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2010年10月21日木曜日

張成沢 正恩を囲む人間たち9 聯合ニュース

金正日総書記の義理の弟、張成沢は北朝鮮の中にしっかり人脈を張っているという分析。


金正恩の'後見の'で呼ばれる'金正日ロイヤルファミリー'一員

人脈厚くて体制維持・開放両面経験強力な点
(ソウル=聯合ニュース)ペク・ナリ記者=金正恩後継構図を支えている人物らの中で求心点になるほどの'最高実力者'を選べといえば多くの専門家たちが躊躇しないで張成沢(国防委副委員長兼党行政部長)を指定する。
9.28党代表者会で予想と別に政治局候補委員と中央軍事委員の肩書きを追加するのに終わったが金正恩の'後見の'に通じる張成沢の威勢は少しも弱くならなかったということが大半の意見だ。
張成沢のこういう'パワー'は何より金正日国防委員長の一つだけである妹金慶喜(党政治局委員兼軽工業部長)の夫だというところで出てくる。

金委員長には弟のような妹婿で,後継者金正恩には叔母の夫になるのでそれ自体で強大な力付けられることだ。
張成沢は革命遺児教育機関の万景台革命学院を出たが他のそうそうたる'革命2世'らに比較すれば平凡な家出身だ。
1946年1月咸鏡北道,清津で生まれた張成沢の父親は日帝時反日運動をしたが金日成主席の抗日パルチザンとは関係がないと知らされた。

その上に日帝に対抗した父親の経歴に力づけられて,やっと万景台革命学院を出た張成沢は1960年代後半、金日成総合大学政治経済学部に進学しながら派手な'人生逆転'を味わう。

同じ学部に通った金慶喜と恋人の間になったのだ。
だが二人が結婚にゴールインするまでは迂余曲折が多かったことが分かっている。
金正日委員長の妻の甥の故イ・ハニョン氏が北脱出して,書いた本には張成沢が'話がおもしろく上手にしてアコーディオンを非常にうまく演奏する魅力的な男'で描写されている。

この本によれば金日成主席は二人の結婚を防ぐために張成沢を江原道元山の農科大学で追い出したが、金慶喜の意思を変えることができなくて結局張成沢を婿にする。

その後の張成沢は常勝疾走して,1988年末党青年事業部長に起用される。1995年には最高要職の党組織指導部第1部部長になる。

この時から9年近い期間が張成沢の最初'黄金期'であったようだ。
党・君・正義高位級要人を総括する席に座って,現在'張成沢ライン'に属している側近らを管理し始めたのも直ちにこの時期と推定される。

しかし眼に触れる人脈管理が最高権力者の目に触ったのか,上手く行った張成沢に2004年初め試練の'逆風'がまき起こった。
'権力欲による分派行為'という罪名を使って一瞬にすべての職務を停止されたのだ。
この当時彼に従った側近らも大部分地方に追われて,肉体労働をする身分になった。
だが'ロイヤルファミリー'の一員の張成沢はその翌年の2005年末党勤労団体および首都建設部の第1部部長によみがえったし2007年末には公安と司法を総括する党行政府長に起用されて,また権力の核心に復帰した。
その過程で義理兄弟の金正日委員長の息が作用したことはもちろんだ。

本来金正恩後継が公式化された9.28党代表者会直前には張成沢が党の'一人地下'最高位職の政治局常務委員に上がるという観測が生い茂った。

だが観測ははずれて常務委員席は軍部のリ・ヨンホ(軍総参謀長).チョ・ミョンロク(軍総政治局長)と非軍部の金英南(最高人民会議常任委員長).崔永林(内閣総理) 4人にが選ばれた。

それにもかかわらず,党代表者会を通して,張成沢の'行動半径'はさらに広くなったという分析が有力に提起される。
大多数が元老級の政治局委員らと別に,実質的権限を持ってことを引張って行く政治局候補委員陣には崔龍海・太宗数・金評して・博徒チューは・ムン・ギョンドク(以上党秘書兼任),金ジョンガク(軍総政治局第1部局長),ウドン側(国家安全保衛部第1部部長),薄情順(組織指導部第1部部長)等張成沢を中心に動くほどの人物らが多く入ってきているということだ。
この他にも党と軍の主要町角には'張成沢ライン'に分類される側近と有力要人らが数人布陣している。

