お知らせ

五味洋治のページです。主に韓国での北朝鮮関連報道を訳していますが、日本語で紹介されない記事を私の目でセレクトしています。私の執筆活動、経歴についても掲載しています。最近のお勧めは、北朝鮮の軍事関連報道です。日本のメディアが伝えていない細かなものまで拾っています。私がかつてここに書いた金正恩の性格分析は今も十分通用します。筆者へのご連絡はこちらをクリックしてください

2014年3月19日水曜日

横田滋、早紀江さん夫妻の会見

アクセスが予想以上に多いので、後半を大幅に割愛しました。再利用に責任が持てないためです。

Q,今回面談が実現して感想

A,滋 これまではテレビ等で姿を何回も見てるのですが、実際にナマの人間を見るのは初めてです。それで、初め見たときには14,5歳の子どもだったのが、大人になって背の高さも早紀江よりちょっと大きいぐらいで、私にも妹がたくさんいるが、前に見たときは面長だったのが、まんまる顔でやはり同じような家系なんかなあ、という感じを受けた。子どもが昨年5月に生まれておりますから、10カ月の子どもがひ孫がいまして、歩行器みたいなのに入って、速いスピードで歩き回っていた。体重も11キロで、あのぐらいの子どもでそんなに太った子は見たことのないぐらいで、私たちにもよくなついてくれた。会うことができてよかったと思っている。

早紀江 本当にウンギョンちゃん、最初はへギョンちゃんと言われていましたが、「なんでへギョンと呼ぶのですか」というぐらい、ウンギョンちゃんというそうです。やっぱり、めぐみちゃんの若い頃、私たちは見られなかったのですが、若いときの恵によく似てるな、と感じるところが多かったし、赤ちゃんも思いがけなく大きく、元気で今主人が話しましたように、歩行器で部屋中を走り回っていて、なんか夢のような、…が実現したという、私たちにとって奇跡的な日だったと思っています。たくさんの方々にご尽力していただいたおかげだと感謝しています。やっぱり、希望していたことがかなえられたということが、私たちには本当にうれしくて、両方が肉親として、祖父母と孫、そして夫に会いたいと思ってきたことが静かに実現したことが、非常に私たちにとって喜ばしいことであり、不思議な瞬間で一つ一つに感動しながら過ごした夜でした。

Q,ひ孫もいたが同席したのは?どんなやりとりがあったのか?

A 滋 月曜から金曜まで5日間、旅行したのですが、5時間ぐらいで着くというのが、偏西風が強くて6時間ぐらいかかり、かなり遅く着いて、その日は本当にちょっとだけ顔を合わしただけですが、火水木の3日間はずいぶん長い間会うことができました。私たちは3階で、ウンギョンさんは4階、食堂が2階にあったわけですが、ほかに宿泊客がいなかったものですから、ずいぶん長い間、話をすることができましたし、それから、ウンギョンさんが本当に最後の日はただ帰るだけでほとんど話はできませんでしたが、自分で持って来た野菜なんかで昼食を作ってくれたりして、かなり長い間話をすることができました。同席したのは、通訳とウンギョンさん夫妻、それから赤ちゃんがいて4人ですか。それから、こちらの方は2人と外務省の方が通訳をしてくださいましたので、3人と。いってよかったと思っています。

 早 あまり込み入った話はできませんけども、会いたかったということで、いつもめぐみの面影を浮かべながら、本当にいつもと変わらない感じで特別緊張することも動揺することもなく、本当に孫がいたらこういう感じだったんだ、と。むこうもいつもにこにこして、話してくれましたし、冗談も話してくれたし、もう私たちが普段やってるのと同じような変わらない感じで、前から一緒にいてるような感じで、なごやかにお話させていただいて、本当にうれしかった。赤ちゃんといっても10カ月ぐらいで、歩行器に乗って1人で部屋中を動き回って、ご機嫌でにこにこーと笑って、きゃーと言いながら、邪魔をしないで1人で遊んでる感じで、おおらかに歩き回っていてくれていい子だなあと。孫と会うというとこに、まさかそのひ孫が現れたということ、ウンギョンちゃんが突然テレビに出てきたときと同じようになんと不思議なことが起きてるなあ、という思いでいっぱいでしたけれども。本当に願っていたことが実現されたということで、うれしく思っている。

