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五味洋治のページです。主に韓国での北朝鮮関連報道を訳していますが、日本語で紹介されない記事を私の目でセレクトしています。私の執筆活動、経歴についても掲載しています。最近のお勧めは、北朝鮮の軍事関連報道です。日本のメディアが伝えていない細かなものまで拾っています。私がかつてここに書いた金正恩の性格分析は今も十分通用します。筆者へのご連絡はこちらをクリックしてください。コメントは実名以外受け付けません。

2013年2月11日月曜日

北朝鮮核開発の歴史 韓国メディアより

3次核実験...
北朝鮮核開発歴史は?
ソ連支援で開始...
その間二度実験
北朝鮮が対外宣伝用週刊紙 <統一新報>を通して、北朝鮮の核実験に対する憂慮が、米国の'推察'に過ぎないと明らかにした中で、核実験敢行意志をこれまで、何回も明らかにした北朝鮮の態度変化に背景が何か、関心が集まっている。

北朝鮮のウェブサイト'私たちの民族どうし'は今月9日、週刊紙<統一新報>を引用"米国と敵対勢力は共和国が第3次核実験をすると早合点しながら、それが現実化される場合、先制打撃までしなければならないと明らかにした"と伝えた

'私たちの民族どうし'はまた"(米国の対応により)超強硬措置を取ること"としながらも"今回取るようになる'国家的重大'措置も、米国の侵略威嚇に対応して、民族の利益を守ろうということであって誰かを威嚇しようというのではない"と主張した。

ところでこういう主張は先月24日発表した北朝鮮国防委員会の声明と相当な距離がある。

この声明で北朝鮮は"(これから)進行する高い水準の核実験は米国を狙うようになること"と明言したためだ。

突然の北朝鮮による融和的ジェスチャーは、北朝鮮核実験時期に対して神経を尖らせている、韓国政府と米国に混乱を与えたり国際社会の反応を推しはかるためという分析が優勢だ。

ただし国際社会が3次核実験が北朝鮮に元に戻せない状況を作ることだと継続して警告しているだけに、こういう努力が、少なくとも核実験時期を遅らせるなど北朝鮮の態度変化の可能性は十分に
あるという分析だ。

北朝鮮の3次核実験を囲んで国際社会が緊迫するよう動いている中で、過去北朝鮮の核開発歴史に対して調べてみた。

●ソ連の支援で始まった北朝鮮核開発
北朝鮮の核開発は去る1950年代に遡る。

1955年4月科学院2次総会で原子および核物理学研究所を設置することに決めた。北朝鮮は翌年6月ソ連で開催された'原子力の平和的利用に関する学術会議'に科学院科学者6人を派遣しながら、核技術開発に取り組んだ。

1962年平安北道寧辺に原子力研究所を建設したのに続き、北朝鮮の最高学府である金日成総合大学と金策工業大学に核物理学院を設立して、核科学者と技術者を養成した。

1963年6月には寧辺に、ソ連の助けで2MW規模のIRT-2000研究用軽水炉を建設した。
以後北朝鮮は独自に核能力を発展させて、試験用原子炉の規模を7MWまで拡張するのに成功した。

1985年12月にはソ連と北朝鮮間に'原子力発電所建設に関する経済・技術協力協定'が締結された。

440MW軽水炉型原子力発電所4期を北朝鮮に建設する事を主要な骨子にしたこの協定を通して、ソ連は発電所建設条件で北朝鮮の核拡散禁止条約(NPT)加入を要求し、北朝鮮はこれを受け入れた。

1982年米国の偵察衛星によって、北朝鮮の秘密核兵器開発施設が初めて捉えられた。

寧辺で原子炉と推定される構造物の建設現場と故爆薬実験痕跡などが発見されたのだ。
北朝鮮はこのような施設らが純粋な電力生産用だと主張した。

1990年代に入りソ連の解体と一緒に北朝鮮の核開発は一大転機をむかえるようになる。

北朝鮮はソ連との合作で推進した軽水炉事業をロシアで成立したエリツィン政権との摩擦であきらめ、ロシアは協定履行中断を宣言して自国核技術者らを北朝鮮で皆撤収させた。

●北朝鮮の核問題勃発と北米、ジュネーブ合意

1992年5月IAEAは北朝鮮の核査察を始めて、北朝鮮は米国を始めとした国際社会から集中攻撃を受けるようになった。

北朝鮮は、しかし1993年IAEAの寧辺特別査察要求を拒否し、NPT脱退を宣言した。
これによって米国との緊張が高まって1994年10月ジュネーブ、北米核会談を通して、妥協案が導き出された。

この会談で北朝鮮は核査察を受け入れる代価で多くの利益を受け取った。

北朝鮮は1989年から建設が始まった金倉里地下施設を調べる条件で食糧60万t提供と経済制裁の部分的緩和、北米外交関係正常化などを勝ち取った。

北朝鮮はまた核活動凍結宣言を通して、1995年韓半島エネルギー開発機構(KEDO)から軽水炉を供給を受けることにしたが以後北朝鮮は軽水炉地縁建設がジュネーブ合意破棄と警告して米国は北朝鮮が核兵器を保有したと対抗しながら、2002年11月KEDOの対北朝鮮重油支援が中断された。

北朝鮮は2002年再度NPTを脱退して寧辺核施設を再稼働したしその年10月国際的な注目の中に核開発を認めることによって朝鮮半島の非核化実現のための6者会談胎動のきっかけを提供した。
2003年4月始まった北朝鮮-中国-米3者会談は以後韓国、日本、ロシアが参加する6者会談で拡大して、北朝鮮の核開発放棄を代価として、体制保障と経済的支援などを提供する内容の共同声明を採択するに至るが2005年11月5段階会談以後、空転状態が続いてい。

北朝鮮の核兵器開発は、自主的国家安保のために始まった。しかし、脱冷戦以後順次米国との交渉を通した経済的利益と政権維持の保証を得ようとする側面に転換されている。

核兵器開発を外交手段として活用しているのだ。

2005年2月核保有宣言後1年8ケ月ぶりに咸鏡北道花台郡ムスダン里の地下で実施されたと推定される今回の実験は北朝鮮が公式発表した、最初の核実験だ。

しかし北朝鮮が本当に核実験をしたのか、また実験を通して期待した結果を得たのかは、まだ確認できていない。

連合ニュースなど韓国の報道を総合した

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