金正恩後継体制の'実力者'に浮び上がった崔龍海党秘書は張成沢が党青年事業部部長をする時,党の核心郊外周辺組織人社労青(社会主義労働庁年同盟)の委員長を引き受けていた人物で代表的な'張成沢ライン'に選ばれる。
リ・ヨンホ総参謀長が急浮上する直前まで軍部の看板だった金英春人民武力部長も張成沢と近い人物と知られている。

金英春は1995年当時組織指導部第1部部長だった張成沢の指揮の下6軍団のクーデター陰謀を鎮圧した。
9.28党代表者会'最高スター'のリ・ヨンホ君総参謀長(党政治局常務委員兼職)も広い意味の張成沢派閥に分類される。
だが張成沢にも決定的な限界があるので直ちに'もろ刃の刃物'と同じ,同年齢妻金慶喜の存在だ。

北朝鮮専門家は"強大な権力を握っている張成沢だが,金慶喜がなければ張成沢の力も消えると見なければならない"としながら"後継構築過程で彼ら夫婦の協力と牽制がどのように教職成っていくかも関心事"と指摘した。

2010年6月10日木曜日

張成沢、スピード出世の意味 RFA

今月開かれた北朝鮮最高人民会議で、ナンバー2となった張成沢の人事の意味と、今後の展望について書いてある。
金総書記の中国訪問の時、すでに中国側が彼を高い地位として扱っていたとある。中国としては、彼を信頼している部分がありそうだ。


張成沢国防委副委員長の急浮上Q/A
ワシントン-ホ・ヒョンソクhuhh@rfa.org
2010-06-09

張成沢国防委員会副委員長の急浮上が関心を引きます。

張副委員長は7日開かれた最高人民会議会議を通して,国防委委員で1年余りぶりに副委員長で昇進して,事実上北朝鮮の第2人者となりました。

このような急浮上は金委員長の三番目の息子を後継者で確立する作業と密接な関連があると観測されます。

これに関する内容をホ・ヒョンソク記者と一緒に調べてみます。

アンカー:張成沢国防委委員が最高人民会議会議で副委員長で昇進して目を引きました。
張副委員長の昇進がある内容であったか説明して下さいますか?

記者:張成沢国防委委員が最高人民会議第12期3次会議で副委員長で昇進して,内外の関心を集めました。
今回の昇進は金正日国防委員長の提案で形成されました。

金委員長は4月9日開かれた2次会議に出てこなくて6月7日開かれた3次会議には直接参加しました。

張副委員長は昨年4月開かれた第12期1次会議で初めて国防委員に任命されて1年2ケ月ぶりに副委員長でスピード昇進をしました。

今回の会議では崔永林新内閣総理とカン・ヌンス労働党部長をはじめとする4人の新しい副総理が出てきました。

この要人も重要でした。

しかし金委員長の妹婿としてすでに実力者で席を占めた張副委員長の昇進が今回の要人の核心でした。

アンカー:それなら張副委員長の昇進はどんな意味を持っていますか?

記者:事実上第2人者になったということに意味があると見られます。

国防委副委員長席は金委員長の次に行く席であるためです。

金委員長は健康が良くなく、それでできるだけはやく統治経験がない3番目に息子キム・ジョンウン氏を後継者で作らなければならない一方、経済難をはじめとする各種難題を抱いている状況です。
金委員長はこうしたことを処理する人物では親戚の張副委員長しかないと判断したことで観測されます。

特に後継構図の構築は一刻を争う問題です。

したがって金委員長は労働党行政府長と同じ核心の席をはじめとして,色々な要職を兼ねた張副委員長に後継構図の加速化と関連して,より一層力を与えるために今回副委員長席をまた任せたと見られます。

今回の昇進人事をおいてみる時,張副委員長は金正日体制に続きキム・ジョンウン体制の‘創業功臣’に浮び上がる公算が大きくなっていります。

アンカー:金委員長がさまざまな面で難しい状況で張副委員長を選択した理由があると思いますが?

