2019年12月19日木曜日

米韓の駐韓米軍負担金交渉越年

米韓で行われていた駐韓米軍の経費負担問題は、結論が出ないまま2019年内の合意が事実上できなくなった。


来年も継続するが、米国側はこれまで提示していた50億ドルを変えてもいいという姿勢を見せたという。

やはり交渉のため、過去にくらべ5倍に引き上げたのだろう。

いまの負担金を取り決めた協定は、3月1日まで有効。

もしその後も合意ができなければ、駐韓米軍は来年4月から韓国人勤労者らに対する30日の強制無給休職を実施してその以後減員まで考慮すると伝えているという。

ここまで強気なのは、米国側が大統領選挙を意識しているからだろう。

https://news.naver.com/main/ranking/read.nhn?mid=etc&sid1=111&rankingType=popular_day&oid=015&aid=0004259822&date=20191218&type=1&rankingSeq=3&rankingSectionId=100

2019年12月15日日曜日

中国の核の傘とは

文在寅政権のブレインである文正仁特補が、韓国が中国の核の傘に入る可能性を示唆したとして物議を醸している。

現実味はないが、中国の核の傘で記事を探すと、ウクライナのケースが出てきた。のちのち参考になりそうなのでコピペしておきます。


中国が核の盟主国に、ウクライナに核の傘提供
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.12.12 09:150 글자 작게
글자 크게
中国が過去初めて非核国に核の傘を提供することにしたと中国国営メディアが11日に報道した。これによると、習近平中国国家主席は5日に中国を訪問したウクライナのヤヌコビッチ大統領と「パートナー関係強化に向けた共同声明」を発表した。声明には、「中国はウクライナが非核国として核拡散防止条約(NPT)に加入したことを高く評価する。国連安全保障理事会決議と1994年に中国とウクライナが発表した声明に基づき、ウクライナに対する外部からの核攻撃または脅威が近づくならば、中国は相応する安全保障を提供する」と明示されている。新華社通信はこの「安全保障」が「核の傘を提供するという意味」とし、中国が核の傘の提供を宣言するのは初めてだと伝えた。中国は94年、「ウクライナに核脅威を与えず安全を保障する」という内容の共同声明をウクライナと発表している。

核の傘は核兵器を持たない国が友好国の核戦力に寄りかかることで安全を保証されることを指す。仮想の敵国が核攻撃をしてくる場合、核戦力を持つ友好国が代わりに核報復を加えられるようにし、敵対国の攻撃意志を削ぐ効果がある。現在、韓国、日本、フィリピン、カナダ、オーストラリアなどが、米国が提供する核の傘の中にあり、北大西洋条約機構(NATO)は加盟国である米国とフランス、英国の核の傘による保護を受けている。ロシアはアルメニア、カザフスタン、タジキスタン、キルギスタンなどに核の傘を提供している。

韓国の場合、78年の韓米年次安保協議会を通じ米国の核の傘が明文化された。朴正熙(パク・チョンヒ)政権が密かに核開発を推進し米国のカーター政権と対立を起こした時期だった。

現地メディアは中国が初めて周辺国に核の傘提供を宣言したことに対し、「核の脅威と核反撃能力に対し中国が自信を見せたもの」と分析した。中国は64年に初めて核実験に成功し核保有国となった。当時ソ連や米国などの敵対国が侵略してくると恐怖に震えていた中国は、生き残りのための非対称戦力として核武装を選択した。80年代中盤以降は先制核攻撃能力を培養し核脅威国のひとつに発展した。いまや周辺国を核の傘で保護する盟主国の能力を備えることになったのだ。

今回の宣言は北朝鮮を念頭に置いた布石ともみられる。北京外国語大学の竜興春教授は環球時報への寄稿文で、「中国が信頼できるほどの核の傘を提供するならば、周辺地域の核リスクを低減できる。これは外部の軍事脅威に核開発で対抗しようとする一部周辺国の核開発廃棄につながるかもしれないため」と予想した。始まりはウクライナだったが、究極的には核の傘提供を通じ北朝鮮の核武装を抑止するという目的だと専門家らはみている。

過去にソ連の一員だったウクライナは91年にソ連が解体されるとソ連軍が残していった核兵器により一躍世界3位の核兵器保有国に浮上した。だが、米国とソ連が結んだ戦略兵器削減条約(START)をそのまま受け入れ92年にNPTに加入した。その後すべての核兵器をロシアに引き渡し、96年に完全な非核国になった。

在韓米軍は撤退可能

韓国のポータルサイト、NAVERではソウル大学が提示した基準に従ってマスコミ各社がファクトチェックした内容を、一覧で読むことができる。

事実かどうかは、メーターで示されていて分かりやすい。

日本では、まだ一部でしか普及していないが、このサイトによれば、在韓米軍の撤退は可能だとするトランプ米大統領の発言は、驚くことに「概ね事実」に分類されている。

中央日報の説明を要約すると

一般的に、在韓米軍の撤退を防ぐと言われる国防授権法には、米国防総省が米国国益に符合して同盟国の安全を深刻に弱めない。縮小に対して韓国・日本など同盟国と適切な協議(consult)を経たと議会に証明(certify)する場合、駐韓米軍縮小が可能だという例外条項がある。

このため専門家は、授権法の表現が曖昧なため、米国防総省は同盟国に影響を与えないと勝手に判断する可能性もあると語っている。

つまり、国防授権法は「大統領に駐韓米軍維持を勧告する政治的宣言」に過ぎず、大統領は撤退を決定できる、と結論付けている。


以下は原稿


트럼프
정치인(공직자)의 발언
“주한미군 철수할 수 있다.”

0
보내기
출처: 3일 나토정상회의 언론 인터뷰
팩트체크 결과
접기
중앙일보  12.10. 오후 5:19
대체로 사실
[검증대상] “주한미군 철수할 수 있다”는 트럼프 대통령의 발언


[검증방식]

주한미군 관련 법안인 미 국방수권법 본문 확인

전문가 인터뷰


[검증과정]


1. 미 의회가 감축을 막을 수 있다 X

미 의회는 올해와 내년도 국방수권법(NDAA)에서 주한미군의 최소 숫자를 명시했다. 현재 계류 중인 내년도 법안엔 2만8500명으로 돼 있다. 그러나 박원곤 한동대 국제지역학 교수는 “국방수권법 주한미군 조항의 취지는 주한미군을 2만8500명(내년도 법안 기준) 이하로 줄이는 예산의 집행을 금지한다는 것”이라고 말했다. 제임스 김 아산정책연구원 연구위원은 “트럼프 대통령이 의회의 반대에도 불구하고 주한미군 감축을 강행할 경우 다른 국방 예산에서 관련 비용을 끌어오면 그만”이라고 말했다.


2. 국방수권법으로도 줄일 수 있다 ○

국방수권법은 또 미 국방부가 ▶미국 국익에 부합하고 동맹의 안전을 심각하게 약화하지 않으며 ▶감축에 대해 한·일 등 동맹국과 적절한 협의(consult)를 거쳤다고 의회에 증명(certify)할 경우 주한미군 감축이 가능하다는 예외조항을 뒀다. 박원곤 교수는 “표현이 모호해 미 국방부가 임의로 판단하거나 협의했다고 주장할 수 있다”며 “결과적으로 국방수권법은 대통령에게 주한미군 유지를 권고하는 정치적 선언”이라고 말했다.


H.R.2500 - National Defense Authorization Act for Fiscal Year 2020
Section 1243--Limitation on Use of Funds To Reduce the Total Number of Members of the Armed Forces Serving on Active Duty Who Are Deployed to South Korea

This section would amend section 1264 of the John S. McCain National Defense Authorization Act for Fiscal Year 2019 (Public Law 115-232) to prohibit the use of funds authorized to be appropriated by this Act to reduce the number of members of the Armed Forces serving on Active Duty in the Republic of Korea below 28,500 unless the Secretary of Defense first provides certification to the congressional defense committees that such a reduction is in the national security interest of the United States and will not significantly undermine the security of the United States' allies in the region.


3. 감축 안 하고도 감축효과 가능? ○

트럼프 행정부가 굳이 주한미군을 감축한다고 발표하지 않아도 사실상 감축 효과를 낼 수 있다. 주한미군 내 순환배치 부대다. 미 육군은 9개월마다 새로운 기갑여단 전투단을 미 본토에서 한국으로 보낸다. 지난해 6월 제1기병사단 예하 제3기갑여단 전투단 4500명이 한국에 도착했다. 트럼프 대통령이 미 공화당의 대선 후보로 공식 확정되는 예상 시점이 내년 3월께인데 이때가 제3기갑여단의 교대 시점이다. 교대 병력의 선정을 미루거나 출발을 늦추면 자연스럽게 주한미군의 감축 상태가 돼버린다.


4. 주한미군 발언은 협상용 카드다? △

트럼프 대통령은 주한미군을 방위비 분담금 협상에 동원하고 있다. 동시에 해외 미군 철수는 그의 소신이기도 하다. 빅터 차 미국 전략국제문제연구소(CSIS) 한국석좌의 분석에 따르면 트럼프 대통령은 1990년부터 지난 8월까지 주한미군의 주둔 필요성을 의심하거나 주한미군 감축 또는 철수를 주장하는 발언을 모두 115회 했다. 지난해 6월 12일 첫 북·미 정상회담 이후 열린 기자회견에서 트럼프 대통령은 “주한미군 철수는 지금 논의 대상은 아니지만 언젠가 나는 그렇게 되길 원한다”면서 “나는 우리 병사들을 (한국에서) 빼고 싶다. 우리 병사들이 집으로 돌아가길 원한다”고 말했다. 빅터 차 석좌는 “트럼프 대통령은 한국과 일본이 (방위비 분담금을) 적절히 내지 않는다면 실제로 미군을 (한국과 일본에서) 빼낼 것”이라고 예상했다.


[검증결과]

트럼프 대통령은 주한미군을 철수할 수 있다. 주한미군 철수가 불가능하다는 주장의 근거인 ‘국방수권법’은 주한미군 병력 수가 아니라, 일정 규모를 유지하는데 드는 비용을 기준으로 하는데다 감축이 가능하다는 예외조항도 두었다. 또한 주한미군 교대 병력의 선정을 미루는 방식으로 감축 상태를 만들 수 있다. 트럼프 대통령이 주한미군 감축을 오래 전부터 주장해왔기 때문에, 분담금 협상이 끝난 이후에도 철수 위험은 잔존해있다. 따라서 “주한미군 철수할 수 있다”는 “대체로 사실”이다.

근거자료1: 미 의회 홈페이지 국방수권법 법안 내용

근거자료2 : 박원곤 한동대 국제지역학 교수 인터뷰

근거자료3: 빅터 차 CSIS 한국 석좌 칼럼

2019年12月11日水曜日

中村さんの命を奪ったもの

 世界で最も危険な国とされるアフガニスタンで、井戸や用水路を建設していた医師の中村哲さんが、銃撃を受けて亡くなった。

 死去を知ってから、中村さんの書かれたものを片っ端から読んでみた。その活動は幅広い。医療活動から始まり、自分で土木技術を学び、図面を引いて用水路を建設する。自分の体が動かなくなった時のために、後継者を育てる学校も計画していたという。

 現地の人たちの文化や風習を尊重しながら援助する。それは実は、今の日本政府が忘れていることだ。

 中村さん自身も、そのことに触れている。2010年に出版された「新しい風土記へ」(朝日新書)には、評論家、鶴見俊輔氏との対談が載っている。

 中村さんは、「アフガンには反日感情が芽生えている」と語っていた。01年9月の米同時多発テロが起きた。アフガンにテロリストが匿われているなどとして、米軍などがアフガンを激しく攻撃した。

 反日感情の原因は、「日本は自衛隊を派遣して米国の手伝いをしている」(中村さん)からだ。「日本人であるゆえに襲撃される危険が高まりつつある」とも話していた。

 中村さんたちが用水工事をしている上空を、米軍のヘリが飛び交い、武器を搭載した米軍の車が通り過ぎていった。

 「『殺さない』ということの1つの結実が憲法9条なんです。憲法9条を壊すことは日本の良心を壊すことだ」(同書)と警鐘も鳴らしていた。

 岩波ブックレットの「アフガニスタンで考える」の中でも中村さんは、「強力な同盟関係を、ということがいわれます。そのためには憲法9条を改正しての武力行使もやむなし。しかし人殺しまでして豊かさを守ろうとするなら、少なくとも私は豊かになりたいとは思わない」と歯切れ良く語っていた。

 平和国家を目指すといいながら、軍事大国化に突き進む日本。中村さんの命を奪ったのは、そんな日本の姿だったのではないか。

2019年12月8日日曜日

慰安婦の平均年齢とは

いきなりのテーマだが、あるところで講演して、従軍慰安婦の平均年齢は26歳という見方があると語ったら、そんなことはない、10代もたくさんいた。13歳もいたという反論があった。
すぐに答えられなかったが、私は朴裕河氏の「帝国の慰安婦」が記憶にあったようだ。
この平均年齢をめぐっては、諸説あり、以下のような記事もある。
記録のため一部をコピペしておく。https://www.excite.co.jp/news/article/Recordchina_20160712026/
2016年7月11日、韓国・聯合ニュースによると、韓国・世宗大学の朴裕河(パク・ユハ)教授が、旧日本軍従軍慰安婦問題に関する自身の研究書「帝国の慰安婦」を批判する著書が最近出版されたことに関し、「本を誤読、歪曲(わいきょく)して、読者に不信感と怒りを与えている」と主張した。
朴教授は11日、ソウル市内で会見を開き、明治学院大学の鄭栄桓(チョン・ヨンファン)教授が著書「誰のための和解なのか」で提起した批判に反発した。
鄭教授は著書で、「朝鮮人慰安婦は戦争に協力した“愛国的”存在だった。日本軍と“同志的関係”を結ぶこともあった」とする朴教授の主張を批判。さらに、「朴教授の著書は戦争責任を否定する歴史修正主義の流れに乗り、日本の知識人たちに歓迎された」と主張した。これに対し、朴教授は「鄭教授の著書は自身に“道徳的な疑問”を誘発させる態度だった」とし、「意見が違うというだけで一方的に右翼と連結させ、読者の敵対心を誘発している」と指摘した。

帝国の慰安婦には以下の記述がある。
20万人という数字以上に、韓国人の怒りを誘うのは、ソゥルの日本大使館の前に立つ少女像が示すように、朝鮮人慰安婦の多くが幼い少女だったというィメージである。

しかし、〈慰安婦少女〉のィメージは、まずは一九九0年代にこの問題が提起されたとき、挺身隊を姒安婦そのものと誤解したことから作られたものである。実際には、「わたしが一番幼かつたよ。行つた人のなかでは。ほかの人たちはみんな20歳過ぎて いた」(「強制』5、35頁)、「私たちのところには20人ほど残つた。彼女たちはすこし年を取つてて、みんな20歳過ぎていた。全羅道からも来ていたし、慶尚道からも来てたよ」(同、八七頁)と語 る。

本人以外は「20歳以上」だつたと強調し、元慰安婦たちは、「少女慰安婦」の存在が必ずしも 一般的ケースではなかったと話しているのである。(64p)


https://www.excite.co.jp/news/article/Recordchina_20160712026/

2019年12月6日金曜日

51年目の戦争責任 加藤周一 速水優 キャスター・山本肇 NHK特集 1996.8.15 のコピー







間組は、戦時中中国や韓国で大規模な事業を請け負い、急成長した企業である。

その社史には、徴用工の事が明記され、社内でも反対がおきたほどだったという。

その経緯は

51年目の戦争責任というNHKのドキュメンタリーに記録されている。

間組の社史647Pには以下の記述がある。

5 )多くの犠牲を伴った世紀の堰堤工事
壮大な工事を短期間に竣工させるため、このエ靡に
は実に多くの労働者が動員された。しかし、元来、朝
鮮北部は人口密度が低いため、労働者の数が決定的に
足りず、労働者の多くは「斡旋」形式により半強制的に
朝鮮南部から送り込まれた者たちであった。こうして
労働力は確保されたが、その一方で、現場は混乱し、
朝鮮人、中国人労働者の事故が頻発した。その正確な
数は不明である。
現場での死傷事故では、桟橋の上をコンクリートを
積んでひっきりなしに走るガソリンカーに繰かれる事
故と墜落事故が多かった。このため、水豊病院に運び
込まれる者はかなりの数にのぼった。
また、現場は朝鮮.満州の国境地帯に位置し、工事
に先立って貯水池敷地として買収した用地は朝鮮側3000
万坪、満州側3000万坪、計6000万坪という広大な面積
であったため、この地域に住む朝鮮人、中国人7万人
は、工事のために立ち退かなければならなかった。





