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2013年5月30日木曜日

張成沢更迭の可能性も 月刊朝鮮

韓国語からの翻訳だが、もっともおいしい部分はWEBでは公開されていない。

入手した後訳すことにしよう。人民武力相が交代し、張成沢も交代させられるかもしれないという見立てだ。中国にも特使で行かなかったし、存在感が低下しているのは間違いない。

月刊朝鮮]権力指導部に異常気流“ 金正恩は補佐に失敗した、張成沢更迭する可能性も”
ハ・ジュヒ月刊朝鮮記者

入力:2013.05.24 16:20
2013年2月16日金正日の誕生日を迎えて、金正日死体が安置された錦繻山太陽宮殿を訪ねた金氏一家.

左側から金敬喜、崔龍海軍総政治局長、李雪主、金正恩、張成沢.
2013年2月16日金正日の誕生日を迎えて、金正日死体が安置された錦繻山太陽宮殿を訪れた金氏一家.

全世界に類例なしに最も多い耳目が注がれている家だが、最も閉鎖的な一族でもある金氏一家.

2013年5月現在その中ではいったいどんなことが起きているか。

《月刊朝鮮》 6月号が北朝鮮最高権力層の内部をのぞいて見た。

去る5月13日、人民武力部長交替事実が知らされた。
金格植が退いて50代の若い張正男になった。

韓国では国防部長官席に上がったわけだ。
金格植が高齢により引退したことか、更迭されたことか交替背景をおいて色々な分析が出てきた。
対北朝鮮消息筋によれば金格植は更迭されたものという。
開城工業団地操業中断、その以前に3次核実験でUNの追加制裁を受けるようになったことに対する責任がその理由であった。


金格植交替が知らされて何日か後、記者は機密情報を入手した。
金氏一家内部のことであり、北朝鮮指導層の行方と緊密に連結した便りだった。

張成沢.

永らく最高権力層のそばを守ってきた‘小枝(直系家族でないという意味の北朝鮮用語)’、平壌に住んでいる唯一の金日成の職階血縁金敬姫の夫、年齢幼いおい金正恩の後見の役割をしていることで推測される張成沢を北朝鮮当局が更迭する可能性があるという便りだった。

党幹部らの間には金正恩が政治を間違ったのは、張成沢が誤りの補佐したためという世論が広まっているという。

今でもこういう状況なのに、金敬喜がもし死ぬようになったら、その後には張成沢が今の位置を、進んで生命を保全することができるか疑問という話であった。

2002年10月、張成沢は北朝鮮経済視察団一員で韓国を訪問した。
当時肩書は労働党組織指導部第1部部長だった。

張成沢更迭の可能性は何だろうか。

最も大きい理由は金敬喜が現在北朝鮮で占める地位だ。
現在北で金敬喜の位置は単純に‘先王’の妹で王の叔母でない。それ以上だ。
歴史の中の人物と比較しようとするなら朝鮮時代仁粋大妃と文定王后を合わせた程度で見られるだろうか。

張成沢がなくても金敬喜1人で十分に金正恩を補佐できるという言葉だ。
金敬喜が党内部で、覆いだけのパジチョコリ(見せかけ)ではないとの事実を傍証するエピソードがある。

