷‘CHT-02D’の推進体など決定的証拠を確保したし、北朝鮮潜水艇の魚雷攻撃であることを確定した。

北朝鮮政権と韓国の一部左派団体は“北朝鮮の魚雷ではない”、“合調団発表に疑問点が多い”として操作だと主張している。

KAL858期爆破事件の‘決定的証拠’で‘生きている証拠’である金賢姫氏は今哨戒艦沈没爆沈事件をどのように見守っているだろうか。

去る6月1日、‘北風’と‘盧風’が入り乱れた地方選挙関連記事に‘KAL858機爆破事件’との単語が見られて、また彼女の考えが気がかりだった。
その瞬間記者の携帯電話ベルが鳴った。
‘02’で始まる発信番号を見た後電話を受けて、受話器向こう側で耳慣れた声が聞こえてきた。
“金記者、本当に○○です。”
携帯電話がない金賢姫氏の夫チョン氏は常に公衆電話で連絡をする。
住所地のソウルで投票をするために上がってきて安否の挨拶の電話をしたことだった。
先に連絡する方法がない記者は彼の声を聞く瞬間‘何か通じた’という感じがした。
8日後の6月9日、地方の一食堂で金賢姫氏に会うことができた。
昨年2月と6月<月刊朝鮮>インタビュー、3月日本人拉北被害者田口八重子氏の息子飯塚耕一郎氏との公開的な出逢いなど何回言論を通して、姿を表わしたが、質問紙をあらかじめ伝達するなど事前協議下に単独で正式インタビューをしたことは国内言論としては潜伏以後今回が初めてだ。

北では‘1号’代わりに‘1番’はるかに多く使って
去る5月20日民軍合同調査団が公開した魚雷推進体とモーター.
KAL858機爆破事件の犯人で‘決定的証拠'の金賢姫氏は自身を'生きているプロペラ’と表現した。
“哨戒艦沈没事件とKAL858機爆破事件、23年の間隙をおいた二事件は犯人、被害者、犯行方式、証拠確保など色々な姿であまりにも似ています。
事件が起きるやいなや韓国政府が国際協調を推進したし、決定的な証拠を発見して、真実が明らかになりましたよ。
北朝鮮はずっと逃げ腰をしていてよ。”
哨戒艦沈没事件に対する考えを尋ねて、金氏は23年前‘悪夢’をまた引き出しながら苦しい心情を吐露し始めた。
1997年12月安全企画部職員だったチョン氏と結婚した後、世の中と距離をおいたまま平凡な妻で暗そうとしたが、左派政権と放送言論は彼らをそのままに放置していなかった。

<月刊朝鮮>のスクープ報道後、ある程度平穏を取り戻したようにみえたが、哨戒艦沈没事件が起きながら、また23年前事件が取りざたされるようになったのだ。

ー世論調査によれば、哨戒艦沈没事件に対する政府の発表を国民の25~30%が信頼しないでいます。
米国が調査結果に対して‘驚嘆’の表現まで使ったのと相反する。理由が何であると考えますか。

“私を一言で表現すれば‘生きているプロペラ’です。
唯一生き残ったし、決定的な証拠になりましたよ。
北朝鮮の仕業であることを立証する証拠がはえ縄漁業の漁船の網にかかって上がってきたのに、従北勢力は相変らず操作を主張します。
彼らには真実が重要でありません。
むしろ‘北朝鮮が行った’という真実が恐ろしくて嫌いなことでしょう。
自分の家息子が合って死んだのに、加害者を糾弾する代わりに家兄弟どうし戦う人が世の中にどこにいますか。
また加害者はそのように保護しようとしてよ。
その人々が本当に大韓民国国民なのか気になります。
常識的に理解ができないです。

去る6月13日、参加連帯は国連安全保障理事会議長と理事国に“韓国政府の調査に疑惑が多いから安保理対北朝鮮制裁に慎重を期してくれ”という書簡を送った。
国連安全保障理事会を対象にした韓国民軍合同調査団の‘哨戒艦沈没事件調査ブリーフィング’を一日控えて起きたことだ。
議長国のメキシコは今まで安保理議論でNGOの資料を回覧したことがないと明確にしたが、相変らず曖昧な立場を見せる中国とロシアの対応にある程度影響をおよぼすと展望される。

哨戒艦沈没事件調査結果発表に疑惑を提起する人々が楽しんで、引用するのが魚雷推進軸に記されていた‘1番’という文字だ。
北朝鮮では‘1番’という用語を使わないということだ。
金大中・盧武鉉政府時期に統一部長官を過ごした丁世鉉氏がそのような主張をした。

