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五味洋治のページです。主に韓国での北朝鮮関連報道を訳していますが、日本語で紹介されない記事を私の目でセレクトしています。私の執筆活動、経歴についても掲載しています。最近のお勧めは、北朝鮮の軍事関連報道です。日本のメディアが伝えていない細かなものまで拾っています。私がかつてここに書いた金正恩の性格分析は今も十分通用します。筆者へのご連絡はこちらをクリックしてください

2015年12月6日日曜日

張成沢粛清の舞台裏 月刊朝鮮

長すぎて丁寧に翻訳できません。全体的にこれまで報道されてきたことの延長という印象。金敬姫が夫の処刑に反対したという当たりが新しいか?

http://monthly.chosun.com/client/news/viw.asp?ctcd=H&nNewsNumb=201512100027

張成沢は2013年12月12日国家安全保衛部特別軍事裁判で死刑の宣告を受けて処刑された。
北朝鮮の権力実力者で呼ばれた張成沢が突然に逮捕,処刑されたのも2年が過ぎた。
2013年12月9日緊急招集された労働党非常会の場所で労働党行政府長であった張成沢が国家保衛部要員に逮捕されて引っ張られて行く写真が公開された。
4日後彼は処刑された。

張成沢処刑事件は国内外的に大きい衝撃を与えた。
彼がなぜ,誰の主導によって,処刑されたのかは皆の関心事になった。
その間張成沢処刑は労働党組織指導部が主導し金正恩の叔母金敬姫の同意を得て決定されたとのことが定説だった。

組織指導部と金敬姫が張成沢処刑を反対したとすれば金正恩が果たして張成沢を処刑できたかの常識的な判断にともなう観測だった。

果たしてそうか。

最近張成沢と永らく親密を維持してきた北朝鮮労働党核心幹部1人が入国した。

彼は張成沢と親しかったが保衛部にあらかじめ手を回して,張成沢による被害をこうむることはなかった。
だが普段に好きだった張成沢と多くの知人らが処刑されるのを見て金正恩に対する背信を感じたし,結局北脱出を敢行した。

この高位北脱出者と北朝鮮内消息筋によれば張成沢処刑過程にとても複雑な事件らがからまって,終盤まで多くの幹部らとの調整があったが,結局金正恩が周囲の話を聞かないで自分の考えのとおり張成沢処刑を執行したという。

金正恩が張成沢処刑を決心するようになった理由は大きく3種類で見られる。

最初に張成沢が最高指導者に対する権威に正面から挑戦したということだ。
張成沢の罪行中で彼を‘1度’と称しながら,部下らが彼を持ち上げるようにしたという大きい課題がある。
これはある程度事実と見られる。

張成沢の核心側近の労働党行政府副部長リ・ヨンハと張スギルは事実上金正恩の指示より張成沢の指示を優先した。
その過程で元に戻せない事件が広まっていて,張成沢処刑に口実を与えた。

張成沢部下部隊と人民軍の銃撃戦

2013年8月頃黄海北道海岸地域の人民武力部が管掌するミサイル基地のそばに党行政府貿易機関があったという。
ミサイル部隊は行政府貿易基地撤収を要求した。
行政府側がこの要求を拒否した。

両側の葛藤が激しくなったあげく行政府が管轄する人民内務軍(国内治安部隊)とミサイル部隊兵力が銃撃戦まで繰り広げた。

該当ミサイル部隊は人民軍総政治局を通して,金正恩にこの事実を報告した。
当時人民軍総政治局長崔龍海は自分より権力序列は低いが、はるかに強力なパワーを持っている張成沢を嫉妬していた。

崔龍海は金正恩にこの事件を報告しながら,張成沢の労働党行政府が管轄していた人民内務軍兵力を人民武力部で移管しようと建議した。

金正恩がそのようにしろと指示した。
崔リョン解義命令を持ち上げた総参謀長リ・ヨンギルは最高司令官命令を敬って党行政府に訪ねて行った。
張成沢はその席にいなかったしリ・ヨンハ,張スギルなどがリ・ヨンギルを迎えた。