反日種族主義が売れた3つの理由

 反日種族主義という本が、韓国で十万部を超えるベストセラーとなった。元々韓国人は、韓国の歴史を読むのが大好きだ。批判的にせよ、肯定的にせよ、自国の歴史を深く知ることで、韓国人であることのプライドを感じているのだろう。


 歴史教育の影響もあるだろう。近現代の教育は、日本の3倍の分量になるという。
 
 その理由については、いろいろ解説されているが、私は3つの理由があると考える。


 1つ目は、韓国で行われている歴史教育への批判としてだ。日本の統治時代に朝鮮半島は弾圧され、収奪された、しかしわれわれの民族は、抵抗し立ち上がったという物語が一般的だ。

 この本は、統計を使って、日帝時代が、朝鮮半島にとってプラスになっていた面があると主張している。

 これは過去日本側が主張し、反発を受けてきたが、韓国の学者が明確に主張したことで、歴史好きな韓国人の中に、驚きをもたらせた。


 2つ目は、日本統治時代に、日本に協力した人たち、日本が作った制度の責任を追及し、制度を変えようとする文在寅政権への反発だ。

 現政権は、80年代に大学生活を送り、軍事独裁勢力と闘った38世代が中心だ。しかし、これより上の世代は、38世代に反感を持っている。

 文在寅大統領らの歴史観に反発する保守系の人たちが、購入して溜飲を下げているのではないか。

 三つめはチョ・グク氏。法務長官に任命された後、検察の捜査の対象とされ、辞任に追い込まれた。
 彼は、反日種族主義を「吐き気がする本」とSNSで批判した。
 これで、多くの人が「怖いもの見たさ」で購入した。これは、書籍販売サイトで読める、同書のレビューでも読み取れる。

 チョ・グク氏の発言で、興味を持ったという人が結構いる。

 本の内容については賛否両論だ。それにしてもさまざまな見方があるのは良いことだと思う。

2019年12月5日木曜日

重大な問題とは何か 北朝鮮の発表

 北朝鮮の朝鮮中央通信は4日、朝鮮労働党が今月下旬に中央委員会総会を開き、「重大な問題」を討議、決定すると報じた。具体的な開催日は発表されていない。

 米朝交渉が膠着する中、大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射実験や核実験中止について再検討する可能性がある。

 之に関連して4日の自由アジア放送(RFA)は米国の朝鮮半島専門家ケン ゴス米軍海軍分析センター(CNA)選任局長の話を伝えている。

 ゴス氏は金正恩北朝鮮党委員長が白頭山を登頂して今月下旬北朝鮮労働党全員会議を招集したのは米国と全世界に戦略的メッセージを伝えるためだと解釈した。

 さらにゴス局長は「米国が対北朝鮮敵対視政策をあきらめなかったという理由で、また核兵器開発に出ることだと明言するだろう」と予想した。その上で、「2020年にはいろいろなことが起きるだろう」と述べた。

北朝鮮と米国両側が、2017年の対立に戻りつつあるとの見解だ。

ただ、現実的にみれば、北朝鮮が突然核実験を行うかというと、それは難しいだろう。中国が望んでいない事であり、北朝鮮も米国の軍事力が怖いはずだ。

 米国と北朝鮮は、おたがい「攻撃するぞ」「核を使うぞ」という言い合いになるだろう。

2019年12月1日日曜日

バチカンが見た韓国と日本

先日、フランシスコ教皇が訪日した。演説を聴いていてふと、2014年に韓国を訪問していたことを思い出した。

韓国は、教皇にとってアジアで最初の訪問国だった。信者が増えているので、重視したらしい。

韓国と日本では、演説内容も違っただろう。信者を感動させ、新しい信者を増やすため、訪問国の社会を研究し、最も効果的な内容を考えたはずだ。

そこで、14年8月15日に、韓国の大田のワールドカップ競技場で行った演説を読んでみると、こんな表現がある。

「正しい精神的価値と文化を押さえ付ける物質主義の誘惑に対抗して,そして利己主義と分裂を起こす無限競争の思潮に相対して戦うように祈ります。

新しい形態の貧困を作り出して労働者らを疎外させる非人間的な経済モデルを拒否するように祈ります。男性と女性と子供の尊厳性を冒とくする死の文化を排斥するように祈ります」

一方、日本の東京ドームでは

「社会的に孤立している人が決して少なくなく、いのちの意味が分からず、自分の存在の意味を見いだせず、社会からはみ出していると感じている。家庭、学校、共同体は、一人ひとりが支えを見いだし、また、他者を支える場であるべきなのに、利益と効率を追求する過剰な競争意識によって、ますます傷ついている。多くの人が、当惑し不安を感じている。過剰な要求や、平和と安定を奪う数々の不安によって打ちのめされている」

と語ったと報道されている。

似ているようで、少し違う。韓国と日本の世相を、敏感に把握している気がする。

バチカンの情報力、分析力なのか。

2019年11月30日土曜日

北朝鮮ミサイルまとめ



今年、北朝鮮が発射したミサイルの一覧。飛行距離が結構コントロールされているのが分かる。発射間隔も短くなっている。

2019年11月15日金曜日

日韓両国で安重根と伊藤博文の再評価を

龍谷大学で行われたシンポジウムでの、私の発表文です

●撤去された案内板
東京新聞に勤務する私は、韓国に語学留学した後、金大中大統領時代にソウル駐在をした。これが縁となって、いままで朝鮮半島問題を専門に取材してきた。現在は日韓関係に関する社説を書く担当をしている。ただ、今年に入って、日韓関係がこじれてきたことから、社説を書く上での立ち位置に苦心することが多くなっている。そんな中私は、日本で安重根、韓国では、安に暗殺された伊藤博文に注目し、再評価することで、日韓関係の新たな基礎を築こうと提言したい。
その前に、まず今年4月、宮城県で起きたことを報告したい。北西部、栗原市にある東北自動車道若柳金成インターチェンジ付近に建っていた案内板が、ひっそりと建て替えられたのだ。
元の案内版は、浅野史郎前知事時代の2000年に、日韓ワールドカップを機に、日韓友好の証しとして、宮城県によって設置されたもので、「安重根記念碑(大林寺)4.7キロ」と、日本語とハングルで書かれていた。安を敬うための表示板ではなく、あくまでの記念碑の場所を伝える案内板だった
 よく知られているように、大林寺は旅順監獄で安の監視役だった憲兵、千葉十七の菩提寺である。安は、処刑前に千葉に遺墨を渡した。この縁で大林寺に安の記念碑が設置され、日韓関係に関心を持つ人たちが数多く訪ねていた。毎年9月には法要も行われている。
 新たな看板は、最近オープンした観光施設「栗駒山麓ジオパーク」を中心に「栗駒山」「伊豆沼」など、近くの観光地を案内する内容となり、安重根の文字はなくなった。
 この看板の建て替えは、地元でもほとんど関心を呼ばず、新聞でも小さく報道されただけだった。
ところが2015年、県知事の会見でこの案内版に関して、記者が次のような質問をしている
「県が設置している案内板は、初代韓国統監伊藤博文を暗殺した安重根の記念碑を案内するものである。安重根については、(日本)政府は犯罪者という見解を示しており、そのような人物の案内板を県が設置するのは問題であり、撤去すべきだという声があるが、こうした意見に対して知事はどのように考えるか」というものだった。  

●安を「しっかりとした人間」として扱った日本
これに対し、村井嘉浩知事は、こう記念碑と案内版の意義を、こう強調していた。
「千葉十七さんが非常に大切に一人の死刑員(安のこと、筆者注)を一人の人間として大切に扱ったということです。つまり日本人は、日本にとって犯罪者であっても、虐殺するのではなくて、安重根氏をしっかりと1人の人間として扱って、そして刑を執行したということです。その象徴的な人物が千葉十七さんであったということから、日韓の友情を深めていただくためにでき上がった 記念碑、場所であり、そして、韓国の方にぜひ立ち寄っていただいて、皆さんが思っているように日本は決してひどい国ではないんだということをお伝えする意味もあったというふうに聞いております」
 その上で村井知事は、案内板を撤去する考えがないことを表明した。
「私は、一方的にそういった切り口だけであの案内板を否定するということは、これから日韓が共に前を向いて歩んでいこうとしている中で、(案内板を)撤去することが日韓にとって総合的に考えますとマイナスになるのではないかということから、撤去には踏み切っていないということでございます」
安重根について、ここ数年「日本の指導者を殺害したテロリスト」と呼ぶことが多くなった。しかし実は、2015年までは、安と彼を取り巻く日本人についてのエピソードは、村井知事の言葉のように、奇跡的な日韓の友情物語だと認識されていた。つまり、安の罪は許せない行為だが、彼を丁重に扱った日本側の姿勢は評価でき、日韓のきずなの象徴だ、というものだ。
ところがここ数年、全く違う動きが生まれている。案内版問題は、県知事への質問があった同じ年の2月、地元選出の国会議員が国会で取り上げている 。公費で、テロリストの記念碑の場所を示すようなものはおかしいという指摘だった。
この時、答弁に立った太田昭宏国交相は「県の判断で設置されたものだ」として、国として介入する考えがないことを表明しているが、村井知事としても抗しきれないと判断し、刺激のないかたちで建て替えたのだろう。
 
●安に対する正反対の評価
 ほかの発表者も触れるだろうが、もう一度、安重根について考えて見たい。
1909年(明治42年)10月26日、中国東北部のハルピン駅で、前韓国統監で元首相の伊藤博文が狙撃され、現場で死亡した。撃ったのは、韓国独立運動の指導者の安だった。日本では「テロリスト」とも呼ばれ、韓国では「独立の義士」「英雄」という正反対の評価を受けている。ただ、安の思想に共鳴し、評価した日本人も少なくなかった。
 10年ほど前、私はハルピン駅を訪ね、現場となったホームを歩いてみた。安が発砲した地点には小さなマークが埋め込まれていた。駅員に確かめると、「先輩から聞いたことがあるが、狙撃現場なのかはっきりしない」と話していた。
 すっかり忘れ去られていたが、2014年1月、同駅に安を顕彰する展示館ができた。これについて日本政府は、「安重根は我が国の初代首相を殺害し、死刑判決を受けたテロリストだと認識している」「前世紀の事件について一方的な評価に基づき、韓国、中国が連携するような動きは、地域の平和と協力の関係の構築に資するものではない」(菅義偉官房長官)として、中国と韓国に外交ルートを通じて抗議したという。
 個人的にはとても残念な思いだった。テロリストとして切り捨てる前に、もう一歩理解する姿勢を見せることで、日韓の関係も変わってくると思えたからだ。この展示館ができた後、日本政府は、安を明確に「テロリスト」と呼ぶようになった。背景には、最近の日本政府の歴史認識があるのは間違いない。
 その後、私は実際にハルピンを訪問し、駅の展示館を訪ねてみた。中国の指導者が安に言及した言葉が紹介されていたが、格別新しい内容があるわけではなく、安の人生を簡単に紹介しているだけだった。展示スペースといった印象だった。日本政府が神経質に反応するような内容ではとてもなかった。
 私は2019年の夏に、ドイツのベルリンやミュンヘンを訪ね、戦争や分断を伝える記念館を訪ねてみた。ドイツでは、ナチス、ホロコーストなどを克明に記録し、一般に公開している。これこそ国際的な信頼を得る行動だろう。過去に蓋をするよりも、自分たちの手で整理し、公開することが大切だ。日本政府は、むしろ安に関して持っている資料を、公開、展示し、犯行が行われた時代背景を記憶すべきではないか。

●日本に渡った200点の遺墨
 再度、1909年に時間を戻どす。安は事件後の取り調べで、犯行について15の動機を挙げた。韓国統監時代の施策への批判が中心だった。伊藤とは直接関係ない理由も含まれていた。
そもそも、安は伊藤の顔を知らなかった。一番地位の高そうな人を狙ったのだった。
 その後、旅順監獄に収監されたが、罪を率直に認め、堂々とした態度に日本人の検察官や判事、看守は感銘を受けた。
 その1人が看守の千葉十七だった。千葉は当時27歳、安は30歳。千葉は「安には人間的度量があった」と語っていた。
 安は、刑務所にいた半年間で自伝『安応七歴史』と『東洋平和論』という2冊の本を書いた。  取り調べを担当した警視のすすめによるものだった。安の裁判の最高責任者である平石氏人高等法院長も、東洋平和を願う安の話に「一生また聞くことができない説」と賞賛していた。
 ところが、予想以上に早く死刑が執行され、東洋平和論は執筆途中で終わっている。刑の執行を知った人たちが、書を欲しいと絹や紙を数百枚持ってきた。親しかった千葉には「為国献身  軍人本分」との書を残した。先に紹介したように宮城にある千葉の菩提寺の大林寺には、この文字を刻んだ記念碑が建てられている。書は、1970年に安の遺族に返された。
 安は、処刑前に計200点以上の書を残したとされる。約50点はすでに発見されているが、残りは行方が分からない。日本のどこかで家宝として保存されているのだろう。長い時間が経っており、保管されていることも忘れられている可能性がある。この遺墨も、将来日韓をつなぐ遺産になるに違いない。

●安の思想を評価したのは日本人だった
 韓国では、安の「行動」が賞賛されるが、彼の「思想」を掘り起こしたのはむしろ日本の研究者だったことを忘れてはならない。『安応七歴史』と『東洋平和論』は、日本人が書き写した本が広まり、存在が知られるようになった。
 では安は、東洋平和論を通じて何を訴えたかったのか。
 そこには、円満な金融体系のため、東洋の共通の銀行を作り、各国共用の通貨を作る。日、清、韓の三カ国の若者が共同の組織を作り、2カ国語以上の語学を学び、友邦あるいは兄弟の観念を形成することなどが書かれていた。
 東アジアで、現在の欧州連合のような連合体を夢見ていたわけだ。安の父は、日本への留学を夢見たこともある人だ。そして、安自身も、日露戦争で日本が勝利したことを知ると、快哉を叫んでいた。東洋のリーダーとして日本に期待をしていた。  決して日本を敵対視していたわけではない。
 また、安らの弁護に当たった水野吉太郎弁護士は、裁判の中で安の行動を、幕末に水戸浪士が、開国を進めた江戸幕府大老、井伊直弼を殺害した「桜田門外の変」に似ていると指摘し、こう語っている。

「被告は実に国家存亡の秋(トキ)であると信じたのであります。同じく事を誤つたと致しましても事態の上から考へまして、遥かに被告に同情すべき点があるのではありませぬか。(中略)如此(かくのごとき)韓国臣民として居ります被告が、其報国の赤心に於(おいの志士に譲らざるものがあると致しますれば、亦同情の傾注を吝(おし)む事は出来ない次第と考へます」

 つまり、幕末の志士に通じる心情から犯行に及んだ。政治犯ではなく、単なる殺人犯であり、情状酌量の余地がある。さらに「類例なき極刑を以て被告に臨みましたなれば、韓国民は非常の疑惑と憤激を呼びましょう」とも述べ、韓国人の心情を正確に見通していた。
弁護人なのだから、この程度のことをいうのは当たり前だと考えるのは間違いだろう。水野は、日本への帰国後も、安への高い評価を変えていない。
  安の行動に対し、日本の中でも、その動機を理解する人たちがすくなからずいたことを示している。事実、最終的に安は、政治犯扱いではなく、単なる殺人罪で死刑となったことを確認しておきたい。
当時と比べ、我々はいま余裕を失っている。安重根について政府レベルで「テロリスト」と呼び、記念碑の場所を示す公費による案内版の撤去を求めるなど、目の敵にしている。極めて残念なことだ。

●韓国でも伊藤博文の再評価の動き
 一方伊藤は、日本が韓国を併合することに消極的な発言をしていた。「財政的な負担になる」というのが理由だった。さらに、日本の指導によって韓国の自治、独立を果たすべきだと考えていた。朝鮮の人たちに対しても、こう評価していた。
 「才能において決して(日本人と)お互い劣ることはないのだ。しかるに今日の有様になったのは、人民が悪いのではなく政治が悪かったのだ。国さえ治まれば、人民は量においても、質においても不足はない」 。
 伊藤博文は、日本では千円札に顔が描かれたほどの有名な歴史的人物にも関わらず、これまで研究対象としてあまり取り上げられてこなかった。
 「昨日の敵と手のひらを返したかのように結託する変わり身の早さ」のため、「アカデミズムの世界では、伊藤の功績を高く見積もることに消極的な傾向が強い」 からだ。
 政治家としては有能でも、強い思想が感じられず、魅力がないということだろう。もちろん、韓国併合のシンボル的人物であることも影響しているに違いない。
伊藤は、韓国では「植民地侵略の元凶」とされていたが、近年、その評価は、日本で変わりつつある。伊藤は、保護国の統治者として、多様な価値観を尊重する比較的開放的な姿勢で韓国に接し、日本人と韓国人が融合することを目指した。
その証拠に伊藤はさらにまた伊藤は、1907年4月には韓国の日本人教員に対し、韓国語を身につけることや、儒教.キリスト教などの教」の善悪を言わないようにすべき等の訓示を行っている。1908年に東京で、少年の韓国皇太子(李王世子、李垠)に和服を着せて、二人で写真に収まっていた。
伊藤の生い立ちや明治憲法を制定し、議会設置を実現した政治手腕。さらに伊藤が殺害された時、韓国内にも惜しむ声があったことなどをそのまま記述している本も出てきた。  韓国で制作された安重根ミュージカル「英雄」は、伊藤博文を人間的に描いている。
 安と伊藤の2人を、永久に「テロリスト」「植民地支配の元凶」と決めつけ、歴史の彼方に葬るべきではない。事件から今年、110年となる。今回、龍谷大学で開かれたシンポジウムのように、2人の思想と人間としての深みを日韓で冷静に考えることこそ、歴史認識の溝を埋める、大切な一歩となるだろう。

