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2011年6月3日金曜日

金正男の家族関係 dairy-NK

http://www.dailynk.com/korean/read.php?cataId=nk00100&num=74079

私は金正男氏と不思議な縁がある。

2004年に偶然会い、2011年1月にも会っている。彼の次男は持病があるようだ。

次男漢率腫よう治療”
チョン・ジェソン記者| 2009-07-20 16:45

北朝鮮金正日の最初息子金正男(38才)の家系が最初に把握された。

対北朝鮮消息筋によれば金正男は3人の女性(事実上の夫人の役割)と同居した経験があって、彼らとの間で二男二女の子供をもうけていると明らかになった。

金正男の三婦人と子供らは皆中国の北京とマカオに居住している。
消息筋は20日“金正男は若い時期最初部の崔ヘリと同居を始めて、息子ドンファンを産み、現在彼らは中国、北京に居住している”と話した。

消息筋によれば金正男は北朝鮮に入国したり中国に出てくる場合北京最初の夫人家に立ち寄って、しばらく留まる程度という。

消息筋はまた“二番目夫人のイ・ヘギョンと息子、金韓率を、娘金松率は現在マカオに居住している”としながら“息子漢率は甲状腺腫ようで現地で治療中であると把握された”と伝えた。
以前まで二番目夫人は張キルソンという名前で知られていた。

ヘギョン氏はずば抜けた美貌の所有者で北朝鮮芸術公演団出身であり、名品愛好家と知られている。
最近国内ある言論はマカオの北朝鮮消息筋を引用して“息子と一緒にいる夫人を見たことがあるのに全身にプラダとグッチなど世界最高の名品で装いしていた”と伝えた。
金正男が比較的最近会った三つ目夫人の(姓・不明)ミョンナ種もマカオに居住している。
しかしかれらの間に生まれた娘ヒョンギョンは最初の夫人が養育中という。

金正男の婦人と子供らの正確な年齢は把握されなかったとこの消息筋は伝えた。

閉鎖社会の北朝鮮の特性上金正日家計に対する便りは徹底的に秘密にされている。
金正日の後継で有力視されている三つ目息子正恩に対してもスイス留学時期生活中エピソード他には知らされたのが殆どない。

こういう渦中でも金正日の最初息子の正男は比較的自由な体で世界所々を縫っていて各国情報当局と言論などの集中標的がされてきた。

金正男は1971年生まれで金正日と越北女優成恵琳(2002年5月65才で死亡)の間で秘密裏に生まれた。
このためにおじいさんの金日成さえ金正男の存在を彼の年齢4才の時(1975年)まで知らなかった。
金正男は17才に北朝鮮コンピュータ委員会委員長を引き受けた。
1995年には24才の若くして人民軍大将階級を与えられて保衛部海外班乗ること総責を引き受けたという証言も出てきた。

1990年代中盤までしても金委員長の後継者で有力なように見られたが1996年叔母の成恵瑯が西側に亡命して、地位が不安定になり2001年5月日本で偽造パスポートで逮捕され、金正日の憎まれたと知らされた。

▲金正男の最初の夫人崔ヘリ(右側体つきが大きいように見られる女性)氏と息子ドンファン君.

金正男が言論に登場したのは2001年日本密入国を試みたが逮捕されてからだ。
正男は当時最初部のヘリ氏と同行したことが分かった。

以前にも彼は最小3回以上日本に極秘入国して、ショッピングと遊興を楽しんだことで日本当局は把握した。

金正男はこれより先んじた1990年代中後半から平壌とマカオを行き来しながら、比較的自由な生活をしてきた。

最近では日本言論のインタビューに応じて、金正日後継者に対する自身の考えを明らかにするなど破格的な姿も誇示した。

このような彼の放浪自適気質のために一部では‘金笠’というニックネームを呼んだりもする。
金正男は行く所ごとに現地女がいる家で宿泊しながら、マカオ、タイなどの地では賭けを楽しむという。
彼が使う無限大に近い遊興費は、現地北朝鮮大使館で調達していると分かった。
彼は現在マカオ コルロアン立つことの330㎡(100坪余り)になる高級マンションで二番目夫人、息子と主に過ごすと分かった。

1本に40~100万ウォンのフランス ワインを楽しむ派手な生活が言論に報道されることもした

 

ちなみに金笠は朝鮮時代の放浪詩人

放浪詩人・金笠の酒詩  金笠は近世朝鮮の詩人です(1807~1836年)。
「笠」という名は、いつも笠を日よけ、雨避けのためにかぶって全国津々浦々を放浪したので世間の人が呼んだ俗称です。日本の山頭火のような酒と歌を愛した行乞詩人がすでに朝鮮にいたのです。しかも同じように野垂れ死にしてます。
 
 二百数十編の漢詩を詠んでいますが、有形の詩文集が残っているわけではなく、民衆の口伝(口碑文学)や紙片で残されたものです。崔碩義(チェソギ)編訳注の書から酒に関する七言絶句などを紹介しましょう。

http://www.h6.dion.ne.jp/~jofuan/myhaiku_101.htm

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