 Q,めぐみさんの安否情報は

 A,滋 やはり、仮に知ってたとしてもあまり話せないと思いますから、政府の発表によると亡くなってるんだ、ということを言ったぐらいで、あまりコメントはなかった。

 早 政治的な問題が絡む場にしたくなかったので、私たちは本当に肉親同士が再会したという穏やかな温かな雰囲気でありたいと思ってたので、ちょっと端々に聞くような形で、話したことはありますけど、なかなかそういうことはあの国の中で育だったことですし、……私たちも分からないし、それと同じように分からないみたいで、あまり言わない方がいいのだなあ、という思いで、気配とかを見ながらこんなに元気でいるんだから、きっと元気でいるに違いないとまたあらためて自分でも思い返し、細かいことは聞きませんでした。今もこれまでと同じような状態ですけど、分からない、けど、前と同じようにこれからも信じていきます。

 Q,面談に至ったいきさつは

 A,滋 一昨年の秋だったかと思うが、現在、私たちがへギョンさんに会いに行くと噂が流れたことがあった。その時に安倍さん?民主党の総理?の人にお願いしたという噂と、それは政府の方から呼びかけをしたんだけど、我々が行かなかったんだという噂が流れたことがありました。会いたいという気持ちは以前からありました。それで、今回でも我々が松木さんのお母さんのように高齢で力がなくなっていくこともありますし、夫婦揃っているのは私のとこと有本さんだけなんです。後はみな、被害者の方はみんな片親か亡くなったもんですから、できれば何かの機会に会いたいということで、お話していましたら、時間がかかりましたけど、セットしてくださいましたので、ありがたく思っている。それと、その話が出た直後に赤十字会談が開かれることになって、その時に外務省からも交渉する機会が出てきたので、この話があったからそれができたということではないんですけど、しかし、大きなことがあって、両国がその結果また、以前のような交渉が開かれればいいな、と思っている。

 (中略)

 Q,朝日北野 ご家族について夫とひ孫、お名前とか仕事、近況は?

 A,滋 名前を聞いただけでは分からなくて、赤ちゃんもなんか燕っていう字を書いてるとか、名前は聞きましたけど、紙に書いておりませんので、覚えておりません。それで、ご主人もウンギョンさんも金日成総合大学という、北朝鮮では一番いいと言われている学校を出て、2人ともコンピューター学科で、先輩後輩だといってまして、自宅から歩いて10分ぐらいのところに務めていると言ってましたが、優しい感じの方で、赤ちゃんがちょっとなんかするときには抱いてくれたりして、本当に優しいいい人と結婚できたと、うれしく思いました。

 A、早 主人が言ったことぐらいで、細かいことはなかなか聞けませんで、私たちも、でも、一つ一つの交流を気持ちの上で大事にして、細かいことは…… 私たちのことも、小さいときのこととか、めぐみちゃんの小さい時のこととか、「よく似てるんですよ。そっくりね」とか、姿を見ながらそういう話が主だったので、そういう名前とかことは聞きませんでした。

 Q、ひ孫は娘でしたか?

 A 早 女の子です。私たちにとっては男の子ばっかりの孫なので、今4人いますけど、本当に初めて女の子をだっこできたと喜んでね。だっこすると本当に重いんですよ、11キロありますから。もうちょっと肩とか腕にいっぱいサロンパスを貼ってるんです。痛いんで長い時間はだっこできませんが、初めて女の子をだっこして、ちょっと危なげな感じで喜んでだっこして。ニコニコニコニコ笑ってくれて、楽しい時間を過ごさせていただきました。

 Q,11年半かけて会うという決断をして、あらためて決断をしたときの期待と緊張、気持ちを

 A,滋 ウンギョンさんはできれば北朝鮮へ来てほしかったと言ってました。そうすれば、どこへでも案内できるのに、と。そうするとどうしても動く範囲が限られてきますので、そういうこと言ってもらったら、我々も初めにいろんな瀋陽でするとかいう話もあったんですが、結局、ウランバートルでするということになった。やっぱり、距離が遠くなるので、話をする時間が少なくなったかもしれませんが、しかし、帰る日そのものは時間的余裕はありませんでしたけど、3日間は一緒に暮らしまして、通訳の方も気を使ってくれまして、私たちの部屋に例えばアルバムを持って来て、赤ちゃんの写真を見せてくれたり、料理を作っているのをみたりとかできたので、充実した3日間でした。

 早 向こうへ行くという、会いに行きたいという思いはずっと持ち続けてまして、もう特に死ぬ前に会いたいというのがあったので、でも向こうの国に入っていくことはできない。やっぱり、難しいなと思ってますので、ほかの国で会えたらいいなあ、なんとか元気な間に会いたいなあというのはいつも思っておりました。私たちの体力も弱ってきているのは分かってましたので、ここしばらく何年かの間に、会わないともう会えないなと思ってましたので、思いがけなくぎりぎりの時だと思うんですけど、さすがに疲れまして、本当によいタイミングで奇跡的にと思えるほどで、よかったなあと。しかも第三国で、向こうは大変だったと思いますけど、小さい子どもを連れているので、むこうにいれば動かなくて、それは気の毒なことをしたと思いますけど、若いですから、頑張ってもらって、私たちも元気で帰ってきてお話しさせていただけている。