2015年6月1日 https://www.pref.miyagi.jp/site/chiji-kaiken/kk-150601.html 
2015年2月27日 参院予算委員会 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/189/0014/18902030014003a.html
https://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg9177.html
永田町の憲政記念館には、安重根が伊藤博文を暗殺した際に放った銃弾のうち1発が展示されている。
『伊藤博文と安重根』(佐木隆三、文春文庫)
『わが心の安重根』(斎藤泰彦、五月書房)
日本語訳は『安重根自叙伝・東洋平和論』(愛知宗教者九条の会)に収録されている。
『伊藤博文と安重根』(佐木隆三、文春文庫)
『知性人伊藤博文 思想家安重根』(金文学、南々社)
『安重根事件公判速記録』(満洲日日新聞社編、批評社)
『共同研究 安重根と東洋平和―東アジアの歴史をめぐる越境的対話』第4章 安重根遺骸発掘の現況と課題 (龍谷大学社会科学研究所叢書)
『伊藤博文』(瀧井一博、中公新書)
 同上
『伊藤博文をめぐる日韓関係』(伊藤之雄、ミネルヴァ書房)
『伊藤博文』(イ・ジョンガク、東亜日報)

2019年11月14日木曜日

日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)延長に米国が韓国に圧力

日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)終了までの日程。韓国日報などをもとに整理した。

日韓軍事情報保護協定(GSOMIA・GSOMIA)終了(23日0時)が差し迫った状況で韓国翻意を要求する米国の圧迫が強まっている。
13日には現職韓米連合司令官が異例の記者懇談会を自ら要望して開いた。GSOMIA終了を憂慮しながら,韓国政府を遠回しに圧迫した発言も公開された。
先週米国国務省首脳部4人が訪韓して,多様な経路で圧迫を加えたのに続き米国国防当局首脳部らも相次いで韓国を訪れて,協定延長を勧める発言を行いそうだ。
ロバート・エブラハム韓米連合司令官兼駐韓米軍司令官は12日京畿平沢市の駐韓米軍基地で持った内外信記者懇談会で“GSOMIAの根本原則は韓国と日本がもしかしたら歴史的差を後にして地域安定と安保を最優先に置いたという明らかなメッセージを地域に投げたこと”と話した。


彼は“安定的で安全な東北アジアを作るにあたって私たちは共にすればさらに強くあるべきだ”と説明した後“GSOMIAがなければ私たちがそれだけ強くないこともあるという誤ったメッセージを送る危険がある”と警告した。
訪日日程を終えて14日開かれる韓米軍事委員会(MCM)会議参加のためにこの日訪韓したマーク ミリ米合同参謀本部議長の動きも注目される。
彼は前日安倍晋三首相との会談を終えた後‘GSOMIA問題を議論したか’という質問に“少し議論した”として“終了期限までに解決したい”とした。
また日本行飛行機内で“(GSOMIAは)地域の安保と安定に必須”と繰り返しGSOMIA維持必要性を強調した。
今回のMCM会議にはミリー議長だけでなくフィリップ,デービスン・インド太平洋司令官とエブラハム司令官も同席する。
14日に韓国を訪れるマーク エスパー米国防長官やはりGSOMIA維持圧迫を加える展望だ。
エスパー長官は15日開かれる韓米安保協議会の(SCM)参加のために訪韓するが,GSOMIAを延長しなければならないという意見を表明するのは間違いない。
韓米同盟財団と駐韓米軍戦友会主催でこの日ソウル,中区ヒルトゥンミルレニオルソウルホテルで開かれた‘第1回歴代連合司令官-副指令官フォーラム’でウォルターシャープ前韓米連合司令官は“大規模挑発には日本も影響を受けるために3者間協力が重要だ”として“GSOMIAが重要な要素”と話した。
今後戦争が勃発したら世界的次元の戦争になることで,この時速かにお互い計画と情報を共有、調整できる体系が必要だがここで情報共有のためのGSOMIAが必須という意味だ。
先立って先週にはデービッド スティルェル東アジア・太平洋担当次官補とジェームズ トゥハトゥ防衛費分担金交渉首席代表,キイス クラク経済次官,マーク内くんで,副次官補など米国国務省核心4人が同時に韓国を訪れた。
ここに米国防総省首脳部と前・現職司令官らまで加勢して出て,GSOMIA延長を促す米国の圧迫が全方向から入ってくる局面だ。
一方日韓両国は国防長官会談を持つことに確定して,最終日程を調整中だ。
韓国の国防部長官はSCM翌日の16日から19日までタイ,バンコクで開かれる第6次アセアン拡大国防長官会の(ADMM-Plus)契機に河野太郎日防衛長官と会談を持つことに合意した。
GSOMIAが終了する23日0時前開かれる事実上最後の国防首脳会談だとGSOMIAが主要懸案になるものと見られる。
軍関係者は“GSOMIA延長有無は国防部長官上層部線で決定される懸案だが,GSOMIA終了を控えて両国が公式的には意見をやり取りする最後機会になること”と話した。

2019年11月10日日曜日

帝国の慰安婦より

帝国の慰安婦という本には、に関する記述がある。やや否定的だ。自分への記録として
ブログに上げておく。




































2019年11月7日木曜日

文喜相・韓国国会議長の早稲田大学での演説起こし

2019年11月5日に行われた文議長のあいさつ文の中で、徴用工に関する部分を起こしました。ご参考に。


口強制徴用被害者などについて韓国の国会が先駆けて立法する

私が提案する法律案は、韓国国民の被害や心の痛みを韓国が先駆けて癒すという前提から始めました。かつて苦痛を強いられた我が国民を国が癒さなければならない時期に至り、もはや大韓民国の国力も十分それに相応しくなったと思います。ちょうど、今年は、上海臨時政府樹立100周年になる節目の年でもあります。

法律案に具体的に盛り込まれるべき内容は、第1に、強制徴用被害者問題や慰安婦被害者問題など韓日の間の葛藤を根本的かつ包括的に解決する内容でなければなりません。

第2に、韓国人法院の判決を受け、すでに執行力が発生した被害者と、将来的に予想される同じ内容の判決で勝訴した被害者に「慰謝料」が支払われれば、日本企業の賠償责任が「代位返済」されたものとみなされ、賠償を受けた人に対しては民事訴訟法による|裁判上の和解」が成立したものと、みなされ、長い間続いた議論が終結する根拠が盛り込まれなければなりません。

第3に、未来志向的な韓日関係に向けて韓日請求権協定などに関する全ての被害者の賠償問題を一定期限を定めて一概に解決する規定を盛り込む必要があります。当然、関連の審議委員会も設置しなければなりません。

財源の確保については、基金を設置するものの、両国の責任ある企業が賠償する1+1方式を原点から見直す方向が望ましいでしょう。

基金の財源は、第1に、両国企業の寄付金でつくるが、责任ある企業だけでなぐその他の企業まで含め自主的に袼付する形であります。第2に、両国国民の民間募金です。第3に、現在残っている「和解-癒し財団」の残高60億ウォンを含めることであります。

最後に、こうした基金を運用する財団に対して、韓国政府が拠出できる根拠条項を作らなければなりません。このように被害当事国である韓国が先駆けて立法を行い、韓日両国が対立している懸案について包括的に協議を行い、譲歩できる名分を与え、和解と協力の糸口がつかめることを期待します。

両国政府は、今すぐこの提案に対する立場を示すことは難しいかも知れません。いずれにせよ国民の代議機関である両国の議会が緊密に協議し、細かく議論して進めていかなければなりません。

日本側の積極的な応えや参加も期待しております。勿論、両国国民の基準に及ばず、みんなから非難されるかも知れないこともよく分かっています。しかし、誰かは提案し、話すべきです。これもやはり私の责務であると考えます,,両国国民の理解と支持が求められていると思われます。

口東京五輪の成功祈願、韓日中での2年おきに五輪が開催される意味は大きい

尊敬する皆様!

北の核問題に対する北東アジアの国際情勢が容易ではない状況にあります。ここ2年間で南北問で4回の首脳会談がありました。米朝問では2回、中朝間では5回、露朝間では1回など、北東アジア域内諸国においては、首脳会談が頻繁に行われました。最近、こうし

たトップダウン方式の外交が日常化しています。

しかし、最も立場が似ている国同土である韓国と日本で首脳会談がほとんど行われないのは、非常に残念でなりません。

韓日両国は、外交安保レベルで互いに切っても切れない関係です。特に、北東アジアの安定と繁栄、韓半島の平和ブロセスを追求する上で、口本が堅持する非核.平和原則は、いくら強調してもしきれません。

さらに、2020年東京五輪があと、1年も残っていません。アジアの韓日中で2年おきに五輪が開催されるのは、前例のないことであり、大きな意味合いがあると思われます。北東アジア地域の平和と安矩はもちろん、世界の平和を主導する契機につなげるべきであります。そのためにも東京五輪が必ず成功するよう祈り、そのためにも、韓门両国の協力が重要であると考えます。

〇第2の金大中.小渕宣言、文在寅‘安倍宣言を希望

皆さん、外交とは、可能性のアートで、政治は、生き物だといわれています。

文在寅大統領の選挙区は釜山です。安倍総理の選挙区は下関です。今も両地域を連絡船が行き来していますが、この船の上で行われる韓日首脳会談を想像してみましょう。南北、米朝首脳会談に匹敵するくらい全世界からの注目を浴びると思います。

この首脳会談を通じ、まず第1に、国交正常化の決着を付けた韓日請求権協定と1998年に金大中大統領と小渕首相とが署名した1日韓共同宣言」を尊重し、第2に、日本のホワイトリストからの韓国排除と韓国の終了措置を元に戾し、第3に、両国の懸案問題(強制徴用エ問題など)を立法によって根本的に解決する妥結が行われることを期待します。

韓日酋脳が近いうちに会って「21世紀の新しい韓日パートナシップ宣言」に勝る第2の金大中.小渕宣言、「文在寅.安倍宣言」が出されることを希望します。

2019年10月22日火曜日

“検察の捜査権分離は100年後にでも” ハンギョレ記事3 終わり



1954年1月9日ソウル,太平路府民館(現ソウル市議会建物)で‘刑事訴訟法草案に対する公聴会’が開かれた。
この日の案件は‘検事と司法警察管理との関係’に関することだった。
“犯罪捜査において司法警察官に主導権を与えるか、または現行刑事訴訟法と同じように司法警察管理を検事の下に置くのか,言わば司法警察管理と検事との関係が相互協力関係なのか,上司の命令に服従の関係に置くか,この問題に対して話してくれ。”(専門委員 ソデキョ)
米軍政初期に浮び上がった‘相互協力’と‘上司の命令に服従’が争点に浮び上がったのだ。
検事出身のオム・サンソプ議員が話した。
“検察機関が犯罪捜査の主体になったら起訴権だけ持っても強力な機関なのに、捜査の権限まで加えるようになるのでこれは結局‘検察ファッショ’をもたらす。
我が国は警察が中央集権制になっているので,警察に捜査権を全面的に任せれば‘警察ファッショ’というものが出てくるのではないか(と憂慮される).
検察ファッショより警察ファッショの傾向がさらに強くないだろうか?こういう点を見て,法制司法委員会ではただ我が国において犯罪捜査の主導権は検察が持つのが良いという程度と考えた。
しかし将来、我が国も近い将来捜査権と起訴権とは分離するこのような方向に出て行った方が良いという考えだ。”
オム議員の話にハンギョクマン検察総長は‘時期尚早論’を持って出た。
“理論的に話せば捜査は警察に任せて検事には起訴権だけ与えようということは法理上では妥当だ。
だがこれから100年後ならば知らないが、検事に捜査権を与えるのが妥当だと考える。”日帝‘巡査’が残っている警察に捜査権まで与えるのは難しいという主張だった。
1954年9月23日国会を通過した刑事訴訟法では
△検察の捜査権と司法警察に対する捜査指揮権
△検察私の司法警察人材導入
△検察作成被疑者尋問調書証拠能力認定
△司法警察官の強制捜査に対する検事の令状統制などを規定した。
この骨格は65年が過ぎた現在までも維持される。
検察の‘激しい風’に動揺
捜査権と起訴権など検察に集中した権限が分散しない理由は検察がこれを拒否する代わりにその権限を土台に政権を思うままにするためだ。
方式はこうだ.
政権前半期には過去政権不正を捜査して,現政権の信任を得て,改革の時間を避ける。
政権後半期に入れば現政権不正にメスを入れて,野党が検察改革の防壁の盾になるようにする。
文在寅政府でも初期には積弊捜査に力を注ぐと今は曺国法務部長官に刃物を突きつけている。
政権が変わる時ごとに反復される検察の‘激しい風’に韓国社会は間違いなく揺れ動く。
生まれて124年が過ぎたが権力分立が相変らずなされないせいだ。
何より検察の力はますます大きくなって行く。
過去軍部独裁時期には保安司や国家情報院などが権力を独占したが,文民政府に入ってきてはその場を検察が占めたのだ。
憲政史上初めての政権交替を成し遂げた1998年4月,金大中大統領は法務部を訪ねて行って“検察が正しく立ってこそ国が立つ”と話すこともした。
だが彼の願いとは違い、検察は自ら権力で位置を占めながら選出された権力の文在寅政府と対抗する状況になった。
日帝強制占領期間に誕生した非正常的検察権力の暗い影が相変らず濃厚だ。
鄭恩珠記者ejung@hani.co.kr

検事の力はなぜ大きくなったのか2 ハンギョレ

専門用語がそのまま出てきて、訳しても意味の分からないところがあるが、とりあえずそのままにしておく。


これは近代的刑事訴訟法の一般的原則を排除する代表的害をもたらす条項だ。
このような‘急速処分’条項が日本刑事訴訟法に登場したことは1922年(大正刑事訴訟法)だった。
日帝強制占領期間、朝鮮が日本より10年もはやかったことだ。
朝鮮人を抑圧するために日本検察制度より強大な権限を検事にあらかじめ与えたことだった。
当時検察と裁判所,警察は日本人が掌握した状態であった。
訴追-捜査-裁判の分離原則崩れて
検事と警察の強制捜査が普遍化して,被疑者をひとまず逮捕して,自白を受け取る方式で捜査が進行された。
言論人朴殷植の証言を見よう(<韓国独立運動史>,1920年).
“警察が見て罪を犯したと認められる者は司法(裁判)によらなくて直接逮捕した。
捜査対象者だけでなくその親戚,友人まで関連させて,事実の有無と軽重を問わず新聞に先立ち残忍な刑罰を加えた。
人事不省になるまで数日を監禁した後に、やっと尋問し,また刑罰を加えて,自白を強要して何の証拠もなし自白だけで罪を成立させる。”
実際に日帝強制占領期間に検挙された人員の半分が警察から解放され,検察に送検された人員の半分以上が不起訴処分を受けた。
略式命令事件を除けば予審や公判に回付される人員は当初検挙人員の10~20%に終わった。
不起訴事件中でも40%内外が無嫌疑であった。
多くの無嫌疑と不起訴処分は検察と警察の公権力行使が無能で苛酷さを証明すると解釈できる。
当時警察と検察が“非科学的検挙”を日常行って“7人の犯罪者を検挙するために100人を捕らえる”という言論批判が出てくることもした。(<東亜日報> 1929年12月6日付け)
公判廷の様子も日本と朝鮮は明確に違った。
日本では検事と弁護人が裁判長の許可を受けて,被告人・証人などを直接尋問することができた。
だが朝鮮では判事が日本人,被告人・証人が朝鮮人のため通訳が不便だとし,これを許さなかった。
検事と弁護士が証人・被告人を直接尋問できないから裁判は書面審理を主とする‘調書裁判’になった。
日帝強制占領期間、朝鮮の刑事手続きは検事と警察が‘急速処分’が必要だとし,被疑者を強制的に捕まえて,自白を強要する‘尋問’を経て調書を作成して,この調書を法廷に提出して,証拠として,有罪を率いるのが一般的だった。
結局‘強制捜査-自白強要-調書裁判’という慣行が固まっていった。
1934年日本裁判を傍聴した朝鮮人弁護士カンビョンスンが朝鮮裁判と比較した文を見よう。
“この(日本)公判審理は当事者対等主義が最も完全に発揮されたのだ。
老練達識の弁護人が起訴事実が不十分だという点を指摘して,手続上のミスをついて,裁判長の許しの下検事に非難の矢は鋭く言い放ったし東京検査局の精鋭検事が出て,事実を説明して必要な要件を補充するように作った。
完全に攻撃と防御の地位がさかさまになったようだった。
このように3者(裁判所・検察・弁護士)がお互い牽制して提携しながら,刑事司法の使命を成しとげて裁判の誤りを防げるのだ。
弁護人の弁論をわずらわしくて大して重要ではないことにここは裁判官,検事独善主義に陶酔して,弁護人を見下して横目でにらむ検事,傾聴する価値がない弁論でもたもたごまかす弁護人を多分含む朝鮮の司法機関が観点を正して経た面を整えて,もう少し近くて合理的に運営されることはいつになるだろうか。”(<法の精神文(門)> 1937年7月5一致)