チョン氏は“北朝鮮では1番、2番という日本式単語を使わない”とした。
1962年に北朝鮮で生まれて、1987年まで、25年間北朝鮮で住んだ金賢姫氏に尋ねた。
ー北朝鮮では本当に‘1番’代わりに‘1号’という言葉を使いますか。
‘号’は特殊な場合に使うのに、例えば‘1号行事’といえば金日成が参加する行事、‘1号通訳’は金日成の通訳を称する言葉です。
招待所も‘2号’等で使います。
だがその他に学習する時、列をつくる時、など普段には‘1番’ ‘2番’をはるかに自然に使います。”

金正日指示なしでなされた可能性は0%

金賢姫氏は哨戒艦沈没攻撃が金正日指示なしでなされた可能性は絶対無いと主張した。
写真は去る6月5日朝鮮中央通信を通して、姿を表わした金正日.
北朝鮮国防委員会は去る5月28日記者会見を持って“北では光明星1号など‘号’という表現を使うだろう‘儲けた’という表現は使わない”として“‘番’という表現はサッカー選手やバスケット選手のような体育選手にだけ使う”と主張した。

ーところでなぜ北朝鮮は直接記者会見をしながらも‘番’を使わないと釈明したでしょう。
“23年前も今も全く同じです。
KAL858機をテロしてもしなかったと最後まで言い逃れるでしょう。
北朝鮮は今でも私をにせ物と主張します。
証拠を隠滅しようとするんです。
ひとまず問題を起こしておいてしなかったとごり押しをすればできるものと思います。
今回の事件を見守りながら‘北朝鮮手法が本当に一つも変わらなかったんだなあ’とするかける感じました。
考える水準でも言い逃れる方法、変わったのが一つもありません。
今後も変わらないことです。
金正日は最後まで自身の犯行を認めないことです。”
ー哨戒艦沈没攻撃が金正日の指示なしでなされた可能性がありますか。
“北朝鮮でこのように大きい件を金正日が知らないようにすることは決してありません。
ささいなことまでも承認があってこそ実行になります。
もちろんこれを企画して戦略・戦術をたてて、訓練したことは偵察総局や軍であったでしょう。
だが最終報告は明確に金正日に行ったでしょう。”
ー極秘裏に実施された哨戒艦沈没攻撃の場合、金正日がその日夜韓国TVを見て作戦の成功を分かったと推定しています。

KAL858機爆破の時も北朝鮮に別に報告しなかったでしょうね。

“報告どころか私どもも成功有無を分からなかったんですよ。
ひとまず(爆弾を)置いてはおりたのに、これがさく烈したのかさく烈しなかったのか知らないでしょう。
韓国大使館員がホテルに訪ねてきて、航空機が失踪したという話をした時、成功したということを分かりましたよ。
もちろんその次に脱出が問題でもあったが。
爆破事件直後北朝鮮労働新聞が‘真弓、シンイチとは日本人を打ち出して、韓国がKAL858機を爆破する自作劇を繰り広げておいて北朝鮮におっかぶせる’としたそうです。
そして幹部らを対象には自作劇であることを宣伝するために自分の写真が少しの間出てくる資料も返したといいます。
ところでその写真が問題になったことでしょう。
幹部らだけ見せたのに私を分かるという人がとてもたくさん出たせいで保衛部と党が口止めするのにひどい目にあったといいます。
にせ物と宣伝しようとしたのがむしろ本物であることを立証したもようになりましたよ。”
ー去る3月哨戒艦沈没事件報道を初めて接した瞬間北朝鮮の仕業という直感がありましたか。
“100%ではないが、北朝鮮仕業である確率がかなり高いという感覚がありました。
どうしても言論を通して伝えられた情報は限定されているから確信することはできなかったんですよ。
ところで事件現場が海と心にたくさんかかりました。
23年前にも‘確実な証拠隠滅のために(大韓航空機)爆破位置を海の上で選択した’という話を聞きましたよ。
深い海で機体を抜かして、痕跡をなくそうとしましたよ。
今回の天安号の沈没は、潜水艦で接近、魚雷で攻撃して、証拠をなくそうとしましたし。手法がそのままです。”

“‘テロ指揮部は必ず打撃にあう’という事実刻印させてこそ”
小説<背後>を書いたソ氏は今でも疑惑が解消されなかったと主張する。
1987年12月金賢姫氏がバーレーン空港で自殺に成功したとすれば彼らの偽造パスポート上国家の日本と韓国は大きい混乱を迎えただろう。
‘決定的証拠’がない状況で国内では反日・反米デモが相次いで、左派団体は‘北風’と‘自作劇’を主張した可能性が大きい。

金正日のKAL858機爆破目的のとおり‘ソウルオリンピックと二つの北朝鮮策動が粉砕されたこと’だ。
金氏は哨戒艦沈没事件も‘決定的証拠’の獲得が何より大きい役割をしたと分析した。
もし魚雷推進体を探せなかったとすれば、左派団体の造作説がより大きい力を発揮して、韓国が正しくなされた対応をするのは難しかったとのことだ。

