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五味洋治のページです。主に韓国での北朝鮮関連報道を訳していますが、日本語で紹介されない記事を私の目でセレクトしています。私の執筆活動、経歴についても掲載しています。最近のお勧めは、北朝鮮の軍事関連報道です。日本のメディアが伝えていない細かなものまで拾っています。私がかつてここに書いた金正恩の性格分析は今も十分通用します。筆者へのご連絡はこちらをクリックしてください

2013年4月13日土曜日

金正恩の性格分析 ①

 暴走機関車、引き返すことを知らないなどと言われている北朝鮮の金正恩第一書記、その性格が、改めて関心の的になっている。もちろん私も分からないが、報道や韓国のブログなどをもとに分析してみた。

●藤本健二氏の見た正恩
やはり、金正恩を語る上で欠かせないのは料理人、藤本健二氏の著作である。
これらの本に金正恩への直接の言及がある。
ただし、彼の記憶は断片的で、正恩の全体像を示しているかは疑問も残る。

引き裂かれた約束 全告白・大将同志への伝言
金正日の料理人―間近で見た独裁者の素顔
北の後継者キムジョンウン (中公新書ラクレ)

最初の本の内容は以下にある。
http://www.worldtimes.co.jp/kansok/kan/kita/120824-4.html

金正日(キム・ジョンイル)の料理人「藤本健二」氏(66)が金正恩(キム・ジョンウン)
国防委員会第1委員長に会ってきた後、初めて口を開いた。
 最近、北朝鮮を訪問して、金第1委員長に会った日本人料理人の藤本氏は23日、
TBSに出演して、「来月また北朝鮮を訪問する計画だ」と明らかにした。
 彼は7月21日~8月4日、北朝鮮を訪問した時、金第1委員長から「これから、日本と
北朝鮮を行き来しても良い」という許可を得たという。

 藤本氏は1989年から金正日国防委員長の料理人として働きながら、幼い金正恩の
遊び相手として親密な交流を積んだ。しかし、彼は日本と接触した事実が北朝鮮に
発覚すると、2001年、妻と娘を残して脱北し、以後日本に留まっていた。

 藤本氏は6月16日、日本のあるコンビニエンスストアーで会った在日朝鮮人から、
「北朝鮮の妻と娘が会いたがっている。しかも、もうひとり(金正恩)が会いたがっている」というメッセージを受けて驚いた。

 脱北後、藤本氏は家の住所を誰にも知らせず、外出時には常に頭巾とサングラスを
着用するほど、暗殺の心配に苦しめられたためだ。
 彼は放送で、先月22日、北朝鮮訪問歓迎会で、金第1委員長に会ったエピソードと
写真8枚を公開した。
 藤本氏は自身が、「大将同志、背信者が戻りました」というと、金第1委員長が
「よい、よい。裏切ったことはみな忘れた。一緒にジェットスキーとロールブレイドに乗って、テニス、バスケットボールをしたことを忘れていない。タバコを吸ったのも忘れていない。
 
幼かった時から遊んでくれて、ありがとう」と話したと紹介した。
 藤本氏は、「大将同志の夫人・李雪主(イ・ソルジュ)と握手をした。李雪主は私に『(最高司令官は)いつも藤本さんについて話していた』と話した」と打ち明けた。

北の後継者キムジョンウンの内容の一部
http://www.excite.co.jp/News/review/tag/?keyword=%E9%87%91%E6%AD%A3%E6%81%A9

藤本が最初に金正恩との対面を果たしたのは1990年1月のことだが、「こいつが憎き日本帝国の輩か」とばかりに憎悪の眼で睨まれたという。

わずか7歳(藤本によれば)の子供にしては、驚くばかりの気性の激しさである。もっともその後、正恩は藤本を遊び相手として過ごして打ち解け、藤本からもらい煙草をするほどの中になったそうだ(煙草を吸うときの指の形から『V』がその隠語となった)。

また15歳のときには藤本に「なあ藤本、外国のデパートや商店は、どこでも物資や食糧があふれるほどに並んでいるのには驚いたよ。わが国の商店はどうなっているのかな?」と話しかけるなど、自国の社会経済体制への疑義を呈するほどの知性を発揮していた。

藤本は正恩に3代目としての改革を期待しているのだが、果たしてそれはかなえられるかどうか。30年以上の年月を経て父・日成から権力奪取を成し遂げた父・正日と違い、正恩への政権移譲はあまりにも急激に行われた。当然多くの不満分子が北朝鮮国内にはいるはずであり、すんなりと政権を手にできるとは限らないからだ。