二人は最高司令官の命令文を読む時には立ち上がって,よく聞いていたのに,命令書朗読が終わった後にこの決定を張成沢同志と相談してしたのか?”と問い質した。

リ・ヨンギルが“最高司令官の命令なのに狂ったか”といって,張スギルも“最高司令官だろうが何だろうが…”と正面から受けた。

崔龍海はこの日事件を金正恩に報告しながら“厳重に事件を総化しなければならない”と主張した。

もちろん張成沢を処刑まで推し進めようとする審査ではなかった。

張成沢にライバル意識を持っていたが,金正恩が張成沢を処刑まですることでは想像さえできなかった。

だがすでに金正恩は張成沢と彼の部下らに怒りを隠さないでいた。

20万人民内務軍創設

二番目は中国から飛んできた張成沢に対する報告書であった。

張成沢の右腕だった駐中北朝鮮大使チ・ジェリョンが張成沢と中国間の非公開協力文書らを金正恩に送ってきたのだ。

中国側は張成沢を未来の指導者で事実上認めたし,張成沢はこれから北朝鮮が行く道は中国式改革開放だと認識したという。

一歩進んで張成沢は中国指導部に金正恩が中国式改革を拒否する場合彼を権力の座で引き出すこともできるという考えを暗に伝えたという。
チ・ジェリョンの報告を受けた金正日は爆発し始めた。

三番目は張成沢が実際に金正恩の権力に挑戦する勢力化を試みたという点だ。
当時保衛部は張成沢の罪中一つで国家の主要機関を自身が管掌するようにしたとのことを選んだ。
実際に張成沢は自身の勢力を構築していた。

労働党行政府が管掌した人民保安部(警察)の高位層幹部らを張成沢側近らに交替した。
人民内務軍を創設して,約20万兵力を張成沢が直接指揮しながら,張成沢と側近らは張成沢を信じて頼ってもかまわないという考えを持つようになった。

人民武力部所属‘勝利’貿易会社を党行政府54部に変えてその場に側近張スギルを任命した。
中国に売る石炭輸出権を独占,年間5億~10億ドルの収益を得ながら,党行政府54部は金正恩の秘密資金部署の党39号室を見下げるほど資金力が大きくなった。

張成沢は当時金氏一家の個人所有物だった党38号室を解散して民間に越した。
金氏一家が専用した‘8号’,‘9号’農場を解散して,それも民間で移管した。
張成沢は過度に金氏一家のために集中した不条理な機構らを体系的に整理しながら,国家を正常化させようとした。

このようなものなどを国家保衛部は張成沢の権力拡大で見た。
金正恩も張成沢が自身の金脈とパワーを徐々に食べて入ってくると見ただろう。

39号室から先に検閲して,放心させて

北朝鮮朝鮮中央TVが2012年9月2日報道した金正恩の大同江イル工場現地指導ニュース.

張成沢除去作戦は労働党39号室検閲で始まった。
労働党組織部の39号室検閲は党行政府54部を検閲するための名分積むことであった。
ある高位北脱出者は“当時党行政府検閲は事前に39号室を先に検閲して進行したことだったために張成沢側近らは格別疑いなしで検閲を受け入れた”と話した。

あたかも朝鮮時代首陽大君とキム・ジョンソの対決のように誰が先に相手方を攻撃するかにより悲喜が交錯できる重大なことが行われていたが,張成沢と彼の部下らはとても安易にこの事件に対処していたのだ。
金正恩は巨大に大きくなった張成沢勢力を一撃に押し倒そうとするなら蛇の頭の張スギルとリ・ヨンハから除去しなければと判断した。