ー北朝鮮が哨戒艦沈没を攻撃した理由が何でしょうか。
“10年の間米と肥料をはじめとして、資金まで供給を受けて現政権が入りながら、急に切れるから‘一発やってやろう’。これでしょう。
また北朝鮮内部的には貨幣改革失敗後経済が難しくなって、民心が離反されたうえに後継者問題まで明るみにでた状況で結束のために攻撃したことだよ。
一言で北朝鮮が李明博政権を侮ってみたと見ます。
率直に最近安保に対してちょっと疎かにしたことは事実ではないですか。
実用政府の盲点でしょう。”
ー事件直後大統領府と政府は“北朝鮮の特異動向がない”として海難事件と同じ発表をしましたが。
苦しい考えは聞かなかったのですか。

“政府の立場も理解はなります。
大統領も苦心をしたようです。
まだ正確に糾明にならなかったからそのようにしたでしょう。
苦しかったが、結局確実な証拠が出てきて幸いだと考えました。
そして今までの結果よりは今後の対策がさらに重要だと考えます。
言葉だけ言うことよりは行動と実践がなければなりません。”
ーどんな対応策が必要だと見ますか。
“‘北朝鮮がこういうテロを行えば、その指導部が打撃にあう’という事実をはっきりと刻印させなければなりません。
そのまま通り過ぎれば絶対だめです。
テロには断固たる立場を見せてこそ再発を防げます。
イ大統領がこの前‘戦争を恐れることもないが、戦争を願うものでもない’といいましたが、もちろん合う言葉です。
私たち皆戦争を望みはしません。
だが北朝鮮には‘私たちが戦争を恐れることも望むこともないが、実際に必要ならばして勝つ’という意志を強く見せなければなりません。
それが本当に戦争を防止する方法だと見ます。”
金氏はまた“哨戒艦沈没攻撃は北朝鮮がどんな国かという事に対する警鐘を鳴らした事件”としながら“哨戒艦沈没死亡・失踪者らの犠牲が無駄にならないように国民と軍が緩んだ安保を新しく振り返る契機にしなければならない”とした。

北、23年前には在日スパイを動員して、扇動、今はインターネットで簡単に対南工作

“去る10年の間安保意識がめちゃくちゃになったのではないですか。
国民全体が武装解除されて、安保機関の士気も落ちたし、スパイとその同調勢力らは陰地で日の当る場所に出てきたし….
事実上国家が親北勢力を養成したもようになりましたよ。
彼らが社会所々で大韓民国を反対して引き降ろしています。
外部の敵も重要だが、内部の敵がさらに恐ろしいです。
いくら表面が正常な良い家でも住めば何がありますか。

中にはネズミが穴をあけて柱をみなかじって食べているんですが。
中にずっと食い荒らす勢力ら、すなわち内部の敵に対する断固たる対処意志を持たなければなりません。”

ー国家立場で‘内部の敵’はどのように対応するべきだと見ますか。
“原則通りすれば良いです。
大韓民国は法と原則がある国ではないですか。
自由を保障するものの法の枠の中で、破った時は断固として処理するものです。
度々見てやるから問題が大きくなるんです。
この頃は特に北朝鮮が対南工作でインターネットをたくさん活用するようです。

私が北にある時だけでも主に国内定着スパイや日本など第三国を通して、指示して、傘下団体で主要人物を抱き込んで、同調勢力を作って、宣伝する方式であったのに、この頃はインターネットがあるのではるかにやさしいようです。
他の見方をすれば北朝鮮がインターネットを適切に利用しているわけでしょう。”
金賢姫氏と彼の家族は2003年11月家を出た後みすぼらしい1部屋で7年目住んでいる。
電話もなくて、コンピュータもない。
冬には水がよく出てこなくて、洗濯を終日しなければならなくて、夜にはハツカネズミとゴキブリが歩き回って良く眠れなくなければならない。
彼らが正しくなされた生活を送れる方法はただ一つ、左派政権時期金賢姫氏をにせ物とするために蛮行を犯した国家情報院と政府の誤りを現在の国家情報院と政府が認めて公式謝ることだけだ。

MBCなどの疑惑提起後7年間‘避難’生活

左派政権当時MBCとKBSなど放送会社らが疑惑を提起して、左派団体らはこれを根拠で扇動を始めた。
国家情報院過去事件真実糾明を通した発展委員会(過去の歴史委)は金賢姫氏を調べると圧迫した。
最高保安を維持しなければならない金氏の家に放送会社カメラマンが押しかけたし、金氏と夫は幼い子供を背負って避けて身を守らなければならなかった。
2年目がちょうど過ぎた頃、そのように家を出ていつのまにか7年目だ。
記者も当時金賢姫氏を取材するためにいろいろな所をうわさをたよりに捜しておいた状態であった。
金氏の知り合いが住むというソウル、舎堂洞付近を隅々までおとしながら、聞き込みして、その知り合いの家を探したがその知り合いはすでに死亡したし家族らは移った後であった。
国家情報院と政府部署の主要人物に金氏の所在を知らせてくれとお願いしたが、いつも返事は“絶対言ってくれない”であった。
だが盧武鉉政権の放送会社らは彼の家を簡単に捜し出したのだ。
記者は後日、当時金賢姫氏を追跡した報道機関の中で情報機関から金氏の住所地を受けたところがあるという事実を確認することができた。