 Q、NHK 会ったのはどこの施設か。今後、再会の約束は

 A,滋 場所はウランバートルの市内で、1回だけ外に出て、周りどんなところか、とおもっていったら,山が岩みたいで木がほとんど生えてないんですけど、亀?がいるようなところがたくさんあって、岩があるところを見ることができました。再会の約束というのはできませんが、会えるようになったら日本にも来て、ディズニーランドみたいなところに連れて行くし、北朝鮮にも訪ねて行きたいと思っているという話をした。

 Q,施設の名前

 A 滋 よく分からない。ホテルのような感じのところ。

 Q,先月、キムジョンウン氏が早く拉致問題を解決してほしいとおっしゃっていた。今回このようになって、体制に変化を感じたか?

 A,滋 国連の……… キムジョンウンが変わってきたかは分からないが、いったん立派な決意をしたが、それを日本の方が弱くするようなことを決議したようなことを聞いた。分かりませんが、今回、行って被害者だけじゃなくて、子どもの子どもにまで会わせたということは人道問題に関心が高くなってきたのかもしれませんね。そうなれば、(赤十字の日朝協議のこと?)… これから先、見守って行きたいと思いますが、まだ、きょう発表したばかりで、これからどういう風に反応してるかが分かりません。

 早 今回のウンギョンちゃんとの再会は当たり前のおじいちゃんとおばあちゃんと、そこにいる孫、本当の孫とは離されたままになった、めぐみちゃんのことも全くまだ見えませんが、元気で生きているうちに血のつながった子に会いたい、という思いが叶えられたという普通のごく当然のことを成し遂げてくださった、私たちの希望もありまして会わせていただいたということが一番大きなことで、それを政治としてどうしようとかそういうことは私たちは分かりませんので、いい方向になるために用いられていくならばそれは両国にとってもいいことなので、それは私たち国民全部がこれからの政治活動を姿勢とか外交の展開とかは私たちだけでなく、マスコミ方も含めてじっと見つめてちょっとおかしいんじゃないですか、とかこうだと思いますよ、ということを発信していただければありがたいと思う。

(中略)

 Q,ウンギョンちゃんが、めぐみさんの小さい頃の写真で似ていたものは。

 A 早 写真というよりも歩行器に乗って自由自在に歩き回ってるんですね。そういうときに、首を振って自分で歌うような形で(体を揺らして説明)そういう仕草をめぐみちゃんが、同じ頃に、ひょっこりひょうたん島という番組があったと思うのですが、それを見て、テレビの画面にしがみついて、危ないからそこにテーブルを置いて、こうやって、そっくりで涙がでてきて、よく似てるので、「よく似てるのよ」とそんなことがあったのよ~っていったら「はー」って笑ってましたけど、いろんなところに娘の姿を見て、なんでめぐみちゃんがあそこに出てこないのかな、というのが一番つらいですね。

 Q,(聞こえず)

 A,滋 実際想像していた姿と違い、健康的な子どもだったので、よかったと、満足するというより安心をしたということです。北朝鮮は栄養状態が悪いといわれてますので、そんなことは全く考えられないような健康的な子どもだったので安心しました。

 早 想像できない社会なので、孫で15歳の時に写真を見てどうなったのかなあと、もう結婚して家庭を持ったようなことも聞いてたのですが、本当に想像以上に健康で、明朗で非常にはきはきとしてて何でも普通に話ができる、気楽にみんなと同じような感じで話ができる感じだったのでうれしかったし、家族全部が心配していたような、弱いとかではなく、平和に元気いっぱい暮らしてるんだということを見たときに、死亡だと言われた人たちも、めぐみちゃん含めてこういうふうにどこかで守られて元気で暮らしていてほしいなあ、と。本当にそういう風にしてみんなが現れてくれたらどんなに家族は喜ぶやろうな、という思いで見ておりました。

 Q,最後の別れの時にはどんな風に

 A,早 見送ってくれて、門のところまで。私は希望をもってよね、どんなことになるかわからないけど、希望を持っていましょうと、希望ですよと手を握りしめて、笑いながら別れて来ました。

