お知らせ

五味洋治のページです。主に韓国での北朝鮮関連報道を訳していますが、日本語で紹介されない記事を私の目でセレクトしています。私の執筆活動、経歴についても掲載しています。最近のお勧めは、北朝鮮の軍事関連報道です。日本のメディアが伝えていない細かなものまで拾っています。私がかつてここに書いた金正恩の性格分析は今も十分通用します。筆者へのご連絡はこちらをクリックしてください

2011年4月3日日曜日

第六軍団はこうやって消えた その① 東亜日報記者ブログより

出典 http://blog.donga.com/nambukstory/archives/167
関連日本語記事 http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2009021361948

韓国の東亜日報には、北朝鮮出身の記者がおり、なかなか文章がうまい。評判になっている彼の本を韓国で買ってきた。やさしい韓国語でよみやすい。しかも原文は彼の記者ブログ内にあり読むこともできる。


その中で第6軍団のクーデターの話を訳してみる。
この記事の一部は、東亜日報日本語版に掲載されている。
1994年に起きたとされるこのクーデターを鎮圧した人間が、その後急速な出世を遂げたとある。こういう構図が、軍がクーデターを起こせない仕組みを作り上げている。長いので分割して掲載します。

クーデター試み北朝鮮軍6軍団、このように消えた。

チュ・ソンハ記者2009/02/13 7:54 pm

1994年1月2日、咸鏡北道に駐留している北朝鮮軍6軍団軍団長が急に死亡した。
この日咸北清津市に位置した6軍団司令部上空でヘリコプターらが轟音を響かせた。
人々はわけが分からなくて不安に震えた。

約1年後6軍団の政治委員をはじめとする将軍および高位軍官らが処刑され、軍団傘下師団らが江原道と咸鏡南道駐屯軍へと更迭された。
3代名物を選べと言うなら石、軍隊、風が選ばれる江原道で、石を10個投げれば8個が軍隊頭に落ちるという話がある江原道.
‘石江原道’と呼ばれるその土地で、6軍団に新しく配置されて、咸北に入ってくる軍人らは車で快哉を叫んだ。

“ワ~ここははまだ山にヤギが歩き回っているよ…”

もちろん軍人精神でなく‘泥棒精神’に透徹した江原道軍人らが入ってきた後、咸北野山らでヤギと羊たちが消えて個人家らで家畜らが容赦なく消えた。
咸北の人々は苦しんだ。

“以前にも苦労したがそれは何でもなかったね…今度は馬賊団が入ってきたよ。”
2時ぐらい北朝鮮には噂が飛び始めた。

6軍団将軍らがクーデターを起こしたということだ。
うわさはこうだった。

6軍団政治委員(中将)がクーデターを夢見て同志を糾合したという。
軍団保衛部長も政治委員と意気投合した。

軍団長だけ残った。

北朝鮮軍団を動かそうとするなら武力統率権を掌握した軍団長、政治責任者の2人者政治委員、軍団監視を担当した保衛部長このように3人が同意を集めなければならない。

3権分立が徹底していて他の国のように軍司令官の単独の決心によってでは、軍が動けない構造だ。

このために北朝鮮ではクーデターの可能性がそれだけ低いのだ。

彼らは軍団長を引き込むための機会で1994年正月(旧正月のこと)に定めた。

上官を訪ねて行って、新年挨拶ができる正月は将軍らが自然に一ヶ所に集まれる機会でもあった。

彼らは軍団長の意志を打診し、合流を断った場合暗殺するという計画もたてたという。

軍団長は断った。
そして計画のとおり、暗殺された。
ある高位級要人の証言によれば毒酒を飲んだという。
参考で当時6軍団長はパルチザン出身ではなかったが、韓国動乱(朝鮮戦争)で大きい活躍を繰り広げた人だった。

軍団長程度が死亡すれば労働新聞2面程度に訃告が出る。

当時労働新聞も2面に6軍団長が長い間の持病で死亡したと発表した。

クーデター主謀者らが皆処刑されて、彼らが計画したクーデター内容は伝えられないでいる。

平壌攻撃計画をたてたという話、金正日国防委員長を誘引して、暗殺しようとしたという話、韓国軍と手を握って咸北を渡そうとしたなどの説が飛び交った。

参考ながら、1994年を前後した時期は北核問題で北米、南北間の対決が最高潮に達していた時期だった。

1993年3月北朝鮮は準戦時体制を宣言したし、米国は寧辺核爆撃を試みる時であった。

これから南北が統一されれば、軍保衛司令部捜査記録が公になり、歴史を作ろうとした彼らの堂々としていた志が明らかになるようになるだろう。

1994年初め6軍団でおかしな気配が感じられた時、金正日国防委の人が直ちに当時軍の軍需動員総局長だった金英春隊長だった。
金英春は派遣されるやいなや元応煕当時総参謀部保衛局長と手を握って、徹底して内密調査した。
早く緊急な火を消さなければならなかった。
政治委員など主導者らを、会議をするという口実で咸南イウォン飛行場に誘引した後、その場で逮捕した。
政治委員は疑いを抱いたがやむを得ず飛行場行って捕縛されて、平壌に連行されて行った。

数十人の軍人らが車から降りる彼を襲った時、彼は逮捕されることを覚悟していた表情という。

当時状況を見守った人は後日政治委員が“この連中~”といいながら怒鳴りつけて腹部をげんこつで殴りつけ、ずるずる引きずられて行ったと話した。

以後約10ケ月の間、軍団では徹底した内密調査が進行された、数多くの加担者らが追加で逮捕および処刑された。

0 件のコメント:

コメントを投稿