検事の力はなぜ大きくなったのか ハンギョレの特集記事の翻訳


http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/912106.html

フランス革命後の1808年にナポレオンは、刑事訴訟法を改革しながら検事に直接捜査権を与えることを要求した。

しかし、フランスの法律は、「機関の性格上、検事は訴追権を持つ当事者として、彼は捜査を実施することは正義に反し、都市を脅かす小さな暴君になるだろう」と拒否した。

起訴権と捜査権が検察に集中すると、支配権力の利益のために悪用されかねないという理由からだ。

フランスの刑事訴訟法は、「訴追(公訴提起) -捜査-裁判の分離原則」を確立した。

この近代検察制度は、ドイツなど欧州各国のモデルになった。200年以上経った韓国では、検察が捜査権と起訴権を掌握している。この強大な権力の出発点は、日本植民地時代の刑事制度だ。

甲午改革(1894年(甲午の年)から96年にかけての朝鮮の内政改革。日本の干渉によって成立した金弘集政権の下で、国政事務と宮中事務の分離、科挙の廃止、銀本位制の採用、身分差別の撤廃などの改革が行われた)時の近代化の第一歩を踏み出す時から牽制・分離の原則が正常に動作していないが、日帝強占期と解放を経て、検察の権力集中は加わった。思想犯を処罰するためにでも、警察の権力乱用を防ぐためにでも、検察は権限を育てる機会とした。混乱の中でも、検察の中心の捜査体制が作られて世界で類例を見られない中央集権的な検察制度が誕生した背景だ。

「検事事司法官」という認識の拡散

韓国検察制度は1895年に「裁判所構成法」公布から始まった。甲午改革が生んだ司法近代化の産物であるこの法律は、裁判と行政を分けて、裁判権を裁判所に統一する内容を盛り込んだ。


検事は、裁判所の職員で捜査と起訴権を行使するようになっていた。この法律の制定にも日本人が関与したが、1905年乙巳条約以降は、日本の検察制度がさらに露骨に移植された。

1945年の解放に至るまで朝鮮検察制度は、19世紀のヨーロッパ大陸法系の近代検察制度の形式を取ってきたが、内容は後進的であった。

日本の検察制度という「プリズム」を通過したせいだった。日本は1808年に制定されたフランスの刑事訴訟法に基づい刑事制度が設けられた。

検事は、直接事件を細かく捜査していなかった。警察の捜査に基づく事件を捜査判事に送り公訴を提起・維持する仲介役を引き受けた。

  捜査段階から警察の捜査を指揮して、拘束令状や起訴するかどうかまで判断するのは、捜査判事であった。

これら被疑者の身分調査、調書作成なども務める。しかし、日本の検察が力を付けて、その地位と役割に変化が生じた。わずかな犯罪者を不起訴(起訴猶予)するという「起訴便宜主義」の実践が根付いて検事も判事に準ずる「司法官」という認識が広がった。

刑事訴訟法を改正しようとする動きも1901年から始まった。検察の押収捜索などの強制処分権を拡大し、起訴便宜主義の法的根拠を用意するものである。

また、検事と捜査判事の境界を崩して検事が公判前手続きの支配者として出てうとした。これらの検察権の強化は珍しくも、日本より先に日本植民地時代の朝鮮で実施された。

朝鮮総督府が1912年に「朝鮮刑事令」を公布し、検事と司法警察官(警察)への無制限の強制捜査する自由を与えたものである。

朝鮮刑事令を見れば、検事は現行犯ではなく、事件でも、「急速な処分が必要とするときは "公訴提起前に令状を発行して検証、調査、商品押収をしたり、被告人・証人を尋問するようにした。

検事には20日以内の被告拘留も可能になった。警察もこのような強制処分を一時的にすることができるようにし、拘留と同じ14日留置権まで与えた。


捜査判事の令状がなくても検事と警察は被疑者を一定期間捕まえておいて強制捜査することができるという意味である。

「急速な処分が必要なとき」という基準は明確ではないのに、その判断の主体は完全に検事と警察だった。捜査機関がほぼ自由に強制捜査する余地を開いたわけだ。

スポンサー検事の実態とは 2011年出版の「検事とスポンサー,埋められた真実」


スポンサー検事というキーワードで調べると、ある本がヒットした。関連する記事を翻訳してみた。

검사와 스폰서 묻어버린 진실

https://news.joins.com/article/5356615

‘検事とスポンサー,埋められた真実’は刑務所に収監中であるチョン氏が口述して当時事件を取材した記者ジョンヒさん(48)らがこれを受けて,整理した本だ。

チョン氏が昨年4月MBC TV ‘PD手帳’を通じて‘スポンサー検事’疑惑を暴露した以後特検が捜査を繰り広げてその結果が出てくるまでの過程が盛り込まれた。

チョン氏が餞別金で30万~50万ウォンスポンサー検事たちに渡した金品の金額と一時,場所などが具体的に記述されている。

寸志授受慣行と前・現職検事たちが酒・性接待を受ける場面などを実名と共に赤裸々に暴いて,論議を呼びおこしている。

チョン氏は本で“検察の支庁を離れる検事たちに餞別金で30万~50万ウォンを渡した”として“カフェなど酒場掛け金もみな代わりに払った”と暴露した。

“1986年から純金ボタンを贈り物に与えた”として“3お金純金ボタン二つをワンセットでプレゼントしたのに検事たちも珍しく思うからとても好きだった”と主張した。

チョン氏はまた1ヶ月に二回ずつ庁長100万ウォン,平検事30万ウォン,事務課長30万ウォン,係長に10万ウォンずつ上納したとも少なかった。

退職検事たちまで含めば一回以上接待した人は200人以上になるといった。

この中検事56人の実名をカナダ順で整理して,公開した。
検事たちの酒の席は大部分性接待につながったという事実も暴露した。

特に,本の第4章‘大韓民国検事たち,このように遊んだ’中に描写された検事たちの形態は読みながらも信じられないほどだ。

“(性接待のために)モデルらが釜山で晋州に降りてくる時,高速巡察隊の護衛を受けた。


隊員らが40人ぐらいなったのに,そのようにモデルらを晋州で呼ぶ行事を行う時ごとに寸志を与えた。”(110ページ)

検事たちは飛ぶ鳥だけ落としたのでなく私は飛行機も飛ばないようにしたと主張した。

あるとき検事たちが、金浦空港に行くことになった、しかし、どんなに飛行機搭乗手続を簡素化しても、日曜日智異山登攀を終えた検事たちは飛行機が離陸する10分前までは到着しなければならなかった。

空港には警察が常駐勤める103号室という所がある。

当時この103号室ですべての乗客が搭乗した後飛行機離陸時間を30分以上遅延させてくれた。
検事たちは手続も省略したまま緊急に飛行機に上がったし,飛行機は30分遅く離陸した。”(114~116ページ)


著者は検察の出版阻止疑惑も提起した。

“この本をしばらく編集していた3月頃検察では本が出てくるという情報を入手して神経を尖らせていた”として“チョン氏が安東刑務所で収監される前釜山拘置所にある時,釜山地検検事がこの本草稿を入手しようと彼の部屋に押しかけた”と明らかにした。

“果たして検察共和国だ。
検察を含んだ司法府は公権力として存在理由を喪失した”と非難した。

【ソウル=ニュシス】

2019年10月21日月曜日

検察改革の焦点、公捜庁とは何か?

検察改革に関する記事に必ず出てくる公捜庁についてSBSの解説記事を参考にまとめた。

Q:公捜庁とは何か?

A:公捜庁とは‘高位公職者不正捜査処’を短くした呼び方だ。文字どおり高位公職者らの犯罪行為を捜査して罪を問いただす特別な機関です。

これを通じて,高位公職者の不正腐敗と権限乱用を厳しく追及しよう狙いだ。

公捜庁は公職者から大統領の親戚まで捜査できて,検察や大統領直属機関とは分離した独立的な機関だ。

Q:なぜ公捜庁が必要なのか。

A:最近公捜庁議論の発端になったのは‘スポンサー検事’です。スポンサー検事とは、後ろ暗い金を受け取って捜査の便宜を図る検事を意味する。

最近金ヒョンジュン部長検事が高校同窓など知人らと疑わしいお金取り引きをして便宜を提供したという疑惑が表面化した。

各種不正疑惑で拘束されたチン・ギョンジュン前検事長とホン・マンピョ前検事長も同じ疑いをかけられた。

司法の正義のために努力しなければならない検察が恥ずかしい不正腐敗事件にかかわるたびごとに、検察を改革しなければならないという声が強まっている。

だが検察自ら新たに出るという?いわゆる‘セルフ改革’は効果がないという批判が持続的に提起されている。

去る5年間金品授受など不正を行って,懲戒受けた検事は46人もなるが解任はせいぜい2人だけでした.
軽い処分になったのは身内に甘いからでしょう。野党は検察が腐敗を根絶することができない根本理由を検察にすべての権力が集中している構造のせいだと見ている。

大韓民国の誰も検察を牽制できないので、独立機関の‘公捜庁’を設けて検察を監視しなければという主張が出てきたのだ。
?
与党の民主党は“検察は自らの検察と特任検事などを活用して,腐敗清算に出ているが,腐敗実体を糾明して構造的不正を根絶するのに限界がある。

検察をはじめとする高位公職者の不正腐敗を独立した位置で厳正捜査して起訴できる機関の高位公職者不正捜査処を設置して,不正行為を監視して清算するしかないと主張している。”

Q:では野党がが反対する理由は何か?

A:‘屋上屋’というものだ。あえて必要がないというのだ。すでに与野合意で特検と特別検察官を設けたのに公捜庁を作る場合、役割がお互い重なると説明します。
また,公捜庁を作れば司法体系の根幹の起訴独占主義も崩れると心配している。

起訴独占主義とはひたすら検察だけ犯罪行為を裁判に越せる‘起訴’をすることができるという原則だ。


[参加連帯](NGO)


“現行特検法の限界はすでにセウォル号惨事,などで十分にあらわれた。

政治権力から独立性を担保できないという限界がある。”
特別監察官制度も独立性を担保するのに限界がある。

特別監察観は強制捜査権限がないので制約的な調査しかできない。また大統領所属という点で結局身内保護式捜査が行われる恐れがある。

Q:公捜庁新設法案が国会で通過する可能性はあるのか?

与野間合意がない法案を国会本会議で通過させようとするなら国会議員総数300席の中で60%である180席の賛成を得なければならない。

原本リンク:https://news.sbs.co.kr/news/endPage.do?news_id=N1003776225&plink=COPYPASTE&cooper=SBSNEWSEND

2019年10月19日土曜日

高位公職者犯罪捜査処とは

http://world.kbs.co.kr/service/news_view.htm?lang=j&Seq_Code=65146


参考になる記事をスクラップ

高位公職者犯罪捜査処の設置は、金泳三(キム・ヨンサム)政権当時の1996年に野党だった新政治国民会議が国会に提出した「腐敗防止法案」で初めて取り上げられ、続く金大中(キム・デジュン)政権下の1999年に初めて設置が進められましたが、検察の強い反発にあい、実現しませんでした。
それ以降、盧武鉉(ノ・ムヒョン)、李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)政権でも、設立に向けた動きが起きていましたが、与野党の間の意見の相違や、検察などの反発により、立ち消えになっていました。
ところが、文在寅(ムン・ジェイン)政権発足後、状況は一変しています。
去年7月、現職の検事長がITベンチャー企業から巨額の賄賂を受け取った容疑などで起訴されるなど、検察幹部による不正が相次いで発覚したことなどから、検察の改革を求める声がかつてないほど高くなっています。
また、文大統領も検察改革に向けた強い意志を示しており、文在寅政権が、歴代政権がなし遂げられなかった「検察改革」を達成する可能性が高いというのが大方の見方です。
現在、国会には、高位公職者犯罪捜査処に関する法案が3件提出されています。
政府は、法務部傘下の法務・検察改革委員会がこのほどまとめた高位公職者犯罪捜査処の設置を柱とする高位公職者犯罪捜査処設置案と、現在、国会に出されている法案をもとに政府案をまとめ、立法化を推進するとしています。
高位公職者犯罪捜査処は、捜査、起訴、公判を維持する権限を全て持つ独立した捜査機関で、警察や検察と捜査が重なった場合は高位公職者犯罪捜査処が優先的に捜査することができます。
国会での審議を経て、高位公職者犯罪捜査処の設置に向けた法案が本会議で成立すれば、60年以上続いてきた、検察官のみに公訴提起の権限を独占させる起訴独占主義が事実上崩壊することになります。

韓国検察の歴史 ハンギョレ

後で読んでみる。とりあえずスクラップ
124년의 검찰권력, 일제가 낳고 보안법이 키웠다

등록 :2019-10-05 09:46수정 :2019-10-11 18:31

  • 페이스북
  • 트위터
  • 공유
  • 스크랩
  • 프린트

크게 작게

[토요판] 커버스토리
무소불위 검찰의 탄생기
일본, 프랑스법 토대로 형소법 마련
검사는 경찰과 수사판사 중개역
갑오개혁 이후 일본 영향으로
1895년 재판소법에서 검사 첫 등장
재판소 직원으로 수사·기소권 행사
1912년 조선형사령 공포
검경 강제수사권 폭넓게 허용
법적 기준 애매… 독소조항 비판
1940년대 검사 중심의 수사 확립

1895년 우리나라에 처음 도입된 검찰제도는 일제강점기와 해방을 거쳐 1954년 형사소송법이 시행되는 과정에서 세계적으로 유례를 찾기 힘든 막강한 힘을 지닌 권력기관으로 성장했다. 근대 형사사법제도의 기본원리인 ‘소추-수사-재판의 원칙’이 확립되지 못한 채 때로는 대륙법, 때로는 영미법을 활용해가며 권한을 키웠기 때문이다. 그래픽 박향미 기자 phm8302@hani.co.kr, 사진 신소영 기자 viator@hani.co.kr·서울역사박물관

1895년 우리나라에 처음 도입된 검찰제도는 일제강점기와 해방을 거쳐 1954년 형사소송법이 시행되는 과정에서 세계적으로 유례를 찾기 힘든 막강한 힘을 지닌 권력기관으로 성장했다. 근대 형사사법제도의 기본원리인 ‘소추-수사-재판의 원칙’이 확립되지 못한 채 때로는 대륙법, 때로는 영미법을 활용해가며 권한을 키웠기 때문이다. 그래픽 박향미 기자 phm8302@hani.co.kr, 사진 신소영 기자 viator@hani.co.kr·서울역사박물관

프랑스혁명 이후인 1808년 나폴레옹은 형사소송법을 개혁하면서 기소권자인 검사에게 직접수사권을 줄 것을 요구했다. 하지만 프랑스 법률가들은 “기관의 성격상 검사는 소추권을 가진 당사자로서, 그가 수사를 시행하는 것은 정의에 어긋나고 도시를 위협하는 작은 폭군이 될 것”이라고 거부했다. 기소권과 수사권이 검찰에 집중되면 지배권력의 이익을 위해 악용될 수 있다는 이유에서다. 프랑스 형사소송법은 ‘소추(공소제기)-수사(예심)-재판의 분리 원칙’을 확립했고, 이 근대 검찰 제도는 독일 등 유럽 각국의 모델이 됐다.