裁判所の3審、国家情報院の‘4審’、真実和解委の‘5審’を受けた金氏は2008年末<月刊朝鮮>を通して公開された手紙で国家情報院の‘公式謝罪’を要求したが、国家情報院は1年半不答だ。

“私や私たちの家族のためにこのように闘争するのではありません。
個人的安楽を望んだならば、そのまま去る政府でしようというままみなしたでしょう。
にせ物がなろうがなるまいが安全で安らかに暮らすのが先にだったでしょう。
去る7年の間‘避難’生活は本当に難しかったが、かろうじて守っています。”
ー本来家にはいつ頃帰るのですか。
“そうですね。
ひとまず闘争は継続する計画です。
去る政府と国家情報院で間違ったのがあれば反省して謝れば良いです。
今はっきりとしなければ、政権変わればまた6審に7審まで継続するでしょう。
北朝鮮とその同調勢力は自分らが願う返事を勝ち取るために最後まで私を困らせるでしょう。
真実は大きく重要でないでしょう。
なぜこのように過去にずっと縛られていなければなりませんか。
国家情報院も謝罪を通してさっさと振り払って前に進むべきではないでしょうか。”

7年目インターネットと電話使用できなくて、PC喫茶店で資料収集

過去の歴史委は調査を通して、金氏の存在を最終確認したが、KAL858機造作説を主張する人々は立場を変えなかった。
金氏は‘KAL858機真相究明市民対策委員会(対策委)’で最も活発な疑惑提起をしてきた‘核心4人衆’で神童陣作家、ソ賢筆作家、シン・ソングク神父、シム・ジェファン弁護士を選んだ。

彼らは小説と放送インタビュー等を通して“金賢姫は北朝鮮工作員ではなくて、KAL858機は失踪した”という内容の主張を数年の間してきた。
対策委は“潜伏した金賢姫を29万ウォンに現象手配する”として全斗煥前大統領の自宅近隣で集会を持って手配ビラを直接作って、配布することもした。

2007年国家情報院過去の歴史委が操作がなかったという調査結果を発表したが、謝罪をひとりはただ1人もない。

国家情報院過去の歴史委は再調査過程で金賢姫氏に対する直接調査を絶えず要求したし、2006年7月には直接臨時居住地まで訪ねてきて、夫チョン氏に“金賢姫を調べにきたので応じてくれ”と要請した。
これにチョン氏は“‘KAL858機事件捜査は一点恥ない’と話した国家情報院へ向かって‘それでは99点の恥がある’として皮肉った人を調査官で採用した国家情報院は本当に自尊心もないか”として促した。

この話を聞いた国家情報院職員は厳かな表情で背を向けたという。
ー2008年公開された手紙を見れば、左派団体のインターネットを通した攻撃内容を具体的に叙述して反論しました。

爆破事件当時状況は本人の記憶と資料があるだろうが、その以後の内容は資料調査が必要だったと思いますが。

インターネットと電話がないばかりか活動まで自由でない状況でどのように手紙を作成したのですか。

“その間関連内容が新聞に載ってくれば切り取って、きちんと集めておきました。

それがひとまず役立つように使われたし、残りコンピュータやインターネットが必要な部分は夫が一人でPC喫茶店に行って収集をしましたよ。
四方が壁で囲まれた劣悪な環境で頭をぶつからなければならない状況でした。”
黄長燁暗殺試み事件後警護人材増強

金氏が携帯電話を使わないのは2004年亡命勧誘事件のためだ。
MBCが家の前に押しかけた後家から出た金氏はある日携帯電話音声(陰性)メッセージハムで受賞した声を聞いた。
自身をNHK記者と明らかにした声の主人公は“身辺上安全とすべての条件を保障するから日本に亡命しなさい”という内容を録音して、音声で残したし、これを怪しく思った夫チョン氏は内容を違ったところに録音しておいた。
チョン氏の説明だ。
“あの他には誰も知らない電話番号で音声メッセージを残すのです。
私どもの情報を知ろうとする逆攻勢作という感じがさっと来ました。
4年後の2008年にNHKに接触して、記者の存在は確認したのに、どのように音声メッセージを残したのかは明確ではありません。”
怪しいことはずっと起きた。
2003年ある日の朝、金氏が生きるアパートに牛乳が一つ配達された。
販促用だったら連絡先や申請方法があるべきなのに、そのような内容なしで牛乳だけぽつんと門の前にあった。
少し後牛乳は消えたし、夫チョン氏はアパート消毒をするおばさんに“アパートにこういう牛乳が配達されたことがあるか”と尋ねた。
返事は“2日の間アパート全体を消毒したのに見たことがない”とのことだった。
以後家で追われるように出てきては警察担当係長にその話をしよう“今は新聞もむやみに繰り広げてみずに牛乳もむやみに飲むな”とした。
去る4月‘黄長燁暗殺組’検挙以後、警察は黄氏に対する警護を最高段階で格上げした。
専門担当チーム人員補強と共に24時間近接警護が強化された中で、去る5月5027等軍事機密を流出した疑惑で捕まった‘黒金星’パクチェソシも黄長燁所在把握任務を引き受けたことで最近捜査結果明らかになった。
これによって金賢姫氏に対する警護も強化されて、3組で運営された警護人員が大幅増強されたという。