国家安全保衛部長金ウォンホンは金正恩の指示をムダ口なしに執行したし張スギルとリ・ヨンハを取り調べして,全てのものを自白受けた。

11月中旬頃張成沢も逮捕した。
この時まで金敬姫は事態がどのように変わるのか全く感知できなくなっていた。
そうするうちに張成沢の側近によって,仕事が険悪に帰っていることを知るようになった。
彼は夫の処理有無を確認しようとしたが誰も彼に答を与えなかった。
金敬姫は始めて事態が深刻に帰っているのを識別した。

金敬姫は党組織部第1部部長チョ・ヨンジュンに電話をかけて“張成沢の誤りを認めて,職責で追い出して,追放することまでは理解できるが,彼を殺すのは絶対に同意できない”と強く話したという。
党組織部も金敬姫の意見を受け入れた。

組織指導部は論議の末に張成沢を処刑するのは困るという立場を金正恩に伝達した。
長い間金正日の下で専門分野が強い党組織指導部幹部らは金氏一家の忠犬だが,してはならないことがどんなものなのかは判断できる人々だった。

彼らは張成沢処刑を放っておけば金正恩の将来により大きい禍根を呼び起こすこともできると判断したので忠実な気持ちの気持ちでそのような提案をしたのだ。

党組織指導部の意見にも金正恩が張成沢を処刑しようとする心を変えないので金敬姫は理性を失い始めたという。

高位北脱出者は金敬姫が金正恩に向かって“君が人子か?”として乱暴を働くほどやけくそになっていたと主張した。

しばしば北朝鮮の人々は当然金敬姫が金正恩の方に立って反逆者張成沢を処刑するのに賛成したことと考える。

だが金敬姫は単純に体制に順応する人でない。

自由な生活を送って自身の意見を他人に強要できる位置にある人だった。

金敬姫と張成沢間の夫婦仲が大いによい方ではなかった。
しかし金正日が死亡した以後からは夫婦が共に平壌市所々を通いながら,人々に会う姿が捉えられた。
張成沢が死ぬ前には夫婦関係がだいぶ回復したという。
金敬姫は健康が悪かったために人生晩年に夫を頼るようになったし幼いおい(めい)のためにでも過去のことは埋めて置いた状態だったという。
張成沢を処刑するということは金敬姫が反逆者の夫人になるという意味であった。
これは金正日が分かったとすればカン蓋を開けてむくっと起きることだった。
張スギル,リ・ヨンハは初めて4シーン高射砲(銃)で処刑された。
4シーン高射砲の弾倉には銃身当たり60発が装填されるから総240発が装填される。
こういう高射砲4問を剛健軍官学校に移ってきた。
張成沢はからだが縛られたまま処刑される張スギル,リ・ヨンハ二つの部下の前にひざまずいて座らせた。
死刑執行観の指示により発砲命令が下って,1000余発の銃弾が二人に飛んで行ったし,死体は粉のように消えてしまったという。

張成沢の顔で張スギル,リヨン下衣血と肉がそのまま飛んできて,血まみれになったし,張成沢はその場で卒倒したという。

このような光景を目撃した労働党幹部らはその惨めさに歯ぎしりしたし金正恩がどれくらい正しい考えでないか初めて知るようになったという。

その後の朴サンホン人民保安部(警察庁)政治局副局長は火炎放射器で焼き殺したという。
彼は張成沢の別荘まで作って捧げたし,張成沢のために喜び班まで作ろうとしたことが分かった。
金敬姫は住んだか,死んだか?

張成沢の妻の金敬姫前労働党軽工業部長.

