お知らせ

五味洋治のページです。主に韓国での北朝鮮関連報道を訳していますが、日本語で紹介されない記事を私の目でセレクトしています。私の執筆活動、経歴についても掲載しています。最近のお勧めは、北朝鮮の軍事関連報道です。日本のメディアが伝えていない細かなものまで拾っています。私がかつてここに書いた金正恩の性格分析は今も十分通用します。筆者へのご連絡はこちらをクリックしてください。コメントは実名以外受け付けません。

2015年5月14日木曜日

玄永哲、一躍出世から電撃処刑までの歩み

http://blog.donga.com/nambukstory/archives/106261

東亜日報の脱北記者の分析。一時は功績を挙げ、金正恩に気にいられたが、どんどん力を削がれたという。


byチュ・ソンハ記者2015-05-14 12:22 am

金正恩に対する不敬・不忠罪で残酷に処刑されたと知らされた玄永哲人民武力部長は金正恩が北朝鮮の権力を譲り受ける過渡期に大きい功績を立てて、常勝疾走をした人物だった。

2008年8月脳卒中で倒れて約2ヶ月ぶりに回復した金正日は、その時から本格的に金正恩に権力を委譲し始めた。
北朝鮮消息筋によれば2008年11月金正恩は軍部を一番先に譲り受けたし、翌年3月まで保衛部と偵察総局も自分の手中に掌握した。

軍指揮権を受けた金正恩は“祖国を裏切って国外逃亡する人間をなくす”とお父さんの前で約束した。
自身の能力をお父さんから証明するために掲げた初めての課題であったことだ。

当時は2006年2000人を越えた韓国入国北脱出者は、毎年数百人規模ずつ増えていた時であった。
当時白頭山から新義州まで国境警備を管掌する8軍団長だった玄英哲と金正恩の縁はこの時から始まった。

玄永哲は“警備隊員が北脱出の試みを申告すれば、北脱出を試みるものから受けたわいろは絶対奪わないで、むしろ労働党入党と昇進をさせてやる”という北朝鮮で想像するのが難しい破格的な制度を導入した。
これは途方もない効果を出した。

このため軍人らがわいろを受けた後、北脱出者を申告する事例が急増して、お金があっても北脱出が不可能なことは状況が作られたとのことだ。

国境警備隊と北脱出者の間の信頼関係が切れて、2009年2914人だった北脱出者数字は2010年2401人で減ったし昨年には1396人で大幅に減った。

2009年数十ドル程度に過ぎなかった脱北費用は2015年現在8000ドルに肉迫する。

それもこのお金を渡した後、逮捕されないかという不安感のために活発に取り引きがなされないでいる。
北脱出者と国境警備隊間に不信を作って、北脱出を抑制した功労で玄永哲は金正恩の目に入って、1線軍団長出身でないことにも2010年9月人民軍大将兼党中央委員に任命された。

金正恩は2012年7月軍部1人者であったイ・ヨンホが軍総参謀長が粛清されるや彼を後任総参謀長に任命した。
玄永哲の階級も副元帥に上がった。

この時が彼の全盛期であった。

玄永哲は一躍出世で総参謀長に上がったが、軍部管理を金正恩の思い通り上手にできなかった。

金正恩は金正日死亡哀悼期間が終わるやいなや、軍部手中にあった途方もない規模の外貨稼ぎ権限を自分の手中に入れようとした。

当然軍部は反発した、こういう既得権の衝突がイヨンホ粛清まで続いた。

総参謀長に上がった玄永哲は、金正恩と張成沢の意により、軍部の金脈を素直に譲り渡して反発も叩かなければならなかった。

2012年8月無道を訪問した金正恩は軍人らの栄養状態が良くないという理由で玄英哲を現地海岸砲重大中隊長で1ヶ月の間過ごすようにして階級も副元帥で大将で降格させた。

ここに終わらないで2013年5月玄永哲は前方軍人3人が相次いで亡命し、その責任を負って前方5軍団長に左遷されたと知らされた。
階級もまた上将で降格された。
昨年6月また人民武力部長席に上がって大将で復権したが、これは彼の最後の職責になった。
結論的に見る時、玄永哲は金正恩の目に入った初めて‘能力ある将軍’だった。

だが軍部全体を治めるのに限界を示したし、降格と福建という金正恩の‘超星遊び’に不満を抱いて命まで失うようになった人物で評価することができる。

0 件のコメント:

コメントを投稿