ー最近新しい身辺威嚇はなかったのですか。

“直接的にはなかったです。
ところで警察側ではたくさん気になるようです。
(黄長燁暗殺組事件の時)ソウルと地方庁で人が何度(か)来て行ってしました。
北朝鮮内部の住民たち動揺が激しいらしいです。
恐れるんです。
恐ろしいから暗殺までしようとすることではないでしょうか。
私は大きく心配しないでいます。

北朝鮮がもし私を暗殺したら、それ自体で私の正体と自身(金正日)の犯行を認めることになることではないですか。
また私は毒薬アンプルを破った時、すでに一度死んだからだです。
暗殺威嚇は恐ろしくありません。”

ー最近相次いでスパイが検挙されているんですが。

“その間とても緩んでいましたよ。
将軍によって、軍事機密がちょうど通り過ぎて、安保がめちゃくちゃ違いましたか。
国が何かこの格好ですか。
この頃国家情報院や政府機関が安保の重要性を悟って本来の任務を熱心に遂行するようなことはします。
だがまだ明らかにならないのも多くて、あちこちで正体を表わさないまま活動する彼らも多いと見ます。
確実な安保意識と国家観を持って対処しなければなりません。”
国家情報院新入教育で直接講演

ー彼らを通して、5027内容は北朝鮮である程度価値がある情報ですか。

“北朝鮮工作員立場で軍事機密は本当に最高級情報です。
私は工作訓練を受ける当時主に日本侵入を目的に教育を受けました。
それでもひとまず最も重要な情報は韓国の情報、そのうちでも軍事情報と習いました。
私を担当した人々も常に話しました。
韓国の軍事情報一つだけ持ってくれば最高と。
私どもの国際パートもその程度なのに、他のパートはさぞかし大変でしょうか。
私が習った対南工作員の任務は簡単です。
韓国内情報、特に軍事情報を収集して、同調勢力を抱き込んで、韓国を瓦解させて、葛藤を呼び起こせと教育を受けました。”

ー工作員訓練を受けた当時、潜水艦攻撃に対して聞いたり目撃したのがありますか。

“分野が違ったので、別に聞いたのはありません。
ただし侵入のために必要だということは分かりました。
日本担当の私がもし偽造旅券などを利用して‘合法的’ルートで侵入する場合には大きい関係がないが、‘反合法的’方法で入る時は潜水艇でも船に乗って近海まで寄りついて、水泳をして侵入すると教育を受けました。
またこれを備えて、海で1km程を一度に行く基本水泳訓練を受けました。
もちろん任務が落ちたとすれば高強度の特殊訓練を受けたでしょう。”
どれくらい時間が過ぎたのだろうか。
金氏は水一杯飲まないまま長い対話を続けさせた。
食卓の上に整えられた果物皿はすでに空になって久しかった。
すぐそばTVではナロ号2次発射が消防設備問題によって次の日に延期になったという速報が出てきていた。
人工衛星一つ作れなかった国が韓国発射体に挑戦するまで長い間の時間が流れたが、金氏周辺の環境は大きく変わらなそうに見えた。
金氏は去る4月末国家情報院新入職員を対象に講演をした。
結婚後12年ぶりに初めての講演だった。


ー12年ぶりにしてみるので以前とどのように違うかです。

“久しぶりにして緊張もなって、感慨も新しかったです。
ところで今回講義を聞いた国家情報院職員等を見るのでKAL858機事件当時2~3才程度と全くこの事件に対して知らなかったんですよ。
一度はするべきだとの義務感もあったし、ちょうど教育次元で講演をしてくれという要請が入ってきて、以前訓練過程と事件に対してとりとめなく話してきました。”