張成沢事件以後金敬姫の存在も消えた。
国家安全保衛部は金敬姫に関する小さな流言飛語が出回っても最後まで追跡して,処罰している。
金敬姫が張成沢を殺すのに賛成して出て顔を上げることができなくて大衆の前に出られずにいるという噂が飛んだりもする。

金正日の唯一の妹であり‘白頭血統’の嫡統おとなの金敬姫が金正恩の行動を反対したとすれば民心の流れが非常に悪化する可能性が高い。

金敬姫が引き受けてきた労働党軽工業部も没落した。

金敬姫の右腕と左腕を自任した軽工業部の副部長,課長らがぞろぞろ処刑されて地方で追われて行った。
党軽工業部で管掌した人民生活必需品収入貸金3000万ドルも金正恩勢力が回収したために現在党軽工業部は現金が完全に枯渇した状態という。

このような状況を見ながら,労働党幹部らは金敬姫がどれくらい危険な状況なのか推察できるようになったという。
筆者が会った高位北脱出者はすでに金敬姫が死亡したと主張している。

金正恩が金敬姫を毒殺したともする。

金敬姫を自然死するように放っておくにはとても危険だという判断をしたためだ。
金敬姫が夫を惨めに殺した金正恩に毎日のように激しくののしったのでこれを放置する場合金正恩のリーダーシップに大きい問題が発生するようになる。

金敬姫は崔龍海と金ウォンホンを訪ねて行っても乱暴を働いたのに,二人は金敬姫に何の話にもならなかったという。

常識的に金敬姫が死んだとすれば,葬式がなければならない。

まだ葬式をしないことと見て,金敬姫は死ななかったという主張もある。

だが彼が死んだと主張する人々は今後も金敬姫が出てくることは永遠にないと話す。
金敬姫が死亡したと判断する根拠中一つは今年7月に行った最高人民会議,地方人民会議代議員選挙候補名簿で金敬姫の名前が抜けたということだ。

92才の金日成弟金英柱が最高人民会議名誉委員長で名前を上げたのに,金敬姫が生きているならば当然彼も高さ推戴されるべきだった。

これは金敬姫の‘政治的生命’がすでに死んだという意味だ。
北朝鮮で‘政治的生命’が死ぬということは肉身が死んだのと同じだ。
張成沢を処刑して出て,数ケ月が過ぎた2014年4月平壌では異例の党組織秘書大会が非公開に開かれた。
組織秘書らだけ別に集めて,会議をするのは非常にまれなことだった。

だから人々は末端組織の組織秘書らまでみな招集したこの大会に金正恩が参加して,彼らを励まして贈り物もふんだんに与えることと考えた。

中央党組織指導部を中心に道党,郡党まで掌握した党組織指導部は事実上党組織の核心中核心だ。
末端郡の党組織責任者は責任秘書だが,実勢は群党組織秘書だ。

国家保衛部,人民軍総政治国など核心部署でも党組織指導部で派遣した組織費からは金正恩の腹心で実際パワーを形成している。

こういう組織秘書らが全国で集まったので北朝鮮の中央党から末端党組織に至るまで核心実力者はみな集まったのだ。

だが実際会議はとても深刻に進行されたという。

北朝鮮内部消息筋によれば組織秘書大会に金正恩は参加しなかった。

会議はチョ・ヨンジュン組織部第1部部長が主導した。
主要案件は張成沢後遺症を清算して組織指導部の役割を強化する問題であった。
チョ・ヨンジュンが金正恩の実際‘言葉’を伝達した。
“その多くの党組織指導部幹部らが張成沢輩がしゅん動するのに何の措置を取らないのは深刻な問題であった”と叱責する内容だった。

組織部が金正恩を守るために存在するのに張成沢と同じ逆賊らをある組織秘書一つ立ち上がって制止しなかったということだった。

金正恩が組織秘書大会を開催するようにしたことはチョ・ヨンジュンをはじめとする組織指導部核心部が張成沢処刑に反対したことに対し叱責でもあった。

会議を二日間進行したのに,参席者らは辛らつな批判闘争だけしただけ,何の贈り物も受けることができなくて帰ったという。

幹部事業担当副部長など処刑

日本のある報道機関は2014年10月6日頃労働党幹部12人が処刑されたと報道した。
筆者が会った労働党高位幹部出身北脱出者はこの事件が張成沢事件に次ぐ大きい事件であるのに韓国や国際社会では大きく知らされなかったと伝えた。