200년 넘게 흘렀지만 한국에서는 검찰이 수사권과 기소권을 장악하고 있다. 이 막강한 권력의 출발점은 일제강점기 형사 제도다. 갑오개혁 때 근대화의 첫발을 내디딜 때부터 견제·분리의 원칙이 제대로 작동되지 않았지만 일제강점기와 해방을 거치면서 검찰의 권력 집중은 더해졌다. 사상범을 처벌하기 위해서든, 경찰의 권력 남용을 막기 위해서든 검찰은 권한을 키우는 기회로 삼았다. 혼란 속에서도 검찰 중심의 수사 체제가 만들어지고 세계에서 유례를 찾아보기 힘든 중앙집권적인 검찰 제도가 탄생하게 된 배경이다.

검사 역시 ‘사법관’이라는 인식 확산

한국 검찰 제도는 1895년 ‘재판소구성법’ 공포에서 시작됐다. 갑오개혁이 낳은 사법 근대화의 산물인 이 법은 재판과 행정을 나누고, 재판권을 재판소로 통일하는 내용을 담았다. 검사는 재판소의 직원으로 수사와 기소권을 행사하게 돼 있었다. 이 법 제정에도 일본인들이 관여했지만, 1905년 을사늑약 이후에는 일본 검찰 제도가 더욱 노골적으로 이식됐다. 1945년 해방에 이를 때까지 조선 검찰 제도는 19세기 유럽대륙법계의 근대 검찰 제도 형식을 따왔지만 내용은 후진적이었다. 일본 검찰 제도라는 ‘프리즘’을 통과한 탓이었다.

일본은 1808년에 제정된 프랑스 형사소송법을 토대로 형사 제도가 마련됐다. 이에 검사는 직접 사건을 세밀하게 수사하지 않았다. 경찰 수사에 기초한 사건을 수사판사에게 보내고 공소를 제기·유지하는 중계자 몫만 맡았다. 수사 단계부터 경찰의 수사를 지휘하고, 구속영장 발부나 기소 여부까지 판단하는 것은 수사판사였다. 이들은 피의자 신문, 조서 작성 등도 맡는다.

하지만 일본 검찰이 힘을 키우면서 그 위상과 역할에 변화가 생겼다. 경미한 범죄자를 불기소(기소유예)하는 ‘검사의 기소편의주의’ 관행이 뿌리내리고 검사 역시 판사에 준하는 ‘사법관’이라는 인식이 퍼졌다. 이에 형사소송법을 개정하려는 움직임이 1901년부터 움텄다. 검찰의 압수수색 등 강제처분권을 확대하고, 기소편의주의의 법적 근거를 마련하는 것이다. 또 검사와 수사판사의 경계를 허물고 검사가 공판 전 절차의 지배자로 나서고자 했다.

이러한 검찰권 강화는 특이하게도, 일본보다 앞서 일제강점기 조선에서 시행됐다. 조선총독부가 1912년 ‘조선형사령’을 공포하면서 검사와 사법경찰관(경찰)에 무제한 강제수사할 자유를 부여한 것이다. 조선형사령을 보면, 검사는 현행범이 아닌 사건이라도 “급속한 처분이 요하는 때”는 공소제기 전에 영장을 발부해 검증, 수색, 물건 압수를 하거나 피고인·증인을 신문할 수 있도록 했다. 검사에게는 20일 이내의 피고인 구류도 허용됐다. 경찰도 이러한 강제처분을 임시적으로 할 수 있도록 했고, 구류와 동일한 14일 유치권까지 줬다. 수사판사의 영장이나 신문 없이도 검사와 경찰은 피의자를 일정 기간 붙잡아놓고 강제수사할 수 있다는 뜻이다. “급속한 처분이 필요한 때”라는 기준은 명확하지 않았는데, 그 판단의 주체는 전적으로 검사와 경찰이었다. 수사기관이 거의 자유롭게 강제수사할 여지를 열어둔 셈이다. 이는 근대적 형사소송법의 일반적 원칙을 배제하는 대표적 독소조항이다.

이러한 ‘급속처분’ 조항이 일본 형사소송법에 등장한 것은 1922년(다이쇼 형사소송법)이었다. 일제강점기 조선이 일본보다 10년이나 빨랐던 셈이다. 조선인을 억압하기 위해 일본 검찰 제도보다 막강한 권한을 검사에게 미리 준 것이었다. 당시 검찰과 재판소, 경찰은 일본인이 장악한 상태였다.

그래픽 박향미 기자 phm8302@hani.co.kr

그래픽 박향미 기자 phm8302@hani.co.kr

소추-수사-재판의 분리 원칙 무너져

검사와 경찰의 강제수사가 보편화하자 피의자를 일단 체포해 자백을 받아내는 방식으로 수사가 진행됐다. 언론인 박은식의 증언을 보자(<한국독립운동지혈사>, 1920년).

“경찰이 보고 죄를 범했다고 인정되는 자는 사법(재판)에 의하지 않고 직접 체포했다. 그자뿐만 아니라 그의 친척, 친구까지 관련시켜 사실의 유무와 경중을 불문하고 신문에 앞서 잔인한 형벌을 가했다. 인사불성이 되도록 여러 날을 감금한 뒤에 비로소 신문하기 시작하는데, 또한 형벌을 가하여 자백을 강요하고 아무런 증거도 없이 자백만으로 죄를 성립시킨다.”

실제로 일제강점기에 검거된 인원의 절반이 경찰에서 풀려나고, 검찰에 송치된 인원의 절반 이상이 불기소처분을 받았다. 약식명령 사건을 제외하면 예심이나 공판에 회부되는 인원은 애초 검거 인원의 10~20%에 그쳤다. 불기소 사건 가운데에도 40% 안팎이 무혐의였다. 많은 무혐의와 불기소처분은 검찰과 경찰의 공권력 행사가 무능하고 가혹함을 증명하는 것으로 해석할 수 있다. 당시 경찰과 검찰이 “비과학적 검거”를 일삼아 “7인의 범죄자를 검거하기 위해 100명을 잡아들인다”는 언론 비판이 나오기도 했다.(<동아일보> 1929년 12월6일치)

공판정(법정) 모습도 일본과 조선은 확연히 달랐다. 일본에서는 검사와 변호인이 재판장의 허가를 받아 피고인·증인 등을 직접 신문할 수 있었다. 하지만 조선에서는 판사가 일본인, 피고인·증인이 조선인인 탓에 통역이 불편하다며 이를 허용하지 않았다. 검사와 변호사가 증인·피고인을 직접 신문하지 못하니까 재판은 서면 심리를 위주로 하는 ‘조서재판’이 됐다.

일제강점기 조선의 형사 절차는 검사와 경찰이 ‘급속처분’이 필요하다며 피의자를 강제로 붙잡아 자백을 강요하는 ‘신문’을 하고 조서를 작성해 이 조서를 법정에 제출해 증거로 삼아 유죄를 이끄는 게 일반적이었다. 결국 ‘강제수사-자백 강요-조서재판’이라는 관행이 굳어져갔다. 1934년 일본 재판을 방청한 조선인 변호사 강병순이 조선 재판과 비교한 글을 보자.

“이 (일본) 공판심리는 당사자대등주의가 가장 완전하게 발휘된 것이다. 노련달식한 변호인이 기소 사실이 미흡하다는 점을 지적하고, 수속상의 흠을 들어 재판장의 관용 아래 검사에게 비난의 화살은 쏘아붙였고 동경검사국의 정예(의 검사)가 나서 사실을 설명하고 필요한 요건을 보충하도록 만들었다. 완전히 공격과 방어의 지위가 뒤바뀐 것 같았다. 이렇게 3자(법원·검찰·변호사)가 서로 견제하고 제휴하며 형사사법의 사명을 완수하고 재판의 오류를 막을 수 있는 것이다.

변호인의 변론을 번거롭고 자질구레한 것으로 여기는 재판관, 검사독선주의에 도취해 변호인을 깔보고 흘겨보는 검사, 하등 경청할 가치 없는 변론으로 어물어물 얼버무리는 변호인을 다분히 포함하는 조선의 사법기관이 관점을 바로잡고 거친 면을 다듬어 좀더 가깝고 합리적으로 운영되는 일은 언제가 될 것인가.”(<법정신문> 1937년 7월5일치)

4일 서울 서초구 서초동 대검찰청 4층에 있는 검찰역사관에서 대한민국 검찰 제도의 성립 과정을 소개하는 전시관을 직원이 설명하고 있다. 강재훈 선임기자 khan@hanii.co.kr

4일 서울 서초구 서초동 대검찰청 4층에 있는 검찰역사관에서 대한민국 검찰 제도의 성립 과정을 소개하는 전시관을 직원이 설명하고 있다. 강재훈 선임기자 khan@hanii.co.kr

국가보안법으로 검사 위상 올라가

일제강점기에 검사의 경찰에 대한 수사지휘권과 직접수사권은 제대로 이뤄지지 않았다. 조선형사령은 경찰이 검사의 지휘를 받아 범죄를 수사하고 검사의 직무상 명령이 복종해야 된다고 규정했지만, 실상에서 검사가 경찰에 대한 확고한 통제력을 갖고 있지 않았다. 예를 들어 경찰은 ‘급속처분’이 필요한 사건에서 그 취지를 검사에게 ‘통지’하고 강제수사를 독립적으로 할 수 있었다. 또 벌금·구류·과료 등 범죄 즉결처분과 무죄, 면소, 훈계방면 등도 경찰은 가능했다. 이는 검사의 통제력이 미치지 않는 영역이었다.

검사의 통제력이 약했던 이유는 검사 수가 부족한 탓도 컸다. 1910년대에 식민지 조선에는 총 60여명의 검사가 있었는데, 법원에 속한 검사를 빼고 나면 실제 일선에서 수사와 송무를 담당할 인력이 절반 수준이었다. 이 상황에서 검사가 적극적으로 수사권과 수사지휘권을 발휘하기가 어려웠다. 일제강점기 초기 검사는 경찰의 수사 결과에 전적으로 의존해 사건을 법원에 넘겨주는 데 충실했다.

하지만 조선총독부의 검찰 관료들은 이에 만족하지 않았다. 이들은 검사가 ‘수사의 수뇌’로서 직접수사에 나서야 한다는 생각이 강했다. 일본 검찰은 이미 직접수사를 검찰사무의 중추로 내세우고, 정치권의 운명을 좌우할 정도의 영향력을 발휘하는 상태였기 때문이다. 1920년부터 조선에서도 검찰이 능동적·적극적으로 직접수사하도록 검찰 당국이 일선 검사들을 독려했다. 실제로 검찰이 직접수사한 사건 비율로 보면, 1910년대에는 10% 안팎에 그쳤지만, 1920년대 들어 늘어나 1931~33년에는 30%를 웃돌았다. 검찰이 범죄의 수사와 소추에 적극 임한 것이다.

큰 변화는 일제강점기 후기에 찾아왔다. 1941년 3월에 공포된 ‘국가보안법’과 ‘치안유지법’ 개정안으로 검사의 위상이 획기적으로 바뀐 것이다. 두 법을 위반한 사건을 수사할 때 검사에게 피고인의 소환, 구인·구류, 피고인과 증인신문, 압수, 수색, 검증, 감정, 통역과 번역 등의 강제처분권이 부여됐다. 하지만 경찰은 검사의 명령에 의해서만 이들 처분을 할 수 있어, 이전과 달리 모든 강제수사권이 검사에게 집중됐다. 검사 중심의 일원적 수사 체제가 수립된 것이다. 두 법은 고스란히 조선에 적용됐고, 검사의 수사주도권이 한층 강화됐다. 이처럼 일본의 추세에 앞서가며, 혹은 그에 보조를 맞추며 조선의 검찰은 권력을 차곡차곡 쌓아갔다.

경찰에 대한 비난 여론을 등에 업고

1945년 해방 직후 일제강점기의 잔재인 ‘식민지 사법체제’를 극복해야 한다는 개혁의 목소리가 터져나왔다. 방식은 권력을 분립하고 인권을 보장하는 것이었다. 이를 위해선 강제수사가 무한정 보장됐던 검사 권한의 축소가 필수였다. 하지만 검찰은 기존의 지위와 권한을 지키고 조직을 강화하는 데 힘을 기울였다. 그 노력은 결실을 보았다.

예컨대 미군정은 검찰과 경찰의 상명하복 관계에 변화를 꾀하려 했다. 1945년 12월29일 하달된 ‘법무국장의 검사에 대한 훈령 제3호’를 보면, “검사의 선결직무는 관할재판소에 사건을 공소함에 있고 세밀한 조사는 검사의 책무가 아니”며 “검사는 경무국(경찰)이 행할 조사사항을 경무국에 의뢰”하되 “실제로 법적 검토를 요하는 조사에 관하여 필요하다면 관여한다”고 규정했다. 미국식으로 경찰에 1차 수사권을 주고 검찰과 경찰의 관계도 상호 협력적으로 바꾸려는 움직임으로 읽혔다. 실제로 일본에서는 비슷한 변화가 생겼다.

하지만 경찰은 이 훈령을 주관적으로 해석해 검찰에 비협조적 모습을 보였다. 경찰은 군정포고 위반 범죄를 한국 검찰에 송치하지 않고 미군정 재판소에 넘겨버리고 검찰의 수사지원 요청도 외면하기 일쑤였다. 미군정 또한 경찰을 두둔했다. 이에 맞서기 위해 검찰은 갖은 트집을 잡아 경찰보고서를 반려하거나 경찰의 피의자 고문 사건을 가차 없이 구속 기소한다는 내부 방침을 세웠다.

검찰과 경찰이 격하게 대립하자 여론은 검찰 편에 섰다. 해방 이후 중앙집권적 조직으로 개편된 경찰이 고문 등 심각한 인권 유린을 자행하고 권력을 남용한 탓이었다. 검찰은 경찰의 행태에 대한 비난 여론을 등에 업고 수사지휘권을 확보하는 데 나섰다. 경찰이 검사를 보좌해 검사의 지휘명령을 받아 범죄를 수사한다는 점을 법률로 못박자고 건의한 것이다.

1947년 대검찰청이 법원과 검찰청의 분리를 위해 마련한 ‘검찰청조직법안’을 보면 당시 검찰이 꿈꾼 ‘검사의 역할’을 짐작할 수 있다. “형사사건에 관하여 어떤 범죄라도 직접 또는 사법경찰관리를 지휘하여 수사하고, 그 결과에 의해 공소 제기 또는 불기소처분의 결정을 하며, 공판 진행에 필요한 사무를 수행한다.” 검찰청법이 1949년 12월20일 제정되면서, 이 꿈은 실현됐다.

검사가 작성한 피의자 신문조서도 여전히 재판에서 증거능력을 인정받았다. 원래 조서 작성은 판사의 권한에 속하는데도 대법원은 이를 문제제기하지 않았다. 1950년 나항윤 판사의 글(‘법창수상’·<법정>)에서 그 이유를 짐작해볼 수 있다.

“준전시체제에 돌입한 현 단계에 있어 물적 증거의 수집이 극도로 곤란한 국가보안법 위반사건에 관하여 법정에서 물적 증거가 없는 사실에 대해서는 전혀 부인하는 것으로써 표어를 삼고 있는 그자들을 유죄의 심증이 드는데도 불구하고 단순히 형식적인 증거가 없다는 이유로서 무죄판결을 선고함으로써 그자들로 하여금 법망을 뚫고 나가게 할 수는 절대로 없는 일이다.”

그래픽 박향미 기자 phm8302@hani.co.kr

그래픽 박향미 기자 phm8302@hani.co.kr

“검경 수사권 분리는 100년 후에나”

1954년 1월9일 서울 태평로 부민관(현 서울시의회 건물)에서 ‘형사소송법 초안에 대한 공청회’가 열렸다. 이날 첫 안건은 ‘검사와 사법경찰관리와의 관계’에 관한 것이었다. “범죄 수사에 있어서 사법경찰관에게 주도권을 줄 것인가 또는 현행 형사소송법과 마찬가지로 사법경찰관리를 검사의 지휘하에 둘 것인가, 말하자면 사법경찰관리와 검사와의 관계가 상호 협력 관계이냐, 상명하복의 관계에 둘 것이냐, 이 문제에 대해서 말해달라.”(전문위원 서대교)

미군정 초기에 떠올랐던 ‘상호 협력’과 ‘상명하복’이 다시 쟁점으로 떠오른 것이다. 검사 출신인 엄상섭 의원이 말했다. “검찰기관이 범죄 수사의 주체가 된다면 기소권만 가지고도 강력한 기관인데 수사의 권한까지 더하게 되니 이것은 결국 ‘검찰 파쇼’를 가지고 온다. 우리나라는 경찰이 중앙집권제로 되어 있는데, 경찰에다가 수사권을 전적으로 맡기면 ‘경찰 파쇼’라는 것이 나오지 않나 (우려된다). 검찰 파쇼보다 경찰 파쇼의 경향이 더 세지 않을까? 이런 점을 봐 법제사법위원회에서는 오직 우리나라에 있어서 범죄 수사의 주도권은 검찰이 갖는 게 좋다는 정도로 생각했다. 그러나 장래에는 우리나라도 조만간 수사권하고 기소권하고는 분리하는 이러한 방향으로 나가는 것이 좋겠다는 생각이다.”