ー韓国の若者たちがKAL858機爆破事件だけでなく朝鮮戦争に対してもよく知らないといいます。

北朝鮮では朝鮮戦争に対してどんな教育を受けましたか。
“こちらよりははるかに多くの教育を受けました。
教育方式自体が違います。
幼いころから教科書に出てくる内容大部分が戦争に関するです。
今日は何の高地戦闘、明日はまた何の高地戦闘といって、教科書をいっぱい満たしています。
例えば‘1211高地戦闘に対し’こういう主題が国語教科書に出てくると見られれば良いです。
またあちこちに戦争記念館を大きく作り、黄海道、新川に博物館があるのに1年に一度は必ず訪ねて行きます。

米軍が良民を無惨に虐殺する場面を展示しておいたのを韓国学生たちが修学旅行行くように団体で行ってみます。
毎年6月25日になれば決起集いもして、米軍糾弾大会と討論会もします。
米軍、日帝、南朝鮮に対する敵がい心を呼び起こすのが日常になりましたよ。”
“金正日や金日成でも…”

ー当然北侵略だと教育を受けたでしょう。

“北侵略を受けたのに金日成がよく指揮して、解放戦争を率いたと習います。
ところで韓国にきて、安全企画部の人々が北侵略でなく南への侵略といって、大きい衝撃を受けた思い出します。
それでまた顧みるので、幼い時授業を聞く時‘米軍が週末にパーティーをして夜明けに侵攻をした’という(のは)話を聞いたのに少し変という感じがしたことがありました。
攻撃をしようとするなら万全の準備をするべきなのに、パーティーをするのが理解できなかったんですよ。
ところでそういうのを感じてもだめな所が北朝鮮であるからそのまま通り過ぎてしまいました。”

ー国家情報院新入職員だけでなく韓国の若者たちのために安保意識と関連してしたい言葉はありませんか。

“私どもが今までこのように闘争する理由はこの国の安保を守るためです。
安保は誰がただであげるのではありません。
お金を与えて生きるということはより一層違ってよ。
自身と家族、描いて国は自ら守らなければなりません。
今回のように一度当てられるとその時だけ強調するのではなく、普段に精神武装を丹念にしなければなりません。

北朝鮮は住民が飢えて死ぬ状況でも意識教育を徹底させます。
もちろんそれが正しい方法ではないが、少なくとも北朝鮮に対する対応は徹底するようにしなければなりません。
そしてこの国がどれくらい偉大なのか、また自由がどれくらい大切なのかをたくさん考えたらいいですね。”

インタビューをした6月9日は北朝鮮の朴南基労働党ジェジョン部長とキム・テヨン労働党ジェジョン副部長が去る3月共に公開処刑にあったことが言論を通して確認された日だった。

ちょうど新聞1面に私は銃殺記事を見た金氏は“この頃は北脱出者らが伝える便りが本当にはやくて正確になったようだ”とした。

ー該当記事によれば幹部不正清算のための大々的な監察が始まって、幹部らの間で‘金日成ブーム’が起きていて、金正日
に対する反感が大きくなっているといいます。

“金日成に対する偶像化作業があまりにもかなり以前から進行されて‘神’のような存在でされているでしょう。
それに(彼に)(ほれる)反して、金正日は若いころから苦労知らずに育ったうえに今の状況が良くないからたくさん揺れるようです。”

ー北脱出者中にも金正日に対する反感は大きいのに(ほれる)反して、金日成に対する郷愁は残っている彼らがたびたびいたんですよ。

金日成に対する個人的評価をすればどうですか。
“みな全く同じです何….
金正日でも、金日成でも。”
日政権交替で訪日計画延期
話(言葉)を習い始める時から‘金日成元帥様ありがとうございます’を叫んだし、金日成肖像画の前では自ずから頭を下げた高級出身成分の北朝鮮工作員はもう金正日と金日成に対して別に言及することさえ面倒で嫌いな人になった。
北朝鮮で受けた工作員教育が韓国にきて、転向した後、大韓民国のための忠誠心に変わったということがより一層説得力あるように見えた。

ー先週末新聞で金ジョンナムが登場したインタビュー記事は見ましたか。

“新聞には見られないでTVに出てきたことだけ見ました。”
去る6月6日、<中央サンデー>はマカオに滞留中である金正日の長男金ジョンナムに会って、少しの間インタビューしたし、3日後には金正哲とキム・ジョンウンの新しい写真が言論を通して公開された。

ー以前北朝鮮にある時、金ジョンナムや正哲、ジョンウンに対して聞いてみたことがありますか。

“その時は全く聞いてみられませんでした。
金正日の息子が何人なのかも知らなかったんですってば。
ただし誰が舞踊俳優と結婚したという話を聞いたようです。
その時真っ最中幹部らの間で若い息子らが舞踊俳優と結婚をしようとするブームが起きました。
一時流行のように過ぎ去りましたよ。”


4月末韓国を訪問して、政府関係者と金賢姫氏訪日問題を協議すると発表された中井洽公安委員長兼拉致問題担当相は‘黄長燁暗殺組’等北朝鮮スパイの威嚇と哨戒艦沈没事態などにより韓国政府が金氏の訪日に対して慎重な姿勢を見せていると明らかにした。