この事件の主導者は労働党組織指導部幹部事業担当副部長だったという。

労働党の核心幹部らを選抜するキーを握っている副部長が処刑されたとのことは普通事件でない。
労働党幹部らイ群れで処刑された事件は非常に異例的だから北朝鮮内でも彼らがなぜ処刑されたのか心配してい
る人々が多かったが,この事件はベールに包まれた。

高位北脱出者と北朝鮮内消息筋によれば彼らの罪目は大きく2種類で圧縮される。
最初に金氏一家が最も嫌いな勢力化だ。

幹部担当副部長を中心に核心幹部らが勢力化されて,仲間同士おして中央の幹部を‘親分’で迎えたとのことは張成沢事件とほとんど類似の形態だったためだ。
ここにかかわった者らは主に黄海道地域労働党核心幹部らであったのに,彼らは中央党で幹部副部長が降りてくればほとんど金正恩水準に出迎えたという。

この幹部のために遊郭までそろえて喜び組のまねをしたという。

この幹部担当副部長は地方党幹部らを任命する基準を金正恩に対する忠誠度でなく自分の勢力の人かを先に把握して任命したという。

二番目,この無理が中国指導部と相当部分非公開交流をしたという点だ。
中国式改革のために中国と手を握らなければならないという内部共感を形成して非公開ルートを通して,中国と内通したのに金正恩がこの事実を知って非常に激怒したという。
処刑された核心幹部は8人に達する。

問題の労働党副部長を中心に課長級2人と黄海道党責任秘書,材令群党責任秘書など地方党責任秘書級が一度に処刑された。

玄英哲が会議中寝たことは麻薬のため
2015年4月26日付《労働新聞》に報道された朝鮮人民軍第5次訓練働き手大会に参加した人民武力部長玄英哲(左側).

彼が会議中寝たことは麻薬のためという主張がある。

去る4月30日頃剛健軍官学校では現職人民武力部長玄英哲を処刑した。
この日処刑場にはファン・ビョンソ軍総政治局長とリ・ヨンギル総参謀長など軍部の核心幹部120人が集結した。
玄英哲を処刑した理由は反党反革命行為,首領に対する‘不遜罪’であった。
対北朝鮮消息筋らは玄英哲が金正恩の軍部隊視察を遠慮なく非難したのが死の原因だと分析した。
金正恩が古い木船に乗って西海海を訪問したことをおいて“リ弔詩対王が御輿(窯)乗って行くのと似ている”という話をしたのに金正恩がその話を聞いて大いに怒ったということだ。
この話は国内言論にも報道された。

だが北朝鮮軍から軍団長まで過ごしながら,永い歳月を軍人ですごした玄英哲が話(言葉)をそんなに軽くする偉人ではなかった。

だからそのような主張には信憑性がないように見える。
北朝鮮は異例の報道機関を通して,玄英哲がうとうとする姿を送りだしたのに,これは彼の罪が直ちにそこにあることを暗示している。
去る4月26日付《労働新聞》が報道した写真によれば,朝鮮人民軍第5次訓練働き手大会主席団に座っている玄英哲は目をとじてうとうとしていた。
北朝鮮当局がこういう不そんな態度の軍指揮官が出てきた写真を外部に公開するのはとても異例的だ。
その場には人民軍核心幹部数千人が参観していたので玄英哲が処刑されたとすれば彼らも皆この事実を知っている可能性が高い。

高位北脱出者らと北朝鮮内消息筋によれば玄英哲が処刑された直接的な理由は過度な麻薬吸入という。
過去リ・ヨンホ人民軍総参謀長を粛清する時も北朝鮮当局は彼が麻薬商売をしたというようで罪を作った。
リ・ヨンホの粛清理由は他のところあったが彼もやはり麻薬にかかわったことは事実と見られる。
麻薬中毒は北朝鮮内部に蔓延しているのに,人民軍高位層でも深刻なほどという。
特に気力が衰弱なのは60台,70代老幹部らが若い金正恩と同行する時,体力を合わせるために麻薬を吸入して出てくるのに,これは秘密も違うという。

