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五味洋治のページです。主に韓国での北朝鮮関連報道を訳していますが、日本語で紹介されない記事を私の目でセレクトしています。私の執筆活動、経歴についても掲載しています。最近のお勧めは、北朝鮮の軍事関連報道です。日本のメディアが伝えていない細かなものまで拾っています。私がかつてここに書いた金正恩の性格分析は今も十分通用します。筆者へのご連絡はこちらをクリックしてください。コメントは実名以外受け付けません。

2012年11月8日木曜日

「北朝鮮のいま 金正男氏を取材して」



あるところで行った講演記録です。一部省略してあります。

セミナー報告  東京新聞編集員 五味洋治氏
                                                            2012

『父・金正日と私 金正男独占告白』という本を文藝春秋から出版しましたが、金正男と偶然出会ったことがきっかけでした。本を出してから警視庁の関係者からも連絡があり、「よく書いてくれた。われわれも彼の日本での動向について裏づけ捜査をしていて、クレジットカードの使用歴などから行動を追っていたが、本に書かれている彼の日本での行動はほぼ正しい」と言っていました。彼は日本には5回来て、定宿の新橋第一ホテルで巨額の両替をしていました。いつも出迎えの人がいたそうです。

 本は今年1月20日に刊行したのですが、20万部となり、現役新聞記者が書いた本でこれだけ売れたのはきわめて珍しいそうです。読者の4割が女性とかで、認識を新たにしました。金正男は北朝鮮の現状に批判的で国内でも人気があります。跡目争いは、いわゆる韓流ドラマの歴史ものに似ていて、その流れで読んだという読者もいました。1週間で書店から本がなくなりました。金正男は2001年に日本から国外退去されたときに大きく報道されて、知名度があり、関心も高かったんですね。

 今日のお話は4つのパートにしてみました。①私のフルブライト体験、②この本の話、③北朝鮮はどういう国か、④これから北朝鮮はどうなるのか?
 まず①ですが、私は過去2回、フルブライトのジャーナリスト部門の試験を受けました。最初は川崎支局時代、鉄鋼の街だったので都市の再生をテーマに試験を受けましたが、不合格でした。
 それでも外国に行きたい、取材したいという気持ちは持ち続けていました。当時、私は川崎の韓国・朝鮮人街に住んでおり、ちょうど会社(東京新聞)で韓国留学の募集をしていたので応募して合格し、延世大学に語学留学しました。
 
中略

 次に②の話です。北京にいたころ、2004年の9月、日朝交渉が活発化して、外務省の斎木昭隆アジア大洋州局長が北朝鮮の担当者と会うというので、われわれは空港で、北朝鮮の担当者の到着を待っていました。
その時、テレビ局の記者が、「世の中にはよく似た人がいるねえ。あの人、金正男そっくりだよ」と言うのです。小太りでほくろもある。
で、「金正男さんですか?」とハングルで声をかけました。すると、「そうです」と言う。おかしいな。そんなにあっさりと認めるものだろうか。影武者じゃないか? 「写真撮っていいですか」「いま何をしていますか?」「お父さんは?」と立て続けに尋ねました。仲間の記者たちも集まってきた。彼は「何も知らない。父に聞いてくれ」と言います。私は名刺を渡して、「市内からこの携帯電話に連絡してください」と言って、別れました。
「記事にする?ソックリさんか替え玉じゃないか?」などと言い合いましたが、そそくさと帰る記者もいる。疑心暗鬼になり、わたしも写真と記事を送りました。「北京空港に金正男のソックリさんが現れた」という妙な記事になりました。あんなことを言いながら、各紙とも記事にしましたね。
 彼からは連絡ありませんでした。私は後悔しました。タクシーに相乗りしてホテルまで行けばよかった。チャンスを逃したのです。それから「金正男探し」が始まりました。レストランや美容室、高級韓国料理屋などを訪ね、「もし来たら連絡を」と名刺を渡しました。
 そんな折、突然のように金正男からメールが送られてきたんです。空港で名刺を渡した記者たち全員に同じように送られたようでした。私も、交信を続けようとしましたが、7通のメールだけで連絡は途切れてしまいました。一応、「金正男からメールが送られてきた」という記事を書きました。その後の一連の経緯は、2007年3月号の「文藝春秋」に「七通のメール」を書きました。

 2010年の10月のある日、突然、金正男からのメールが復活したんです。「2007年の文春の記事は非常によく書けていた。あなたは私に関心があるようだから、質問を受けますよ」というものでした。私は、「あなたが金正男だという証拠になるものを送ってほしい」と言うと、写真を送ってくれました。ふさふさだった髪がほとんどないけれど、ほくろの位置は同じです。
 
 (中略)