その間有力に提起されてきた‘5月中訪日説’が一端留保されたのだ。
金氏は昨年11月20日日本の公営放送のNHKとのインタビューで“北へ拉致された横田メグミを北朝鮮で会った”としたし、以後日本側はメグミ家族との出逢いを積極的に推進していた。

両国政府、韓国国家情報院、日本警視庁が金氏の23年前偽造パスポート事件、訪日一時、日本現地警護方式などをおいて水面下交渉を進行した。

そして去る6月8日間菅直人新内閣がスタートしたし、金氏側と国内担当者らは新内閣の対韓・対北朝鮮政策と拉致された問題に関する立場を有意深く見守る状況だ。


“北脱出者が大韓民国を守る”


金賢姫氏は“メグミと田口は明確に生きている”と確信した。

ー韓日両国の拉致された問題をながめる立場の差に対してどう思いますか。

“拉致問題は人権問題です。
日本人北へ拉致された人数は韓国に比較すれば本当にいくらならない水準なのにあのように真心を込めています。
来た政府と国民が立ち上がって最後まで救い出そうとします。
米国のクリントン前大統領が国民2人を救うために直接北朝鮮まで行ったのではないですか。
こういう二つの国家の態度で真の先進国が何か考えるようになります。”
ーメグミと田口八重子が生きていると信じますか。

“はい。生きています。
北朝鮮は秘密が私に公開されるのが恐ろしくて、無条件死んだというものです。
私は今でも二人のために神様に祈っています。
生きています。
生きています。”

金氏は“生きている”という話を数回繰り返した。
今まで内外信言論とのインタビューで“生きていると信じる”と推定したことでもう一歩踏み出して生きていると確定の表現をしたのだ。
日本政府側との対話を通して、いかなる情報を入手したからなのか、個人的信念なのかは説明しなかったけれど、2人の生存に対して確信にみちていることは明らかに見えた。

ー2009年3月ペクスコ行事(田口八重子家族との公開出逢い、会見)以後、訪ねてくる人がたくさん増えましたか。

“その時だけ少しの間そうしましたよ。
行事直後店に行ったところ‘(金賢姫と)非常に似ていたという声聞くのでしょうか?’といったよ。
ところで今は彼さえもないです。
‘幸いにも’大部分調べてみられません。
韓国の人は本当によく忘れてしまうようです。
KAL858機事件もそうで、哨戒艦沈没事件もそうで。
事件が広まっていれば騒がせて、少しだけ過ぎればすぐ忘却してしまうので….
北朝鮮は一度当てられれば必ず記憶して復讐するのに、私たちはみな忘れてしまっていれば良いでしょうか。
その大事な息子らが犠牲になったのに。”

ー今小学生の息子が大きくて軍隊行く時になれば送るのですか。

“はい。
当然行くべきですよ。”

ー最近北脱出者らの政界入門が増加しているのに、政治を始める計画はないですか。

“ありません。
政治はショーマンシップもなくてはならなくて、格別な能力があるべきだというのに、私が資格になりますか。
そして赦免も受けたし歳月が過ぎたが、私がKAL858機を爆破した犯人という事実は相変らず変わることがありません。
私がする領域ではないようです。”


ー混乱した政局に大韓民国を守る真の国民は誰と考えますか。

“北からやってくる方々がこの国を守ると考えます。

逆説的に聞こえることもできるだろうが、最近北朝鮮に対して強硬な声を出して実際行動で移す方々を見れば北脱出または南へ越境した人の場合が多いです。

金日成と金正日の共産主義帝国を実際体験して、その現実がどうだということを骨に凍みるほど体験したので、自由民主主義がどれくらい大切なのかより一層よく分かりますね。
その切迫することを分かるからさらに熱心に守ろうとします。”


最後で見た映画は<タイタニック>

金氏は最近家近所小さい教会にまた出て行っているという。
小学校に通う金氏の子供は今でもお母さんの正体を知らずにいる。
4学年の息子は昨年趙甲済前<月刊朝鮮>代表が使った<金賢姫の戦争>という本の後表示と写真を見て“ママ昔名前が金賢姫だったの?”と尋ねたという。

金氏でないとするから無愛想な息子は“ちがう”としてそのまま通り過ぎたんだ。

ー今でも子供たち学校には行ってみることができなかったのですか。

父兄を呼ぶ行事時はどうするんですか。
“まだ全く行ってみられませんでした。
父兄集いがあることはあるのに、幸いすべてのご両親がきはしなかったんですよ。
忙しい方々もあって、私もそのように話して行きません。”


ー映画は一回ずつ見ますか。

最後で見たことがいつでしょうか。
“見ないのか古くなりました。
最後で見たことが<タイタニック>なんです。
夫と一緒に行ってみました。
映画見ないのかすでに10年が越えましたね。”