去る2009年4月5日北朝鮮が光明星2号を発射した時のことだ。
金正日と金正恩は10月17日研究所傘下衛星管制総合指揮所を訪れ、発射全過程を見守った。

発射が成功して、金正日は“失敗する可能性もあったのに、成功させた”として研究家らをほめた。

二日後の4月7日今回は金敬喜が衛星管制総合指揮所を訪れ、成功を祝って記念撮影をした。

金敬喜が表部隊で、活発に動きながら、党の核心懸案を取りまとめているとのことを察することができる。

性分(性格)はどうか。

金敬喜を近くで見守った高位北脱出者A氏は金敬喜に対して尋ねると‘金敬喜はぶしつけだ’と話した。

相手が何歳で関係なく本人がしたいとおり遠慮なく行動しながら、生活も非常に不規則だったという。

関連逸話もある。

1990年5月最高人民会議が万寿台議事堂で開かれたのに、その時金敬喜がその中でタバコを吸ったという。

金敬喜でない他の人ならば想像もできないことだ。

《労働新聞》 5月7日付にのせられた写真だ。


乗馬クラブを訪問した金正恩が将軍らを立たせておいて訓戒をしている。
金日成、金正日時期にはこういう場面が外部に公開されたことがただ一度もない。

金敬喜生きている時、権力を固めなければならない金正恩

金敬喜死後云々する話が出るということは金敬喜の健康が良くないという話であろう。
どの程度であろうか。

金敬喜が病気にかかったという事実はすでによく知られている。

去る4月金敬喜に会って来たB氏の伝言を借りれば‘痩せこけて顔がさらに真っ黒になった’とする。
金敬喜は若い時期酒をたくさん飲んだ。

この時簡易悪くなったうえに、金日成家系の3代家族歴、心血管疾患・高血圧・糖尿に苦しめられている可能性が高い。

現在麻薬におぼれている能性もがあるという推測もある。

どうせ医学的に見込みがないから、昏睡状態に陥っていて目覚めれば、会議など公式席に参加するために瞬間的に気勢を上げなければならないためだ。

実際に金敬喜は4・15太陽節行事時は姿を表わさなかったが、5月13日朝鮮人民内務軍協奏団公演観覧には参加するなど動向を見せている。


対北朝鮮消息筋らの間では金敬喜が2ヶ月中に必ず死ぬという分析から2年ほどは生き延びるという予測まで多様な分析が出てきている。

年齢幼くて、海外で幼い時期を送った金正恩を後から支えている金敬喜が死ねば金正日死亡時よりより大きい混乱が起こり得る。

期間の差はあるが金正恩政権が短い時間中に‘アフター金敬喜’を準備しなければならない理由だ。

それなら金敬喜はなぜ夫張成沢更迭世論に積極的に対応しないで、アフター金敬喜時代に張成沢はなぜ消える可能性が高かったであろうか。


根本的な理由は張成沢は金1家で‘小枝’という点だ。
ただの「小枝」ではない。

長い間権力の核心部を見守った‘スーパー小枝’だ。
小枝が生い茂れば陽光を遮れる。

その上張成沢は2004年3月‘分派行為’と権力乱用疑惑を受けて、その後2年間左遷された前歴がある。

2006年9月には平壌、牡丹峰区域で交通事故に遭った。

張成沢が乗っていたS600ベンツをトラックが後から追突された。

トラックの種類はサファリであった。

張成沢は腰をケガして、半月間入院した。

事故の原因は張成沢の車が信号を違反してからだった。

ところが単純事故とだけは見られない。

北朝鮮で交通事故は決してありふれていたことでない。

平壌市内に車を運転して出て行けば道路に車が10台もないと北脱出者らは話す。
北朝鮮だけでなく他の独裁国家でも交通事故は最高権力者の政敵を殺すのに利用される場合が多い。

金正恩政権の序盤期、‘金正恩はカカシで、張成沢が本当に実力者’という主張が提起されたことがある。
事実であろうか。
北朝鮮内部事情に精通した人々は‘韓国で張成沢の地位が膨らんだ’と話す。
北脱出者A氏の話だ。

“張成沢が改革開放主義者と北朝鮮に側近勢力が多いことで韓国では考えるのに、そうではありません。

北朝鮮は幹部中誰が今どこで誰を会っているのかリアルタイムで監視する国です。


張成沢が改革開放主義者としてもそれを誰にさらけ出して表出するのが難しいという言葉です。

監視の下で張成沢の側近勢力が平壌に存在できましょうか。

張成沢を一言で話せば職位はあるが重要な権限はない人です。”
2009年3月金正日が平壌金日成総合大学を視察した。
明確に病者の顔色が感じられた姿だ。

現在の金敬喜の姿が、この時期金正日の姿を連想させると北朝鮮専門家たちは話した。

右側写真は2012年2月15日開かれた中央報告大会に参加した金敬喜.

キム・ジョンウン秘書室長金チャンソンは金敬喜の人

他の北脱出者C氏も金正恩周辺が、張成沢側近で満たされたという報道は誤った分析といった。

昨年始め国防委員会書記室長に任命された金チャンソンと、去る5月金格植の後に続いて、人民武力部長になった若い張正男は、張成沢の側近という主張が出てきたのが、これまは全く根拠ない話という説明だ。

国防委員会書記室長は韓国とすれば大統領秘書室長に該当する席だ。

金正恩の至近席を昨年から守ってきた金チャンソンは妻のおかげだ。

金チャンソンの夫人だったリュ・チュンオクの家は代を引き継いで、金氏一家と親密だった。

リュ・チュンオクの両親のリュギョン数とファン・スンヒは金日成の抗日パルチザン同僚であった。
リュギョンスは6・25当時には北朝鮮のタンク師団長を引き受けた。
ファン・スンヒは朝鮮革命博物館館長を経験した。

金チャンソンの夫人リュ・チュンオクはアルコール中毒で死亡した。
生前に金敬喜と非常に親しかったという。

金チャンソンは、張成沢派でなく金敬喜派で分類しなければならない理由だ。
金チャンソンの息子キム・グァンイルは現在総政治局勤労団体部責任部員である。
張正男もまた張成沢と関連があると見ることは難しい。

張成沢のおいという推測が提起されたりもしたのに、張正男が張成沢のおいならば、年齢を考慮する時、張成沢の長兄のチャン・ソヌ副元帥の息子でなければならない。

チャン・ソヌの息子らは軍でない他の機関で勤務中だ。

最初息子は対外経済協力推進委員会で勤務中で、次男張ヨンチョルはマレーシア駐在北朝鮮大使だ。


張正男は人民武力部長に上がる前、1軍団長だった。
当時上将(韓国軍の中将)だった。

大将でない上将で軍団長を引き受けたとのこと自体がすでに通常でない。
張正男は厄運も避けた。

昨年‘ノック亡命’した北朝鮮兵士が1軍団配下部隊所属だった。

部下が北脱出したが張正男は何の懲戒も受けないでむしろ栄転をした。
張正男が張成沢の人というよりはどんな理由に先知金正恩に寵愛を受け入れた人物で見るのがさらに論理的だ。

張正男は北の慣行に照らしてみた時、国防部長官をするにはだいぶ若い。
70代の金格植で20余年を跳び越えて、50代の張正男を座らせたことは、金正恩が自身に忠誠をつくすだけのことはあって扱いやすい人を座らせて、軍を掌握しようとする計画の一環でみるべきなのがさらに合理的だ。

(以下省略)

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