 Q,テレ朝 めぐみさんの消息がしれたのが17年前、この歳月の感慨は

 A,早 私たちは北朝鮮にいると分かる前の20年というのがあります。全く見えない20年。そして、そこでよかった、やっぱり生きてるんだと分かった中での17年があり、元気な女の子が出てきて、本当に不思議なことばっかり、ショックの受け続けなんですけどね。やっぱり希望を持って、悔しいことはいっぱいありますが、その中で希望を持って何にもわるいことしてないんだ、ほんとに一生懸命生きてるんだという思いで、めぐみちゃんのことも含めて、 …何にもわからなかったんですけど、孫たちのことも含めて、ちゃんと助けられてる人もいるんだ、ということで希望がわいて、きっとみんなも私たちも一緒に、差はあるかもしれませんが、きっと元気で頑張ってるんだろうな、と思いましたので、希望だということだけを思って帰ろうと。本当によかったと思っています。

 滋 めぐみのことが分かったのは97年の1月なんですが、いろんな情報が入りましたけど、それをみるとホームシックにかかって病院に何回も入ったとか、そういったニュースがほとんどで、最後は病院で、医師が用事ができて帰ったときに首つり自殺をしたと言うことが出てますので、やっぱり不幸な生活だったといわざるを得ない。それは?さんが手伝ってくださった部分もありましたが、やはり病気みたいな生活だったと思います。ほんとうかどうかは確認できてないが、そういうことから思えば時代が違うせいか、ウンギョンちゃんは明るくて、しゃべりますから、2人を比べてみるとウンギョンさんには幸せなんじゃないかと思われます。

 Q,めぐみさんがいなくなり、時を経て新しい家族が

 A,滋 それは、いろんな噂から結婚して女の子ができて、めぐみ自体がよく病気になったので蓮池さんらが助けてくれたので、世間では蓮池さんが育ての親じゃないかなあ、と言ってましたが、蓮池さんの奥さんにお礼を言ったら、それは違いますよ、とお互いに子どもを預かったりするのが当たり前です、とそんなことは心配しないでください、とおしゃってくださった。これだ正しく伝えられているのかは分かりませんが、もしかしたら向こうは死んだことにするためにそういう話を作ったのかもしれませんし、やはりそういったことはありがたく思いますが、あまり幸せな生活でなかったんだと思います。

 早 こんな不思議な人生を歩む人はあまりいないのではないかなあ、と思う人生を与えられてるという感じがしました。ショックが大きい、のに始まってあらゆるショックを受け続けているんですが、ウンギョンちゃんが現れたことと、めぐみが北朝鮮にいるということとそして、それまでに死亡説がでたり、骨が帰って来てショックを受け、それが違ったということでほっとしたりとかあらゆることがあって、どなたがこういう状況に置かれたときにどのような生き方をなさるのかと思いながらきました。というのは、自分がここまで来られたことが、ほんとうによく生きてこられたなと思うほど助けていただいて、たくさんの方に支えられて今日があるんだと感謝しているし、その後にまたこんな大きなことが与えられている、また絶対希望を持って、今度は8人の人が元気でいたんですよ、と現れて帰って来てくれたら、もっとたくさんの人がいるんですから、このことを通して何でもいいから11年からだまって、いろんな人が待ってて何にも動かないのはよくないから、どんなことであれそこから一つでもいい方向に向いていくように外交をきちんと整えていただいて、そして政府間で話ができて、交友関係ができるようになればいいな、と思いますが、それは我々には分からないことですから。みんなの問題なので、だれもこんな風になっていただきたくないので。きちっとそれはしていただきたいと思う。

 (中略)

 Q,めぐみさんの旦那さんの消息は

 A,キム・ヨンナムさんですね。今回は一切名前も出ません。くるんじゃないかという噂もあったが、実際はありませんでした。話題にしなかったというか。

 Q,面会された場所は、宿泊された場所と同じか?施設の中だけか?

 A,滋 数時間だけ外へ出て、岩があって庭だったか原っぱばっかりだったんですが、立派なビルもあって。

  早 むこうはねやっぱり外に出ないと。赤ちゃんもいて大変だから。2人は時間はありますし、いつもいつも一緒にいても疲れるから、赤ちゃんも泣くしね、時々、お昼の時間とかはゆっくり休んでくださいと。その間、時間があるのでちょっとだけ外へ行きませんかということで、連れて行っていただいて、ちょっと珍しい砂漠のようなとことか見せていただいた。

 Q,会った際に写真や動画をとったか?

 A,滋 それは、小さいのでたくさん撮りましたけど。写真そのものは仕上げておりません。

 早 そういうものはまだ出さないという約束で、こちらも、私たちは出したりしないということになってる。

 (後略)

0 件のコメント:

コメントを投稿