この日会議は3時間以上続いたので玄英哲もこの日麻薬を服用したという。

だが麻薬量を調節できなくて過多に吸入しながら,問題が発生したのだ。
金正恩が前に出て行って,演説文を読む終始玄英哲は目を開かなかったしずっと寝ていた。
数千人の軍人らが見守っていたので誰があえて起こすこともできない役割だった。

金正恩は報告書を読みながら,玄英哲をチラッと注目したりもしたのに会議が終る時まで起きなくて,災いをどうすることもできない程怒ったし,ファン・ビョンソに直ちに処理するように命令したという。
玄英哲を処刑して出て,軍高位幹部らの間ではそれに対する同情論が支配的だったという。
皆同病相憐の痛みを共有しているためだ。

若い指導者の機嫌を取るために海水泳,狙撃訓練までしなければならないノー幹部らは体力を維持するために金正恩が出てくる日ならば麻薬でもしてからだを正しく支えていてこそ生き残ることができるためだ。

麻薬屋マ・ウォンチュンは生き残って

2013年12月マシンニョンスキジァンを視察する金正恩.
金正恩右側がマ・ウォンチュンだ。
マ・ウォンチュン右側後方に当時労働党組織指導部副部長だったファン・ビョンソの姿が見られる。
最近金正恩が訪問したラソン旧工事にマ・ウォンチュンがまた現れた。
金正恩周辺から消えて11ヶ月ぶりだ。
北朝鮮内高位幹部らはマ・ウォンチュンだけは神がおりた息子だと話す。
玄英哲のように一生を苦労して麻薬一度で死ぬのに、・ウォンチュンは麻薬中毒で金正恩の呼ばれることも正しく敬うことができなくてでたらめにしゃべる罪を犯しても死ななかったためだ。
金正恩の核心側近マ・ウォンチュンが金正恩に憎しみを持たれたのは彼が設計した平壌,スンアン空港再建築結果のためだ。
もちろん設計図面は金正恩に事前報告して,許諾を受けた事項だった。
だが金正恩は完工を前にしてスンアン空港建設長を訪ねてきていきなり怒りながら,マ・ウォンチュンを叱責した。
金正日が怒った理由は“朝鮮民族の主体性が全くない”ということであったのに,中国の北京首都空港と似るようにさせたためだ。

金正恩の中国に対する反感があらわれたのだ。
他の人のようならばすでに処刑場の境遇だったが,その上にその間功労を認めて,星を二つ程度降格することで終えた。
金正恩の震怒を買っても特別な1,2個降格で終わったことはマ・ウォンチュンが初めてだった。
この時から意気消沈したマ・ウォンチュンは心情をなだめるために麻薬に依存し始めた。
本来麻薬吸入を時折する程度だったが金正恩に叱責にあった以後からは麻薬をせずには耐えるのが難しがったという。
そうするうちに金正恩からかかってきた電話を正しく受けることができなくてでたらめにしゃべる大罪を行った。
金正恩もこれ以上耐えられなかったのかマ・ウォンチュンをすべての職責から退くようにして咸鏡北道山奥農場園で追放した。
そのような彼がまた金正恩のそばに戻ったので人々は彼を見て,神が下した息子だと話すのも無理ではないのだ。
マ・ウォンチュンはもう二度と麻薬には手をつけないという忠誠誓いを金正恩にして復帰したと見られる。
金正恩は玄英哲,マ・ウォンチュンなど核心側近らが麻薬にかかわる事件らが相次いでさく烈して,最近“麻薬と国家公金横領は民族反逆罪”と規定したという。
それだけ高位層麻薬は北朝鮮体制を揺さぶる雷管になっている.◎

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