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五味洋治のページです。主に韓国での北朝鮮関連報道を訳していますが、日本語で紹介されない記事を私の目でセレクトしています。私の執筆活動、経歴についても掲載しています。日本のメディアが伝えていない細かなものまで拾っています。私がかつてここに書いた金正恩の性格分析は今も十分通用します。コメントは実名以外受け付けません。

2018年5月12日土曜日

世界史の流れを変える首脳会談となるか。

http://m.news.naver.com/hotissue/read.nhn?sid1=100&cid=1079165&iid=1292070&oid=081&aid=0002914631
[ソウル新聞]
ドナルド トランプ米国大統領と金正恩北朝鮮党委員長が来月12日シンガポールで開く史上初めて北朝鮮・米首脳会談が地球上に最後に残った‘冷戦の島’朝鮮半島に平和を定着させる世紀の談判になるのか注目される。


2次世界大戦の産物で韓半島分断を招いた冷戦体制はその開始から終息まで事実上首脳会談の歴史につながる。
現代史の主要町角ごとに歴史の水の流れを変えた主要会談を振り返って1ヶ月残った北朝鮮・米会談の成功を推し量ってみる。


2次世界大戦が終りに近づいた1945年2月4日から11日まで米国,英国,ソ連など3台連合国首脳部はロシア クリーム半島の休養都市ヤルタに集まって,従来と戦後処理問題を議論した。

フランクリン・ルーズベルト米国大統領,ウィンストン・チャーチル英国総理,イオシープ スターリン ソ連共産党書記長はこの会談で当時敗戦を前にしてドイツを分割占領することとソ連の対日本戦争参戦問題などを議論した。

●最後に残った‘冷戦の島’朝鮮半島
ルーズベルト大統領は当時開発中だった原子爆弾の効能を確信できなかっただけにスターリン書記長に日本との戦争に参戦してくれることを要請したし,スターリン書記長はドイツが降参した後,2~3カ月内対日戦に参戦することを約束した。
結局この会談を土台にソ連軍が同じ年8月日本を攻撃して朝鮮半島で南下しながら,米国とソ連が38度線を境界で韓国,北朝鮮を分割占領する契機が作られたわけだ。

南北分断を招いたヤルタ会談はソ連が東ヨーロッパに影響力を拡大して西側世界との冷戦が始まった契機に評価される。


1972年2月リチャード・ニクソン前米国大統領と毛沢東前中国国家主席間の初めての米・中首脳会談は閉鎖的共産国家であった中国を国際社会の主要構成員に率いて,今回の北朝鮮・米首脳会談と似ている。

これを契機に朝鮮戦争以後冷たかった米国と中国関係が改善されて米国は台湾が中国の一部という‘一つの中国原則’を受け入れることによって1979年米・中修交まで続いた。
北朝鮮指導者と初めて会うトランプ大統領は当時米国大統領としては中国を初めて訪問したニクソン前大統領と比較されたりもする。

両首脳の出逢いは当時中国と手を握ってソ連を牽制しようとしていたニクソン大統領と当時ソ連との領土紛争で敗れて文化大革命余波で国内外的非難に直面した毛主席の利害関係が合致した結果や実務陣のねばっこい水底交渉おかげで可能だった。

会談前年度(1971年)に米国卓球チームが中国を訪問して競技を行ったこと(ピンポン外交)を契機にヘンリー・キッシンジャー当時ホワイトハウス国家安保補佐官は中国を極秘訪問して,両国の水底接触が開始された。

マイク ポムペイオ国務長官が北朝鮮を二度訪問して,金委員長と会ったのと似た流れだ。

●キッシンジャー秘密接触,ポムペイオ・金正恩出逢いと似た形
金委員長の場合当時毛主席のように一流国家の指導者と認められたい欲があるがそれのために完全に核放棄という決断を下すかは相変らず未知数だ。