記者:張副委員長は金委員長が2008年夏脳卒中で倒れた時,権力空白をよく埋めながら,事実上の代理統治を立派にやり遂げたためです。

北朝鮮はその時でも今も慢性的な食糧難と経済難で一般住民や軍部まで動揺してい状況です。

張副委員長はこのように難しい時期をむかえて,党と軍部の厚い人脈を土台に北朝鮮の安定を維持するのに成功しました。

このような代行役で張副委員長は金委員長の信任を受けたと分析されます。

それで金委員長の現地指導に同行する回数が多くなったと見られます。

これと共に張副委員長は後継者で長男の金ジョンナム氏の代わりに権力欲が強い3番目に息子キム・ジョンウン氏を推薦したと伝えられました。

張副委員長はこの時から後見人に出ながら,後継世襲に障害になる要人を除去する作業にも出ました。

国防委のリ・チェガン,リ・ヨンチョル委員の突然である死はこれと関係がなくはないと見られます。

この他にも金委員長は張副委員長が権力世襲の過程で飛び石の橋役割をすることもできると見ました.

アンカー:このように金委員長の寵愛を受ける張成沢国防委副委員長はどんな人物ですか?

記者:張副委員長は1972年金委員長の妹の金ギョンヒ氏と結婚した後,妹兄の信任を受けて,金正日後継および統治体制の構築に出ました。

金正日委員長の後継構図が公式化した以後には3大革命部長として親衛勢力を率いたし1995年からは党組織指導部第1部部長で強大な権力と地位を享受しながら,金委員長のために北朝鮮体制を率いるのに先頭に立ちました。

2004年‘分派行為’を理由で業務停止という処罰を受けて2005年復権して,比重が落ちる首都建設部第1部部長で在職して2007年検察,人民保安部,国家安全保衛部のような核心部署を総括する労働党行政府長を引き受けました。

張副委員長は2009年死亡した長兄のチャン・ソヌ副元帥と2006年死亡した次兄張ソンギル中将のために軍内にも人脈が厚いです。

アンカー:金委員長の3番目に息子を後継者で作る作業はこれから速度を速めると予想されますか?

記者:それも予想されます。

北朝鮮の官営媒体は副委員長選任が金正日同志の提案にしたがってなされたという点を強調します。

国防委が後継構図を確立するのに主導的役割をするという予想はすでに出てきました。

ところで張成沢委員が副委員長に任命されることによってこのような展望に重さをさらに与えています。

宣伝/扇動事業を引き受けたカン・ヌンス文化相を副総理に任命した点も後継構図の加速化を知らせる大きい課題です。

金委員長が3番目に息子の後見人を引き受けてきた張副委員長を抜てきした理由は権力を世襲する体制をより一層確かにするというところにあると解説されます。

したがってまさに翼をつけた張成沢副委員長は3番目に息子を後継者にする作業に拍車を加えると見られます。

アンカー:張副委員長は金委員長が中国を訪問する時,すでに北朝鮮の実力者とあらわれたといいます。

これが何の内容なのか説明して下さいますか?
記者:5月7日中国官営CCTVが公開した画面に張副委員長は実力者に出てきます。

胡錦涛国家主席が金委員長のために開いた歓迎宴会で張副委員長は自分の職級よりも高い上席を占めたことが明らかになります。

張副委員長は金正日委員長-金英春人民武力部長に続き3等席に座りました。

通常首脳会談の主催国で決めた席配置を訪問国で受け入れるのに中国は当時張副委員長をナンバー3と扱い、北朝鮮もここに異議を提起しなかったと見られます。

ところで北朝鮮の党部長は党秘書よりは序列が低いです。

そのために北朝鮮官営媒体は金委員長の随行員を呼称する時,崔泰福,金己南秘書より張成沢部長を後に呼びました。


アンカー:海外言論は張副委員長の昇進をどのように評価しているんですか?

記者:香港と日本の言論は8日張副委員長が第2人者にのぼったと評価しました。

香港の明報(明報)は張副委員長が北朝鮮の第2人者になって後継構図のための摂政王地位を受

けたと伝えました。

文匯報も張副委員長の昇進は金委員長が権力を継承しようとする後継構図と関連があると分析し
ました。

日本の読売新聞は3番目に息子の後見人の張氏が‘ナンバー2’地位を確保したと伝えました。

産経新聞は張副委員長昇格を後継体制と結び付かなくて北朝鮮が対北朝鮮包囲網に結束して,対処しようとする意図と解説しました。

アンカー:今まで張成沢国防委副委員長の急浮上に関しホ・ヒョンソク記者と一緒に調べてみました。

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