엄 의원의 말에 한격만 검찰총장은 ‘시기상조론’을 들고 나섰다. “이론적으로 말하면 수사는 경찰에 맡기고 검사에게는 기소권만 주자는 것은 법리상으로는 타당하다. 하지만 앞으로 100년 후면 모르지만 검사에게 수사권을 주는 것이 타당하다고 생각한다.” 일제 ‘순사’가 남아 있는 경찰에 수사권까지 주는 것은 어렵다는 주장이었다.

1954년 9월23일 국회를 통과한 형사소송법에서는 △검찰의 수사권과 사법경찰에 대한 수사지휘권 △검찰 내 사법경찰 인력 도입 △검찰 작성 피의자 신문조서 증거능력 인정 △사법경찰관의 강제수사에 대한 검사의 영장 통제 등을 규정했다. 이 골격은 65년이 지난 현재까지도 유지된다.

검찰의 ‘칼바람’에 요동

수사권과 기소권 등 검찰에 집중된 권한이 분산되지 않는 이유는 검찰이 이를 거부하는 대신 그 권한을 토대로 정권을 좌지우지하기 때문이다. 방식은 이렇다. 정권 전반기에는 과거 정권 비리를 수사해 현 정부의 신임을 얻어 개혁의 시간을 피한다. 정권 후반기에 들어서면 현 정권 비리에 칼날을 들이대 야당이 검찰개혁의 방패막이가 되도록 한다. 문재인 정부에서도 초기에는 적폐 수사에 힘을 쏟더니 이제는 조국 법무부 장관에 칼을 겨누고 있다. 정권이 바뀔 때마다 반복되는 검찰의 ‘칼바람’에 한국 사회는 어김없이 요동친다. 태어난 지 124년이 지났지만 권력분립이 여전히 이뤄지지 않은 탓이다.

무엇보다 검찰의 힘은 갈수록 커져간다. 과거 군부독재 시절에는 보안사나 국가정보원 등이 권력을 독점했지만, 문민정부 들어와서는 그 자리를 검찰이 차지한 것이다. 헌정 사상 첫 정권교체를 이룬 1998년 4월, 김대중 대통령은 법무부를 찾아가 “검찰이 바로 서야 나라가 선다”고 말하기도 했다. 하지만 그의 바람과 달리 검찰은 스스로 권력으로 자리매김하며 선출된 권력인 문재인 정부와 맞서는 지경이 됐다. 일제강점기에 탄생한 비정상적 검찰 권력의 어두운 그림자가 여전히 짙다.

정은주 기자 ejung@hani.co.kr

참고문헌: 문준영 <법원과 검찰의 탄생>(2010·역사비평사), 대법원 ‘바람직한 형사사법시스템의 모색’(2004), 손영조 ‘검사의 신문조서 작성권한에 관한 연혁적 비교연구’(2018), 신동운 ‘제정 형사소송법의 성립경위’(2004), 심희기 ‘일제강점기 조서재판의 실태’(2006), 유주성 ‘수사와 기소 분리를 위한 쟁점과 과제’(2018)

이슈검찰 개혁

원문보기:
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/912106.html#csidxcaff61e495a1217bbdbbf642e4c4990

ザ・キング 解説映像

http://www.hani.co.kr/arti/hanitv/hanitv_general/913788.html


2017年の映画解説。分かりやすい。

検事の生活白書のような映画だと評価。

韓国では検事が悪く描かれる。

2016年の総選挙では検事出身が16人もいたという。

盧武鉉大統領が自殺した事件が、この映画の製作動機だった。

軍隊を出てから、そのまま高試院に入って勉強に集中する。世間をしらないことが分かる。

映画の中の台詞

「

政治家ってものはな
必ずやられたことには復讐しなきゃならない
これぞ非常に複雑な政治工学の哲学というわけだ

」ハン・ガンシク


› 韓流・華流 › スクープ › 記事
チョ・インソン×チョン・ウソン初共演作『ザ・キング』日本オリジナル本予告公開
“やられたら、やり返す!それが政治理念だ!”をモットーに1%の成功者になるため翻弄される若き検事の成り上がりの人生を描き、韓国

<韓流・華流>予告編
ドニー・イェン、熱血家庭訪問&護身術指導…規格外の授業開始『スーパーティーチャー』予告
麻薬捜査のはずが絶品チキンで大繁盛『エクストリーム・ジョブ』“揚げる大捜査線”予告
少女時代・ユナもワイヤーアクションに挑戦『EXIT』日本版予告編
編集部にメッセージを送る

“やられたら、やり返す!それが政治理念だ!”をモットーに1%の成功者になるため翻弄される若き検事の成り上がりの人生を描き、韓国で観客動員530万人を超える大ヒットを記録した『ザ・キング』。ドラマ「大丈夫、愛だ」のチョ・インソンが8年ぶりにスクリーンに復帰し、『アシュラ』のチョン・ウソンと共演した本作から、日本オリジナルの本予告編映像がどこよりも早くシネマカフェに到着した。

>>あらすじ&キャストはこちらから

本作は、1980年から2010年にわたる激動の韓国現代史を背景に、国家という巨大ピラミッドに蔓延する理不尽なパワハラや、大統領選挙の裏で活発化するスリリングな駆け引きを実話さながらに描きあげた、スタイリッシュなクライム・エンターテインメント。

『ザ・キング』(c)2017NEXT ENTERTAINMENT WORLD & WOOJOO FILM All Rights Reserved.
到着した映像では、チョ・インソン演じる平凡な新人検事パク・テスが、チョン・ウソン演じる絶対的成功者で検事界の王(キング)ハン・ガンシクと出会い、出世と権力のためならば悪事も厭わない非道な世界で、自らの成り上がりを目指す姿が描かれていく。さらに「スキャンダルはスキャンダルでもみ消せ」という権力争いの中、2人はやがて権力争いで対峙することになる場面もあり、初共演となるチョ・インソン、チョン・ウソンのガチンコ演技も見どころ。そして、最後にはチョン・ウソンが真顔でバブリーダンスも披露している。


https://www.cinemacafe.net/article/2018/01/06/54789.html より

チョグク法相「検察改革案の詳細内容会見」


知人のFBから

たぶん日本では報道されないと思いますが、チョ法相はこの会見後に、役割を終えたとして辞任を表明しました。

<全文訳>チョグク法相「検察改革案の詳細内容会見」

尊敬する国民の皆さま、
今月8日、法相就任1か月に際して「国民と検察が一緒に進める検察改革推進計画」を発表しました。今日は、12日の法務省・最高検察庁の合意結果と、13日の与党・政府・大統領府によるハイレベル協議の結果に基づいて「検察改革の制度化の成果」を申し上げます。

まず、検察改革の第一に「大統領令」の改定事項として、特別捜査部の名称を廃止し部署を縮小します。検察が本来の役割である「人権保護機関」へと再生するためには、検察の直接捜査の縮小が絶対に必要です。

最近、最高検察庁も特別捜査部を置く検察庁を3庁に縮小する立場を明らかにしています。 このような社会的コンセンサスに基づき、法務省は最高検察庁の意見を受け入れ、現在7庁にある特捜部をソウル中央地検、大邱地検、光州地検の3庁のみ残して、残りは全廃することを決定しました。

存続する3庁の特捜部の名称も反腐敗捜査部に変更します。これで1973年、最高検察庁の特捜部設置に始まった特別捜査部という名称が約45年ぶりに廃止されます。名称変更によって、これまで特捜部の捜査が一般刑事事件とは異なる「特別な捜査」を意味するように思われてきた誤った認識を正し、少数の特捜部を中心に運営されてきた組織文化を刑事部、公判部中心に立て直そうということです。

(現在特捜部の)捜査対象を「検事長(検事長・検事正)が指定する事件」と包括的に規定している現行規定を改正し、公務員の職務関連犯罪、重要企業犯罪などに具体化しました。特捜部が廃止される仁川地検、水原地検、大田地検、釜山地検の4庁では特捜部を刑事部に変更し、民生事件をより忠実に捜査できるようにしました。

法務部は、これらの内容を盛り込んだ「検察庁事務機構に関する規定」の改正案を明日、閣議に上程する予定です。ソウル中央地検の特捜部など直接捜査部署の縮小、全国各検察庁の刑事公判部を除く直接捜査部署の縮小についても、最高検察庁と協議して迅速に推進する予定です。

次に、法務省訓令である「人権保護捜査準則」を、法務省令の「人権保護捜査規則」に格上げして立法し、規範力と実効性を強化します。最高検察庁等、関係機関に意見照会中で10月中に制定する予定です。

その内容は第一に、1回の取調べは計12時間を超過できず、取調べ後8時間以上の連続した休息を保障します。

第二に、深夜の取調べについては21時から06時以前の取調べと明示し、(被疑者・参考人から)自発的な申し出がない場合、深夜の取調べを制限します。

第三に、不当な別件捜査を制限する規定を新設し、不当な別件捜査および捜査の長期化に対する実効的統制策を設けます。

第四に、腐敗犯罪などの直接捜査の開始、処理等、主な捜査状況を管轄の高等検事長に報告し、事務監査により適法手続き違反の有無などを点検します。

第五に、電話、電子メールを捜査に活用する等、召喚捜査を最小化し、召喚後は不必要な待機を禁止し、収容者等の事件関係者に対する過度の反復的な召喚要求を制限し、召喚要求の過程を記録する等の規定を新設します。

第六に、事件関係者には親切、傾聴、配慮する姿勢で対し、侮蔑感を与える言行を禁止するよう規定します。

上記のような人権尊重と慣行変化の内容を盛り込み、需要者である国民が肌で体感できる捜査慣行の変化を実現します。これを通じて、検察が真に人権を保護し、国民から信頼される機関に生まれ変わります。

また、法務省は公開召喚の全面廃止、専門広報官制度の導入等、最高検察庁の意見を反映し関係機関の意見を集めたうえで、被疑事実の公表禁止法案を10月中に確定する予定です。

次に、検察に対する法務省の監察を実質化します。検察公務員の被疑事実が発生した時には検察庁から法相に報告する規定を新設し、法務省の直接監察事由を追加して、検察に対する1回目の監察権を拡大するという内容で「法務省訓令」である「法務部監察規定」を10月に改正します。

検事の監察官任用を遮断するために、現行の「監察官任命対象者」から「検事」を削除する内容で「大統領令」「法務省及びその所属機関の職制」を改定します。監察委員会の実質的運営のために外部委員会の割合を現行の「2分の1」から「3分の2以上」に増やし、非法曹人の割合を「2分の1未満」とする内容で、大統領令である「法務部監察委員会規定」を制定します。

検事の依願免職事例の中で、重懲戒事案であるにもかかわらず法務省が不正事実そのものを認識できなかったために、重懲戒であるか否かの判断なしに依願免職となる事例がありました。

これを改善するため、依願免職制限事由の意見照会の際、当該検察庁に対して、真相が確認された段階であっても「不正事実の調査中」と返信することを義務付け、回答内容については法務省で重懲戒処分に該当するかを徹底的に究明し、重懲戒容疑のある依願免職を厳しく遮断します。

一方、懲戒事案であるにもかかわらず検察が懲戒しない事例と、不当に依願免職を(強制)された事例等、不備がある場合には法務省が2回目の監察権を積極的に行使し、検察庁で行われている例規、訓令などを常時点検して、上位法令違反事例が発見された場合は直ちに実刑措置します。

不正を犯した検察構成員に対しては、被害者に国家損害賠償請求が認められる場合、法と原則に則って必ず求償権を行使し、不正行為者に対する実効性ある責任の賦課が行われるようにします。

今日申し上げた検察改革の推進事項はすべて大統領令、施行規則、訓令等、法制化に関する内容です。これらの法制化、制度化に劣らず、全国民が熱望する検察改革の方向は、国民中心の検察組織文化の確立です。

大韓民国のすべての権力は国民に基づきます。いかなる権力も国民の上に立つことはできません。国民のための、国民中心の検察組織文化を絶対に定着させなければなりません。(検事の)期数、序列、上命下服中心の権威的組織文化を変えなければなりません。

検事と検事、検事と職員、取調官と被疑者・参考人の間でも、人権尊重の価値を実現していかなければなりません。そのためにも、検察の構成員たちも意志と知恵を結集してください。法務省も検察の組織文化を変えるために、年内推進課題として発表した「人事制度の改善」「透明で公正な事件配当および事務分担システムの確立」「前官礼遇の根絶策」等、制度改善および組織文化の確立に支援を惜しまないつもりです。

「ロウソクを持つ国民は皆、自分がすべきことをしに来ただけだ」というある記事の見出しに重い責任感を感じました。法務省は法務省の仕事を、検察は検察の仕事をしろという(大統領の)言葉を国民が先に自ら実践して私を目覚めさせてくれました。

最後まで私に与えられた仕事と召命に全力を尽くします。検察改革の法制化、制度化を完成するためには絶対に法改正が行われなければなりません。国民の検察改革に対する熱望も法律改正に集約されてきています。

公捜処の導入、検・警捜査権調整立法のためにできる限り頑張ります。私は検察改革の踏み台になります。今日の努力が積み重なり、数年後の未来の検察が「人が先だ」を先頭に立って実践する、国民と人権中心の検察になることを確信します。

今回だけは私を踏み台にして検察改革を確実に成功させるように、国民が最後まで見守ってくださるようお願いします。ありがとうございました。

2019年10月17日木曜日

文在寅大統領 韓国経済に危機感 国際総生産 来年の経済成長 軒並み下方修正

韓国紙を参考にメモ

文在寅大統領が17日予定になかった経済関係長官会議を緊急主催した。
それだけ現在経済状況を厳しいとみて、懸案に直接関わるという意向と見られる。

経済コントロールタワーのホン・ナムギ経済副総理兼企画財政部長官が留守中に開く会議なのに,大統領の自主的に主催は異例的という反応だ。

経済関係長官会議は政府の経済政策を総括調整する機構だ。
経済動向を総合的に点検して分野別経済政策方向を設定するなど経済運営全般に関する内容を審議する。

この日会議はIMFが今年韓国の経済成長率展望値を大きく低くするなど経済沈滞への憂慮が大きくなって,大統領府が経済関連部署緊急長官会議を招集したと見られる。

会議には産業通商資源部・雇用労働部・中小ベンチャー企業部・科学技術情報通信部など経済関連部署長官などが参加する。

企画財政部ではIMF・世界銀行(WB)年次総会出席のために米国を訪問中のホン副総理代りに次官が席を一緒にする。

コ・ミンジョン大統領府報道官はこの日会議と関連“最近IMFが発表した世界経済展望をはじめとして,雇用動向など各種経済関連指標を点検する”として“関係部署から政策方向を報告受けて経済と関連した色々な懸案を議論する”とした。
コ・スポークスマンは“経済をもう少し綿密で几帳面に取りまとめていくという(ムン大統領の)意志が反映されたこと”と述べた。

大統領府内外では各種経済指標が予想を下回りながら,危機感が感知される。

最近IMFが発表した世界経済展望では韓国の今年実質国内総生産(GDP)成長率展望値を4月展望より0.6%ポイント急落の2.0%で提示された。


来年の成長率も2.2%で0.6%ポイント下方調整された。

IMFはグローバル経済成長率が停滞しながら,韓国経済にも悪影響を及ぼすことだと予測したのだ。

ここに前日韓国銀行は景気鈍化が深刻な状況だと判断,基準金利を0.25%ポイント引き下げた1.25%に定めた。
2年ぶりにまた歴代最低水準に戻った。

韓銀は通貨政策方向決定文で“去る7月の成長展望経路を下回すること”と予想した。
今年成長率が2.2%まで下回るという意味だ。

文大統領は最近経済関係で日程が一杯だ。

去る4日には国内4台経済団体長と非公開懇談会を開催した。

10日には三星ディスプレー牙山工場を訪問して午後には‘全国経済ツアー行事’で忠南道庁で開かれた‘海洋新産業発展戦略報告会’に参加した。

15日には現代自動車南洋研究所を訪問した。
一方文大統領は前日、大統領府で法務部次官とイ・ソンユン検察局長を呼んで面談、検察組織に対する監察強化方案を直接報告しろと指示し、検察改革に力を入れる姿勢を示した。