反面核放棄なしでは‘非理性的独裁者’という汚名を脱ぐことができないから一種のジレンマに直面した。

1985年11月ロナルド・レーガン米国大統領とミハイル・ゴルバチョフ ソ連共産党書記長の‘ジュネーブ米・ソ首脳会談’も注目する必要がある。

当時米・ソ首脳会談はソ連が1979年アフガニスタンを侵攻して米国は1984年からソ連核ミサイルを宇宙で迎撃するという戦略防衛構想(SDI)を発表して,いつ核戦争がさく裂するかも知れない不安な情勢の中で6年ぶりになされた。


スイス,ジュネーブで会った両国首脳が最も早くしたことは散歩だった。
レーガン大統領はゴルバチョフ書記長が到着するやいなや“新鮮な空気をちょっと飲もう”として散歩を提案したし,両首脳は通訳者だけ同行したまま一時間半の間ジュネーブ湖畔について歩いた。
先月27日南北首脳会談当時文ジェイン大統領と金委員長の‘徒歩橋散歩’が浮び上がる。
両国首脳は当時軍備統制交渉を促進させて後続首脳会談を開く事に合意した。


翌年の1986年レイキャビク首脳会談で両国は戦略核兵器50%縮小などに合意して,1987年には‘中距離核兵器廃棄協定’を結ぶなど冷戦終息の基盤を用意した契機になった。
この外に1989年12月‘マルタ米・牛首脳会談’は米国とソ連の冷戦終息に釘を刺して米・牛両極体制の終焉を知らせた会談と評価される。

ジョージH Wブッシュ(お父さんブッシュ)米国大統領とゴルバチョフ書記長は1989年12月地中海のマルタ海域船上で会って,1945年ヤルタ会談以後持続した冷戦体制を終息して平和を指向する新しい世界秩序を樹立すると歴史的な宣言をした。
両国首脳は東ヨーロッパの民主化と市場経済体制での履行に対してソ連が干渉しないという原則に合意したし,戦略核兵器と化学武器縮小に同意した。

この会談は色々な懸案に対して原則的意見を交換したし具体的協議は次に先送りしたが冷戦を終息させた象徴的意味がある。

その年11月ベルリンの壁崩壊で東ドイツ共産政権が危機に処して西ドイツのヘルムット コール総理が東ドイツに自由総選挙を提案しながら,翌年の1990年10月同・西ドイツが統一された。
1991年にはゴルバチョフ書記長の改革・開放に対する反発によるクーデターが失敗した後,経済失敗と軍備競争でそうでなくても求心力が弱まったソ連体制が崩壊して,米国は単一覇権国家にのぼるようになる。


●‘統一ドイツ’なるまで米・ソ連合意決定的
注目するだけのことはあったことは朝鮮半島と同じように分断国家であった西ドイツと東ドイツが統一以前まで皆7回の公式首脳会談と6回の非公式首脳間接触を実施して,相互信頼を得たという点だ。

ウイリー・ブラント西ドイツ総理とビリ シュトプ東ドイツ総理が1970年会って以来両側は1972年12月同・西ドイツ基本条約を締結して,平和共存の踏み台を用意した。

統一ドイツになるまで米国とソ連の合意が決定的役割をしたという点で朝鮮半島でも終戦宣言の当事者になる米国と中国の調整が必要だという点と様相が似ている。

来月12日北朝鮮・米首脳会談の結果は北朝鮮の完全な非核化のためのロードマップと北朝鮮体制安全保障の水準など具体的実行計画と時点に対する合意が導き出されることと期待される。

外交より取り引きの本能に充実したトランプ大統領,金日成主席や金正日国防委員長と別に果敢で実用的なスタイルの金委員長,そして積極的な仲裁努力を繰り広げる文ジェイン大統領など3者間‘相性’により開かれる会談であるだけに73年にわたった朝鮮半島冷戦体制が解体される可能性がいつの時より高まっている。

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