114日、マカオのホテルに行きました。

彼は時間通りに来ました。黒いジャケットにサングラスという姿。こっちは緊張します。なにしろ、立ち話ではなくきちんと坐っての長時間インタビューは、世界で初めてです。家内は写真を遠慮なく撮っていましたから、周囲の客たちは何が起こったのかと不審顔。彼も緊張していました。私は一歩突っ込んだ内容に迫ろうと必死です。予想外に彼も率直に答えてくれました。
 2010年9月に北朝鮮では弟の金正恩が正式に後継者として発表されました。その直後、10月に私とのメールが再開されたのは、後継決定と無関係ではないでしょう。金正男は1995年から北京に住んでいますが、それは父・金正日総書記と喧嘩をしたからだと言われています。しかし、彼は父親の悪口は言いません。いい父親だ、優しい父親だと。彼は子供のころから父親と離れて育ち、満たされない愛情で孤独感を抱えています。
一通りの話が終わって、「明日も会えませんか。家内はあなたのファンなんです。な、そうだろ?」と無理やり言うと、「じゃ、会いましょう」と彼も言う。「オフレコにしましょう」と言うので、メモしないで雑談になりましたが、内容はありました。いまの北朝鮮は改革開放しようとしてもうまくいかない。国内では開放を言う人と、ダメだという人がいる。北朝鮮に住んでいた時、友達はいないし、遊びに行くこともできない。孤独だったし、彼の存在は秘密にされていた子供でした。彼の母親は人妻だったのですが、強引に離婚させられたからでした。
「このインタビューを記事にして、本として刊行してもいいですか?」と尋ねると、「いいですよ」と言いました。取材を終え、家内には香港で金のネックレスを買いました。結構一生懸命手伝ってくれたので、惜しくはありませんでした。
 帰国して新聞に記事を書きました。反響は大きかった。本を書くのにあまり大きな反響はまずいな、と思っていたところ、金正男からメールがあり、「北朝鮮の当局が怒っている。開放のことが一番いけないようだ。もうあなたとは会うな、と言われている」というのです。でも、雑談のやり取りしているうちに、だんだん打ち解けてきました。 

12月に父親の金正日総書記が死去します。朝鮮では100日の喪が明けるまでは故人の悪口は言わない習慣があります。本を出す準備をしていることをどこから聞きつけたのか、あちこちから、プレッシャーがかかってきました。メディアから、本の内容について問い合わせが来た。なぜ知っているのか?と尋ねると、文春のホームページに予告が出ているという。もう仕方がない、出しましょう、と刊行に踏み切りました。
 内容的には初めて分かったこととか、革新的なものはありません。ただ、率直な肉声と北朝鮮についての分析が新鮮だったはずです。ディズニーランドに行くなど、放蕩息子と思われていたけれど、意外に真面目な人物であることが分かったはずです。私はジャーナリストの使命は、「既存のイメージを覆すこと」と考えています。
 やがて、本の韓国版と中国版も出版されました。韓国人からは、「彼へのインタビューは、私たちがやるべき仕事だ」といわれました。中国人記者からも電話がかかってきて、「彼が北京にいたのに、取材できなくて恥ずかしい」と言う人もいました。中国人にもタブーを破って開かれた報道をしようという記者がいることが分かって、よかったと思いました。
 
 さて、北朝鮮はどんな国か? 人口は2400万人。兵士の数が119万人。韓国との経済格差は44倍とされ、平均寿命はアフリカ並みです。北朝鮮には市場が全国にあり、文房具がよく売れます。教育熱心なんですね。携帯電話は100万台普及しているとかで、1台300ドル。料金が月2850ウォンと高いです。20代から30代の若者の60%は持っているそうです。
 食糧難をどう生き延びるかに必死ですが、一般大衆はたくましく生きています。「中東の春」のようなことは、いまのところ起きないでしょう。地方は電気がありません。中朝国境の豆満江では女性たちが衣服を棒で叩いて洗っています。食器も砂で洗います。石鹸がない。女性たちも平気で裸で体を洗っています。服は岩に張り付けて乾かします。
 道路は舗装なし。牛車で荷物を運んでいます。日本の明治時代ですね。脱北者は2万1000人が韓国へ入っています。7割は女性で、労働力になり、中国人の妻になったりしています。日本にも100人ほどいて、赤坂にも脱北者の店がある。積極的には脱北者であることを言いません。


 北朝鮮が最近ミサイル発射を強行しました。このため、米国は、2月に栄養補助食品を毎月送るという約束をしましたが、それを反故にしました。
ミサイル発射、核実験をすれば、それをテコに交渉してミサイルや核技術を米国が高く買い取ってくれるという計算が北朝鮮にはあるようです。
ただ、核実験はやらないのではないでしょうか。影響が大きすぎますから。しばらく時をおいて、どこかの節目で挑発するのではないでしょうか。

 金正恩については、4つの見方があります。①七光りの政治をやる。演説のスタイルや内容が金日成とよく似ている。金日成時代、北は韓国よりも豊かだった。金正恩の最近の演説には「金日成」が17回出てきました。軍事用語もあり、軍事優先スタイルは変えないでしょう。「人民生活」という言葉は4回だけで、後回しという印象です。
②若くキャリアがないので大番頭の言うことばかりきいているという説と、いや自分の意思を主張しているという見方もあります。父親が死去後、100日間にもわたって中朝国境を閉鎖して貿易もできない状態にするなど、若さゆえにより強硬なことをする面もあります。
③勝負にこだわる性格。これは元料理人だった藤本さんが言っています。バスケットボールの試合をしても、兄の正哲はあっさりしているのに、正恩はこだわって「もっとやろう!」と言う。相手を圧倒したい。韓国に対して非常に挑戦的な態度に出ていますが、これも正恩の若さゆえかもしれません。
④スイス留学体験がどう影響しているか?1991年から9年間いたらしい。自由な西欧を見ています。

その芽が出てきている、と朝鮮総連の関係者は言います。「北の態度がピリピリしたものから柔らかくなった。正恩の警備が20人から5人になりゆるくなった。視察に出ても、いまは群集の中に入って、リラックスして撮影している」と。金正日の料理人で有名な藤本健二も、「彼が17歳のとき、一緒に酒を飲んだことがあるが、正恩は、『われわれはこうして酒を飲んでいるが、一般人民はどうなっている? 西側は豊かなのに』とつぶやいていた」と言っています。わずかながら希望がある、ということでしょうか。(文中敬称略)

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