ーTVプログラム中では楽しんでみるのがありますか。

“ニュースを主に見ます。
9時ニュースは漏らさなくて見ます。
NHK放送も一回ずつ見てよ。

新聞は毎朝夫が子供を学校に連れていった後帰り道に一部買ってきます。
身辺安全の問題があって、購読はできなくなっているが、毎日精読しています。”

ー最近見た本の中に記憶に残る本がありますか。

“この前NHK記者が贈り物に与えた本なのに、日本語で‘今私が’という言葉が題名にあったもので記憶します。

中年の女性が年取りながら安らかに書いた本です。
こういう本が共感できるのを見るので私ももう確かに中年らしいです。”

金氏は1991年出版した<もう女になりたいです>欄告白録でドストエフスキーの<罪と罰>を読みながら、登場人物のラスコルリヌコプに移入されて、誤った理性と良心の声の間でさまよって苦しんだといった。
本を覆った後には‘私がこのように生きて呼吸していてもいいのか’とする気がしたという。

ジョージ・オーウェルの<1984年>を読む時は小説の中世の中と北朝鮮の現実があまりにも絶妙で、衝撃を受けた。

本一冊を見る時も葛藤の中で苦悩しなければならなかった彼が歳月が流れて‘安らかに書いた本’を見ているというので、隔世之感が感じられた。

ーその間の人生を振り返りながら、また本を書くつもりはないですか。

“この間本書いて如何に多い攻撃を受けましたか。

今本を書いてまた攻撃されることを考えれば…。”

ー韓国で自身を最も困らせた人が誰と考えますか。

“それをどのように話せますか?。
誰と公開はできないが、明らかにあることはあります。
生きている証拠を殺して、隠滅させようとした人々、本当に私をいろいろ困らせましたよ。”


教会行けば涙


ーそれでは夫を除いて最も助けを与えた人は誰ですか。

“有難い人もたくさんあるが、ひとまず信仰の力が大きかったです。
裁判を受けながら大変な時多いに役に立ちました。
およそ10年の間熱心に教会に出て行きました。

結婚した後、環境がたくさん変わってしばしば行くことができなかったが、この頃も難しければひざまずいて祈祷からするようになります。”

ー昨年インタビュー時は、教会に出て行きにくくて家でキリスト教TVを見ることで代えるといったのに、この頃もそうするのですか。

“町内に小さい教会があって、毎週は行けなくても時々出て行きます。”

ー教会に行けば気が楽になるんですか。

“気が楽になるどころか、涙が出ます。”

彼は今でも教会の椅子に座れば涙から流す。
永らく会うことも出来ない家族のことが浮び上がって、北朝鮮のどこかに行っている、北へ拉致さrた日本人メグミと八重子が思い出されるという。

申し訳ない思いと佗びしさ、そして感謝することが一度に押し寄せる感情を取りまとめることができなくて大変だが、贖罪の感謝することはまた彼女の胸を穏やかにさせる。

ー左派政権時期真っ最中大変な時、また北朝鮮で住んだ時期に帰りたいと考えてみたことがありますか。

“そうですね。
この間一北朝鮮専門記者に会ったのに‘以前に北朝鮮を批判した人は前政権の時みないじめにあった’としたよ。
私のように公開された人もいたし、知らされないところで活動した人々もいたようです。
一つ一つ探して揺さぶりまくって、結局落ちた人もいて、私のようにまだ落ちなかった人もいてそうするみたいです。

それでもまだ北朝鮮時期に帰りたいと考えたことなかったです。
私が今こちらでしなければならない使命があるためでしょう。”
彼の長い避難時期は誰が補償しなければならないだろうか。
KAL858機を爆破して、無実の人命を犠牲にさせた代価であろうか。

でなければ彼女の運命がすでに順調でない人生に縛られているだろうか。

李東馥北朝鮮民主化フォーラム代表は昨年4月金氏と一緒に一つの席で“この時代が補償して、歴史が補償しなければならな
い”として“補償というのは特別なことでなく幸福追及権を享有する極めて正常な人の生活を回復させること”といった。
金氏の夫チョン氏は“相手方で度々私たちがお金を望んでこういう行動をするように懐柔するのに、私たちは左派らの宣伝扇動を防いで祖国の安全のために闘争すること”としながら“その他にはさらに望むことがない”と線を引いた.◎
<整理=金正宇月刊朝鮮記者>

2 件のコメント:

  1. 「現代コリア」連載中からのファンで、拉致問題早期解決を願い、チャンネル桜掲示板にて、細々と訴え続けております金糸と申します。

    事後報告で申し訳ございません。本日こちらのサイトのご紹介をいたしました。
    事後承諾願いとなりましたことを、どうぞお許しくださいませ。

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  2. どうもありがとうございます。日本語としてはこなれていませんがご容赦ください。
    そちらのサイトとリンクお願いいたします。

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