2019年10月16日水曜日

曺国氏の妻、脳の病気の可能性

法相を辞任する意向を示した曺国氏の妻チョン・ギョンシム韓国東洋大教授が、脳梗塞や脳腫瘍の症状を見せいていることが分かったと東亜日報が伝えている。


私文書偽造で起訴されているチョン・ギョンシムさんは、すでに検察から5回長時間の調べを受けている。

初公判は18日の予定だが、延期される可能性もある。

https://news.naver.com/main/ranking/read.nhn?mid=etc&sid1=111&rankingType=popular_day&oid=020&aid=0003247242&date=20191016&type=0&rankingSeq=4&rankingSectionId=100

2019年9月16日月曜日

多文化共生の課題について


9月7日 埼玉韓国会館で語った講演の原稿です 

●日韓関係の現状

できるかぎり韓国の立場にも理解したいと思うが、最近は文在寅政権の孤立が目立つ。

日本とはどう交渉するのか、側近のスキャンダルもあって見通しがつかない状態。

●自分の体験から

食事、会社生活、家族との付き合い方教えられることが多い。

国際結婚の相談役、日本語のボランテイアも経験

(1)老婆

日本語ではお婆さんの意味ですが、中国語では妻のことを、親しみを込めて言うことばです。

人に紹介するときも、秦に呼びかけるときも使います。中国の有名なお菓子に「老婆餅」というものがありますが、日本語の感覚で考えると、お婆さんが作ったお餅なら、もしかして郷土料理?と思うかもしれません。実は、奥さんが愛情を込めて作ったことから来ています。

中国語では転職のことを「えさ箱を跳び出る」と言います。気に入らなくなった職場(仕取)を窮屈なえさ箱にたとえ、その窮屈な埸所から抜け出すことなので、中国人はよいことと思っています。

日本人から見れば大声で騒いでいる中国人はマナー知らずですが、中国人から見れば日本の街路は静かすぎて活気に欠けているように感じられるそうです。

お祝いの時に水餃子

自分の生活や旅行、買ったものを自慢する。

自分で、多文化の家庭を訪ね、2人で話を聞いた経験も

Q&Aでわかる 中国人とのつき合いかた 単行本 – 2018/4/10

本名信行 (著), 羅 華 (著), りょう (イラスト)


●変わる日本の家族像

2010年には、いわゆる「家族」の代表というイメージの強かった「夫婦と子ども」からなる世帯(27.9%)よりも、「一人暮らし」世帯(32.4%)の方が多くなっているのです。

今の日本で典型的な家族構成は?と聞かれたら、「一人暮らし」が3割強、「夫婦と子ども」が3割弱、「夫婦のみ」が2割弱、「3世代など核家族以外の親族世帯」が1割ほど、「男親または女親と子ども」が1割弱です、ということになるのですね。

●外国人が欠かせない時代に

近年、日本で働くベトナム人が急増している。厚生労働省によると、2018年10月末現在、ベトナム人労働者は31万6840人で中国人に次いで多く、前年比伸び率では31.9%とトップを占めている。技能実習生の数でも2016年以来、ベトナムが最大の送り出し国となっている。

この理由について、JETRO(日本貿易振興機構)の研究員・石塚二葉氏は「中国からの技能実習生が減る一方、ベトナムでは高学歴の若年層の失業率が高く、海外に働きに行きたい若者が多い」と分析する。

技能実習制度は、日本で培われた技能・技術の開発途上地域への移転を目的とし、「人づくり」に寄与する国際協力という名目で1993年に始まった。

しかし、労働力不足に悩む製造業や建設業にとって、実際は安価な労働力確保の手段として使われた面があり、外国人実習生に対する賃金未払いや暴力、セクハラなどがたびたび問題となってきた。

今後ますます深刻化する労働力不足に対応するため、政府は4月から入管法を改正し新たに「特定技能」という在留資格を創設、実習生ではなく労働者として外国人を受け入れる制度を始める。5年間で最大34万5000人を受け入れる計画だ。

安倍首相は「移民政策はとらない」としているが、今回の入管法改正は、実質的に移民政策に踏み込んだとの見方が強い。

●人口減に歯止めがかからない

今年3月30日、国立社会保障・人口問題研究所が衝撃のデータを発表した。2030年にはすべての都道府県で人口が減少し、2045年までに日本の総人口は1億0642万人になると予想している。

2015年の総人口が1億2709万人だったから、今後30年で2000万人以上減少することになる。とりわけ、ひどい落ち込み方をするのは都市部より地方で3割減が当たり前と見込まれている。

高齢化も確実に進む。65歳以上の人口比率は東京都や神奈川県といった首都圏でさえも、現在の高齢者数に比べて1.3倍に増える。

ちなみに、2045年以降も人口減少は続き、47年後の2065年には8808万人、65歳以上の老年人口比率は38.4%となり、ほぼ4割が高齢者になる。

生産年齢人口比率は51.4%に落ち込み、現在(2015年)の60.7%を大きく下回る。働ける人が2人に1人の時代になりつつあるということだ。

男性に限って言えば、100人中24人が、一生のうち1度も結婚してないんですよ。若者たちが抱える「日本社会の未来に対する不安」が、初婚年齢に少なからず影響を与えているのだと思います。

生活スタイルの変化もある。

●当面の唯一の解決策は移民の受け入れにシフトすること

<世界の移民人口 国別ランキングベスト5>

1位 米国……4662万人

2位 ドイツ……1200万人

3位 ロシア……1164万人

4位 サウジアラビア……1018万人

5位 英国……854万人

28位 日本……204万人

●日本では移民に抵抗感

在日韓国人に対する差別。日本は単一民族志向が強い。

ジム・ロジャーズの最新刊より

日本への警告 米中朝鮮半島の激変から人とお金の動きを見抜く (講談社+α新書) 新書 – 2019/7/20

女性に対して、閉鎖的な考えが強い。女性天皇にも否定的。私だったら日本を捨てる。

少子化を食い止めるため、移民が必要。

外国人に対する職業、教育、住居差別が残る

●韓国の多文化共生の現状

まだまだ抵抗多い。韓国語、韓国料理のできない妻への虐待

国内滞留外国人が230万人を越えながら,韓国が多文化社会でつかつかと近寄るようになった。もう通りと地下鉄,食堂で会う100人中4人は外国人だ。

韓国が多文化社会で早く進入しながら,各種葛藤と摩擦が相次いでいる。

関連政策と制度,認識が多文化社会で進入する速度に追いつけずにいたためだ。

昨年春済州道で発生したイエメン難民事態で見るように韓国社会はまだ難民または移民を喜んで受け入れて,共存しようとする用意を見せなかった。

保健福祉家族部による多文化家族の実態把握に向けた3年ごとの実態調査▶社会的差別や偏見を予防するための、多文化家族の理解促進に向けた広報や多文化理解教育▶多文化家族の構成員を対象とした生活情報の提供と社会適応教育や職業訓練教育支援▶平等な家族関係構築のための家族相談や夫婦教育▶家庭内で発生する暴力防止への努力や被害者に対する保護及び支援▶産前産後の健康管理に対する支援▶児童の保育及び教育への支援

217の自治体で「多文化家族支援センター」アジアで唯一、永住権を持つ外国人に地方選の参政権を付与

日本の国際結婚の割合は1965年にはわずか0.496にすぎなかった。

しかし,1981年に1%に達した後の変化は速く6年後の1987年に2%を突破し,

その2年後の1989年には3%を突破した。バブル経済崩壊とともにそのスピードは落ち,10年後の1999年に4%を超えた後は2006年の6.196をビークとして減少に向かい2012年には1990年代半ば頃と同水準の3.5%となっている。

こうした国境を越えた結婚移民は.韓国でも急増している。韓国では1990年代初めに「産業研修制度」が導入されたことをきっかけとして外国人労働者が急増したが.2000年代になると,国際結婚による女性の移民が急増した。1990年には1.2%にすぎなかった国際結婚の割合は.2005年には13.6%まで増加し,8組に1組が国際結婚となった。櫻井によると,このうち韓国人男性と外国人女性の結婚が83.796と大半を占め,特に農村地域では3組に1組が韓国人男性と外国人女性との結婚である。

国際結婚の急増とともに,人身売買まがいの惡質な結婚仲介業者の問題.家父長的な夫婦関係や家族関係のなかで.嫁である外国人女性への虐待や文化摩擦.韓国語によるコミュニケーションがとれない問題,子どもの教育問題などが顕在化した。

こうした問題の解決をめざして2008年に制定されたのが「多文化家族支援法」である。

この法律が制定された重要なきっかけは,2000年代後半になって国際結婚によって生まれた子どもたちの多くが学齢に逮したことにより,こうした子どもたちの教育が重要な政策課題として認識されるようになったことである。

法律が制定された当時に「多文化家族」として想定されていたのは.出生時に韓国国籍を取得している者(二認知や帰化による国辂取得者は除く)と外国籍者との結婚だけだったが,2011年の改正で「認知または帰化による韓国人と外国人,または帰化者」で構成された家族にも対象を拡大したことにより,棘国国籍を後天的に取得した外国人労働者の家族や脱北者の家族も支援を受けられることになった。

「多文化家族支援法」の制定に先立ち,2006年には「在韓外国人処遇基本法」が制定されている。「在韓外国人処遇基本法」が外国人の韓国への早期定着に迸点を置いているのに対し,「多文化家族支援法」はより長期的な視野に立った家族政策の1つであるという点で違いがある)。つまり,「多文化家族支援法」は外国人の定住化を前提とした統合政策に相当する。

韓国語や韓国社会に関する知識などを外国人自身が習得することだけではなく,その人たちを迎え入れる側が偏見や差別意識を克服することの重要性も考想されている。

最近では韓国語に加えて,母親の母語も身につけることによって,母親の親族とのコミュニケーシヨンをはかることや自らのルーツに対する自信や誇りをもち,健全なアイデンテイテイを構築することの大切さも認識されるようになり.ソウルや仁川市では二重言語教育が開始されている。

一方、お隣の韓国では2004年から外国人労働者を受け入れている。外国人労働者受け入れで一番懸念されることは、自国の労働者の職が奪われることであろう。人手不足といっても業種や企業規模などによって大きな差がある。外国人労働者が、自国の労働者が就業しない職場で働けばいいが、そうでない場合は両者で競合が起こり、自国の労働者が職場から押し出されてしまう可能性もある。その結果、失業率が高まってしまえば、国民の不満が高まることも予想され、政府としてもこれは避けたいところであろう。

韓国では外国人労働者を受け入れるため雇用許可制度が導入されたが、この制度は外国人労働者により韓国人労働者の職が奪われないようさまざまな工夫が盛り込まれている。結論から述べれば、一部で問題は出ているものの、この工夫は概ねうまく機能している。よって韓国の雇用許可制は日本にとって大いに参考になる制度ではないだろうか。

●緻密な韓国の雇用許可制

さて具体的に韓国の雇用許可制を見ていく。同制度で入国する外国人労働者は、一般外国人労働者と特例外国人労働者に分かれる。特例外国人労働者は、両親か祖父母が韓国籍を持っていた者であり、圧倒的に中国の朝鮮族が多い。日本に参考になるのは、一般外国人労働者であり、以下はこれについて説明していく。

なお、一般外国人労働者が就業できる産業は、農水産業、建設業、製造業であり、サービス業はごく一部の業種でしか就業が認められていない(ちなみに特例外国人労働者はサービス業への就業が広範に認められている)。また送出国は、労働者数が多い順からカンボジア、ネパール、インドネシア、タイ、スリランカ、ベトナム、フィリピンなど16カ国である。

外国人労働者と韓国人労働者の競合を防ぐための仕組みのひとつ目は、韓国人を2週間募集したにもかかわらず人が集まらなかった企業のみが外国人労働者を雇うことができることである。これであれば、韓国人があまり働きたがらない零細企業やいわゆる3K業種を中心に外国人を雇うことができ、外国人が韓国人の職を奪うことにはならない。

2つ目の仕組みは、永住権を得られない期間に限り就労を許可することである。雇用許可制の下では、3年間の在留が認められ、さらに雇用主が再雇用した場合には1年10カ月の延長が認められる。永住権を得るためには5年間連続して韓国に住所がある必要があるため、外国人労働者が永住権を得ることはできない。

ちなみに、2012年からは4年10カ月の期間が切れて韓国から出国した外国人労働者が、3カ月後に再び雇用許可制により再入国して就業できる制度が新設された。これは仕事に慣れた外国人労働者に引き続き働いてほしいという雇用主の要望を受け入れた制度であるが、この場合でも、いったん韓国から出ているので永住権取得の対象にはならない。よって外国人労働者が永住権をとることで年々その数が増加することはない。

3つ目の仕組みは、毎年政府が不足する労働力を業種ごとに推計して、その数だけ外国人労働者を受け入れることである。景気の状況によって労働力不足の程度は変化する。すでに韓国で就業している外国人労働者が出国すれば労働力が不足する。そこで政府は、業種ごとの欠員率、翌年の景気見通し、在留期限が切れ本国に戻る外国人労働者の数などを勘案して、業種ごとに新しく受け入れる労働者数を毎年決定している。外国人労働者の受け入れ総量は管理されており、無制限に外国人労働者が流入するわけではない。

これら3つの仕組みが功を奏していることもあり、韓国では外国人労働者を受け入れることにより自国の失業が増えるといった状況には至っておらず、逆に農業や製造業の零細企業などでは外国人のおかげで事業が継続できているところが少なくない。

●副作用は限定的

もちろん、まったく問題が生じていないとはいい切れない部分もある。たとえば、ミクロレベルでは、外国人を採用するために、韓国人が応募しないようわざと厳しい条件で募集をかける職場もあると聞く。またマクロレベルでは、人手不足により韓国人の賃金上昇が抑えられている可能性は否定できない。

ただし外国人労働者を雇用している零細企業は、体力がなく賃金の引上げが難しいところが大半であると考えられ、このような企業が人手不足により事業継続を断念すれば、韓国人の雇用減にもつながりかねない。よって、総じてみれば外国人労働者受け入れによるメリットは大きく、副作用は限定的であると考えてよいだろう。

日本でも人手不足が深刻化している。この解決策のひとつは外国人労働者の受け入れであろうが、実際に制度を設計する場合には、韓国の雇用許可制は大変参考になる。韓国は新しい制度を導入する際に日本の成功事例を参考にし、これを自国向けにアレンジして取り入れてきた。韓国では外国人労働者を受け入れることで、韓国人を集めることが難しい業種や中小・零細規模の企業の人手不足が緩和されている。人手不足解消の切り札となっている韓国の事例、日本がこれをしっかりと知る価値は大きい。

(文=高安雄一/大東文化大学教授)

https://biz-journal.jp/2018/05/post_23518_2.html

●全国・全地域の外国人比率ランキング

順位 自治体名 外国人比率 外国人人口 人口総数

A÷B 2010年(A) 2010年(B)

1 大阪市生野区(大阪府) 20.342% 100% 27,260人 134,009人

2 川上村(長野県) 15.748% 77% 783人 4,972人

3 大泉町(群馬県) 12.974% 64% 5,223人 40,257人

4 南牧村(長野県) 11.395% 56% 402人 3,528人

5 新宿区(東京都) 7.889% 39% 25,742人 326,309人

10 坂祝町(岐阜県) 6.399% 31% 535人 8,361人

11 港区(東京都) 6.337% 31% 12,999人 205,131人

12 豊島区(東京都) 6.284% 31% 17,888人 284,678人

23 台東区(東京都) 4.483% 22% 7,886人 175,928人

24 大阪市西成区(大阪府) 4.434% 22% 5,408人 121,972人

42 蕨市(埼玉県) 3.643% 18% 2,605人 71,502人

●埼玉、日本の課題

基本的に単一民族志向天皇制との関連

ネットウヨの実像なぜ嫌韓がはびこるのか社会的不安の裏返し

社会的弱者への攻撃自分も弱者であり他人が「恩恵」を受けていることへの怒り

外国人との共生埼玉は東京に近く、家も購入しやすい

多文化の先進地になるべきだ

●川口市

はたくさんの外国人が住んでおり、その数は県内一、全国でも3番目に多くなっています。

駅前はもちろん、地域の中でも外国人を目にすることが多いのではないでしょうか。

家の近所に外国人が引っ越してきた、子どもの通う学校に外国人の生徒がいるなど、外国人との交流の機会も増えてきているでしょう。

さて、このような状況の中、私たちは近くにいる外国人のことをよく知っているでしょうか?

新しいものを見ると、自分とは異なる点を意識しやすいですが、文化が交わるとき、正しい答えは一つとは限りません。

川口市に住み始めた外国人に日本の文化や習慣・ルールを知ってもらうために、私たち日本人も外国人の文化や習慣を知り、お互いを尊重・理解し合える環境作りを心がけましょう。

川口市に多い国籍上位5カ国1位中国2位ベトナム3位大韓民国4位フィリピン

5位トルコ

●芝園団地

【日中防災スタンプラリーin芝園団地】

9月18日(祝・月)14時~16時、NHK主催の防災イベントが開催です!