さてここからは、彼が第一書記に就任してからの行動分析に入る


2012年4月15日に行った初めての肉声演説の分析
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE83G01C20120417
初演説の金正恩氏、スタイルや声は祖父から「継承」か
2012年 04月 17日 

[ソウル 16日 ロイター] 北朝鮮国民の大半は、昨年12月に死去した金正日総書記の肉声を聞いことはなかった。しかし、総書記の三男で新たに最高指導者となった金正恩第1書記は、15日に開催された軍事パレードで公の場では初めての演説を行い、父親とは異なるアプローチを示した。

20代後半とみられる正恩氏は、金日成主席の生誕100周年を記念する軍事パレードで、20分間にわたり演説した。同主席は正恩氏の祖父に当たり、現在でも北朝鮮で崇拝されている。正恩氏は最高指導者の立場を継承しただけでなく、同主席の容姿、そして声をも受け継いだようにみえる。

金日成主席、金正日総書記そして正恩氏の演説を分析した韓国・崇実大学のペ・ミョンジン氏は、「(正恩氏が)祖父のように演説をする練習をしたのは明らかだ」と指摘。正恩氏の演説は単調な調子だったものの、声の高さや口調は金日成主席を思い起こさせるように注意深く調節されていたという。

また、祖父が好んだように、横を刈り上げて後ろになでつける髪型をし、白い制服を着た軍幹部を横に従えて演説に臨んだ。その幹部らの制服も、朝鮮戦争(1950─53年)の停戦調印後に行われたパレードで金日成主席が着ていた服装を思い起こさせた。

12年前に脱北した人権活動家のPak Sang-hak氏は、北朝鮮で社会主義青年同盟のメンバーだった当時、金正日総書記の声をたびたび耳にすることがあったという。「総書記の声は甲高かった」と振り返り、父親の金日成主席の方がより落ち着きがあり、影響力が強かったと述べた。

正恩氏の演説でのもう一つの大きな驚きは、同氏に強い北朝鮮なまりがなかったことだ。アジア・ファンデーションの北朝鮮問題専門家、ピーター・ベック氏は「それほど努力しなくとも、(正恩氏が)ソウル出身者のように話すという事実に驚かされた」と語った。

ただ、北朝鮮なまりがないというだけで、韓国人が正恩氏を信頼できる人物と見るかというと、そうではないようだ。ソウルの大学に通うKim Jung-hoさん(23)は、「(正恩氏は)演説で『先軍政治』の継承を強調し、ロケット発射も進めた」とし、「ここ(韓国)では、それは好意的には受け止められていないと思う」と述べた。

北朝鮮が先週に実施した、長距離弾道ミサイルとみられるロケットの発射が失敗に終わったことを受け、専門家らは同国が3度目の核実験を強行するとの見方を示している。

以下は筆者があるところで発表した内容だ。

 彼が七光りと利用している父親の遺訓とは何か。これがまだはっきりわかりません。遺訓は、まとまった形では出てきたことがなくて、朝鮮労働党の機関紙労働新聞とか朝鮮中央通信を見ますと、正恩氏を最高司令官に任命したこと、金正恩氏を守れということが遺訓だ、という表現があります。文章として残っているというよりも、生前の言葉を誰かがまとめ、その時々に都合よく引用しているとも感じます。
 彼が何を目指しているかというところですね。これは、4月15日に、軍事パレードの後に20分間演説しました。これを日本語に訳して、単語が何回出てくるか分析してみました。
 父と祖父への言及は17回ずつで、ほぼ一緒です。「軍」という単語を抜き出してみますと、89回。その内訳は、「人民軍」とか「軍隊」、「軍事」、「軍事優先」です。軍人の前での演説ですから、軍部に非常に気を使っている。「革命」という言葉も46回と、数多く使っている。昔から北朝鮮は、種子革命だとかジャガイモ革命だとか「革命」という言葉がとても好きだったのですが、一気に不利な情勢を挽回しようという意味がこもっているのだと思います。彼自身も、現状について不満足な点があって、革命を起こして国を興したいという焦りがあるのかもしれません。「遺訓」というのは1カ所だけです。
 生活・経済関連用語をみると、「人民生活」は4回で、「経済」、「産業」といった単語もほとんどありません。
 この演説がすべてを示しているとは言えませんが、こういうところから見ても、おじいさん、お父さんの路線を引き継いで先軍政治を続けていくと公なところで宣言したと言っていいのでしょう。自分の最初の肉声の演説ですから相当自分でも手を入れたと思うので、その演説からは彼が何を考えているかというのが何となくわかるかなという気はします。

ちなみにこの発表をしたとき私が「金正恩は好戦的」と説明すると、会場から「これだけで好戦的というのはおかしい」との質問が出た。

韓国ではどう分析されていたか。以下次回に

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