楽しい防災教育などで地球市民賞を受賞したNPO法人「プラス・アーツ」さんの協力で、いざという時に命を守る知恵を、老若男女、国籍問わず誰でも楽しく学べるイベントを企画しています。

芝園かけはしプロジェクトも協力!入場は無料で素敵な記念品(先着200名)もあり、中国語通訳の方々も参加します。

もの凄く楽しいイベントに参加したい方、実は芝園団地に来てみたかった方など、この機会にぜひお越し下さい!

【多文化交流クラブ-芝園ラボ-のご報告】

7月21日(日)、多文化交流クラブを開催しました!

今回のテーマは「実験」!

熟したトマトを見分ける実験、ろ過装置をつくる実験、スライムをつくる実験、を用意して、

チームで一緒に実験に取り組んだり、それぞれ違う実験結果を見せ合ったりしながら、皆さんが気軽に交流できることを目指しました。

当日は、子どもから大人まで、40名超が参加し、大変にぎやかな会となりました。

交流に関心がある方、実験に関心のある方、…、それぞれの関心に応じて、参加いただけたようでした。

「実験」という初めてのテーマでしたが、多くの方々に楽しんでいただけたようで、安心をしました。

こういう交流を通じて違う文化、風習を持つ人に寛容になる。

参考 

団地と移民 課題最先端「空間」の闘い

団地と移民 課題最先端「空間」の闘い 

●はびこるヘイトと日本人

社会不安が反映。

社会的弱者で、恩恵を受けていると感じると容赦ない。

ネット右翼の平均年収は約450万円(日本人の平均年収と同程度)、4大卒(中退者を含む)は6割を数え、その平均年齢は38歳強、男女比はおおむね3:1程度、主に東京・神奈川を中心とした首都圏在住者が全体の2/3に迫る。最も多い職業は「自営業者」であり、会社員であっても「管理職」といった他の労働者に対して指導的立場にある者が多かった。

現在のネット右翼は、丸山眞男の定義する日本型ファシズムを支えた主力、つまり「中間階級第一類」に驚くほど酷似しているといわなければならない。彼らこそが、政府・大本営の発表を鵜呑みに、翼賛体制の一翼を担って「鬼畜米英」を唱え、一方唱えぬものを「非国民」と呼ばせた社会の主力だったのである。

右傾化の主力は「貧困層、社会的底辺層」であるとか、「貧困であるがゆえの鬱憤を差別発言によって発散している」などというのは根拠なき幻想であり、いつの時代でも、常に右傾化を支える主力は社会の中間を形成する中産階級なのである。

2%だが発言力は大きい。現在の嫌韓言論を指摘することが必要。

『ネット右翼の終わり』晶文社より

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52663

yahooコメント分析

立教大学木村忠正教授

ハイブリッド・エスノグラフィー:NC(ネットワークコミュニケーション)研究の質的方法と実践

より



強烈な批判的、嘲笑的視線を投げかけ、社会的少数派や弱者に対するいら立ちを強く表明したり、愉快犯的にからかう。「生活保護」「ベビーヵー」「少年法(未成年の保護)」

「沖縄」「中韓」「隙害者」など少数派への批判的视線、非宽容は、バラバラの現象ではない。少数派が多くの困難に直面していることへの配慮よりも、「弱者利権」「被害者ビジネス」といった言葉に現れているように、少数派だと主張して権利や賠償を勝ち取るような行為として捉え、その人たちなりの公正さを锁極的に求めたり、揶揄するのである。こうした社会心理が、「ネット世論」に通底して強く脈打っている。

●アジアの人たちは、DNAで見れば非常に近い 憲法の精神を生かせ

篠田謙一は、日本の分子人類学者、医学博士。国立科学博物館人類研究部研究グループ長などを務める。

以下は「日本人になった祖先たち―DNAが解明する多元的構造」(224~225p)より。


「考えれば、現在は縄文.弥生移行期以来二度目となる、外部からのの流入と国内での均一化が進んでいる時期であるとも捉えられます。染色体の日本の社会は大きな混乱もなく渡来した人たちを受け入れて、新たな社会を作ったようにも兄えますが、二度目の今回はどのような経過をたどるのでしようか。

伝統や文化を大切にしながら、新たな社会を構築していく、私たちの知患が試されることになるでしよう。現在、世界的な規模で起こっているヒトの移動は、経済のグローバル化と相まって、図というもののあり方を大きく変えていくでしよう。

その潮流のなかで、私たちが国のあり方に関してどのような選択をするのかは、今後の重要な課題となるはずです。戦前へ回帰するような風潮は、もしかするとそれに対する一つの反応なのかもしれません。しかし、今後ますます進むボーダーレスの社会にあって、普遍的な価値を持たないナショナリズムにこだわって未来があるとは思えません。

私たちはかって、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と宣言したことがあります。それから六〇年以上が経って、この考え方が時代に合わないと考える人が増えてきたように思えます。

しかし、私たちの持つDNAを研究してみると、そもそも人類の持っているDNAの違ぃはごくわずかでぁること、そしてその成立の経絳から私たちの持つDNAは、ほとんどが東アジアの人々に共有されていることがわかりました。

これからの私たちの社会のあり方は、この精神を否定するところからではなく、ここから出発することが求められているでしょう。どのみち、信頼関係が構築できなければ、人類に未来はないのですから。

2019年9月1日日曜日

反日民族主義  抜粋訳7

歯切れはいいけれども、参考文献が全く提示されておらず、信頼性に疑問がつきそう。日本の嫌韓本の翻訳じゃないだろうなあ。


強制労働’。‘奴隷労働’だったか?
イ・ウヨン
日本に引きずられて行った朝鮮人らは奴隷のように仕事をした。
日帝末期に少なくない朝鮮人が労務者で動員されて,日本に行きました。
上の小題目は、彼らに関する私たちの国民の常識を代弁しています。
強制連行説です
。
残念なことにこれが学界の一般的意見であり,国民的常識です。
強制連行説を初めて主張した朴慶植は“多く一日20時間”を仕事をしたが,賃金は“現金で与えず皆貯金”させて“送金はとうてい考えることもできない水準であったし,自分ひとりで日々の暮らしも大変な水準”だったと主張しました。
また賃金自体が“日本人労働者の半分程度”しかならないと話しました。

彼によれば,朝鮮人らは炭鉱では“最も苛酷な労働”に苦しめられたし,殴打,集団的リンチと監禁が日常だったとしました。
 結局強制労働,奴隷労働があたことが核心的な主張でした.
今日までもほとんどすべての研究者らは同じ主張を繰り返しています。

日帝強制占領下強制動員被害真相究明委員会委員長を過ごしたチョン・キホ教授は“日本人が忌避する大変で危険で汚いことを朝鮮人らがするように強制的に配置して,賃金で小額のお小遣を抜いたあげく皆を強制的に貯金するようにした”としました。
また‘民族的賃金差別’が明らかだと主張しました。

彼と一緒に‘ムチと暴力’,そして‘監禁’を通じて“自由と自律が全くなしで”朝鮮人を‘奴隷的’に待遇したといいました。

大部分反日種族主義立場に基づいて,実現された韓国の研究,そして日本のいわゆる良心的な知識人,社会団体の人々の主張は、歴史的事実と全く違います。

歴史わい曲,率直に話して‘ねつ造’といえます。

賃金は正常に支払いされました。
明らかに強制貯蓄があったが,それは日本人も同じでした。

そして2年の契約期間が終われば正常に利子と一緒に貯蓄額を皆引き出ししたし,朝鮮にある家族に思考なしに送金できました。
賃金は基本的に成果給だった.
したがって日本人より賃金が高い場合も多かったのです。

日本人より賃金が安い場合は大部分朝鮮人らが炭鉱作業の経験が足りなかったということです。
業務中殴打のような前近代的労務管理が全くなかったわけではありませんでした。日本人も同じでした。生活は非常に自由でした。
夜を明かして,花札を打って良く眠れないとか,勤務が終われば市内に出て行って飲みすぎて翌日出勤を出来ない場合も多かったです。
どんな人は朝鮮女性がいるいわゆる‘特別慰安所’という所で月給を皆尽くす事するほど彼らは自由でした。

2019年8月31日土曜日

反日種族主義 抜粋訳6

日本の右よりの団体から支援を受けているとの疑惑を指摘されているイ・ウヨン氏は、さらに賃金差別についても書いている。しかしやはりここでも、実際働いた人から話を聞いていないようだ。

7,朝鮮人賃金差別の虚構性

政治的目的の賃金差別があったと言われますが、朝鮮人に賃金を差別支給した”という主張を調べましょう。

高等学校必修課目のある国史教科書では、この問題に対して次の通り使っています。

“賃金も正しく支給しないで酷使させた”,“賃金は日本人労働者の半分程度であり、その中相当部分はピンハネされ、受けるお金はいくらならなかった”.


簡略に申し上げて,こんな感じです。

だがこれは事実と違います。

もう一つの歴史わい曲です。

日本人,朝鮮人分ける必要がなく賃金は正常に支払いされました。

賃金の平均を計算してみれば,日本人より朝鮮人が低い場合がたくさんあります。

だが日本人よりはるかに多くの賃金を受ける朝鮮人も非常に多かったです。

なぜこういうことが起こったでしょうか?当時賃金は基本的に成果給でした。

例えば,石炭1トンを掘り出せばいくら,1トンを運べばいくら,こう給料は計算されました。

日本人と朝鮮人の間に全く差がなかったです。

したがって会社は民族を問わず各勤労者が仕事をしただけ,作業しただけに賃金を支払ったし,朝鮮人は仕事をするほど多く受け取りました。

戦争中の経済を戦時経済といいます。

戦時経済のもとではどこの国や市中に現金があふれました。
これは日本だけでなく第2次世界大戦に参加したすべての国家が同じでした。

なぜなら政府が莫大な規模の現金を、市中経済に散布したためです。

したがって企業,特に炭鉱や飛行機会社のような軍事企業は現金が非常に豊かでした。

問題は現金でなく現物でした。
戦争により物資が不足したためです。
最も重要なのは政府が要求する通りに生産量を増やすことでした。

一方で日本の青壮年は皆軍人として動員されました。
産業現場では労働力が不足して,政府が要求する生産量を合わせるのが非常に難しかったのです。

続

2019年8月30日金曜日

反日種族主義 抜粋訳5

全てを強制徴用というのは正しくない。教科書に誤った写真が使われており、徴用工の像はこの写真を基にしているのではないかと指摘している。
しかし、実際に労働した若者の声が紹介されておらず、説得力に欠ける。ポイントだけ抄訳してみる。

#################################################


反日イデオロギーを伝播するためには,徴用実施以前にも朝鮮人が自身の意志と関係なく強制的に引きずられて行ったし,労務動員皆が日帝の強制だったと主張する必要がありました。
徴用と同じ強制性を1939年まで遡って,その時期皆に適用して,主張したかったのが彼らの胸の内だった。

このように作られたのが‘強制徴用’です。

したがってこの単語中には単純な失敗とはみられない巧妙な歴史的事実の課題とわい曲が入っているのです。

私はこのように深刻な概念的操作を研究者として,とうてい理解できません。

韓国教科書の歴史わい曲

日本に渡っていった朝鮮人,その多数が自発的に金を儲けに日本に行った朝鮮人らの勤労に対して,私たちの韓国人らはどんな考えを持っていますか?やはり一番最初に考えるのが奴隷労働.強制労働だ。
もちろんこのような話も当時にはなかった。事実ではなかったためだ。
誠信女子大教養学部に徐敬徳教授という方がいます。
この方が週ですることは韓国を世界にふん報じることです。
そのうちには日帝が植民地の時期に朝鮮人をどれくらい残酷であくらつに支配して収奪したのかを全世界に報じることがあります。

2017年に開封されていた<軍艦島>という映画があります。
米国,ニューヨークで最も繁華なタイムスクエアという所の大規模電光掲示板を使って,この映画の広告が出された。

国民から2億ウォンの寄付が集まった。
国立日帝強制動員歴史観という所が釜山にあります。
この歴史観入口に書面勤労者で動員されて,命を失った朝鮮人を追悼する高い塔がある。

この筆者が誤りを指摘する時までその追慕塔の裏にある写真が貼られていた。
軍艦島でもニューヨークで広告に使われた。肋骨だけやせこけているように残っている姿がそれこそ奴隷のように仕事をした朝鮮人ら,彼らがどれくらい激しい苦難に会ったのか見せる。
ところでこの写真は労務動員された朝鮮人と全く関係がありません。
1926年9月9日,日本の「旭川新聞」に掲載されたもので、北海道を開拓するく過程で土木建設現場に監禁されたまま強制労働に苦しめられた日本人10人の写真だ。

この頃韓国でいえば‘塩田奴隷’のような人々でした。

特に肋骨があらわれた右側二番目人物を注目して下さい。
もちろん事業者は検挙されたし,この時記者が被害者らを撮影したのです。

より一層深刻なのはこのようにわい曲された歴史が学生たちに体系的で持続的に注入されて,それによって反日種族主義が代を引き継いで,より一層深刻化するという事実だ。

7種の教科書に前述の「虐待日本人」の写真が朝鮮人強制徴用または強制労働という題名で載っています。

ついに2019年にはこの写真が小学校6学年社会国定教科書に掲載されたし,私たちの研究者らと言論の問題提起によって該当の部分にステッカーを付けて使う笑うことのできない思考まで行われた。
(中略)

各地に建設されている胸腺労働者像は『旭川新聞』の日本人ととても似ている。

盧武鉉政府は「国務総理室所属日帝強制占領下強制動員被害真相究明委員会」という機関を設置して日本で動員された韓国人に被害補償をした。
補償を受けようとするなら証拠を提出しなければならないが,そのうちで最もたくさん出たのが写真だった。
写真の大半は会社が提供する無料寄宿舎で同じ故郷出身らと共に生活したのに,その記念写真だった。とても奴隷とは思えない写真だった。

2019年8月29日木曜日

反日種族主義 抜粋訳4

記事などで最も引用される部分を訳してみた


強制徴用の神話
歴史わい曲の出発

今から叙述する内容は日帝末期,1939年9月から1945年8月15日まで約6年間戦争中に日本に渡っていって,労働をした73万余人の朝鮮人勤労者についてだ。

学界ではこれを‘労務動員’と呼ぶ。
韓国の研究者らは動員された朝鮮人らがほとんど日本官憲によって,強制的に引きずられて行ったと,換言すれば‘強制動員’なったと主張する。

また日本で奴隷のように酷使されたと,すなわち‘奴隷労働’をしたと主張する。
“夜に寝ている時、畑で仕事をしている時,憲兵巡査がきて,日本に引きずられて行って,死ぬほど働かされ虐待にあってお金一銭受けられないで戻った”という主張だ。
この問題を初めて指摘したのは1965年,日本朝総連だった。

“日帝が残酷に朝鮮人を絞り取った”と扇動して,当時進行されていた韓日国交正常化を阻止するための目的だった。

両国の国交が正常化すれば北朝鮮が孤立するためだ。
このような主張を強制連行説といいます。
日本で最初にこの問題を指摘した朴慶植の本の題名も「朝鮮人強制連行の記録』です。
それから始まったこの主張は今まで最も強力な学界の通説で残っています。

韓国の政府機関と学校など教育機関,マスコミ界,文化系などに甚大な影響を与え,それが私たちの国民の一般的な常識として定着した。

だがこれは明白な歴史わい曲だ。‘強制動員’がという歴史わい曲は韓国の反日種族主義を作り出すのにとても大きな役割を果たした。
また反日種族主義はこのような歴史わい曲をさらに深刻にさせて広範囲にまき散らしました。

‘強制徴用’という虚構

研究者らは日本の労務動員を‘強制動員’で一つにまとめて,話したが,その中で最も広く知られた動員方法は‘徴用,,または皆さんらに習熟した表現の‘強制徴用’というものです。

この強制徴用に対して大法院は2018年10月30日,日本企業をして韓国人一人当り1億ウォンの慰謝料を支給しろと判決しました。
だがこれもまた、明白な歴史わい曲によって基づいたあきれる判決です。

まず徴用は1944年9月から最も長く捉えて,1945年4月頃まで、約8ケ月の間短期間に実施されました。

その後では米空軍が大韓海峡を掌握して,朝鮮人を日本で輸送できなくしました。


それで徴用で日本に行った朝鮮人は10万人以下だったと推定されます。
徴用は法律が規定するそれこそ強制的な動員方法でした。
徴用を拒否すれば1年以下の懲役や百円以下の罰金に処されました。

徴用以前には1939年9月から実施された‘募集’と1942年2月から始まった‘官斡旋’という方法がありました。

募集と官斡旋には法律的な強制性がなかったです。

朝鮮人が応じなければ,その朝鮮人を処罰できませんでした。

日本からきた企業の社員らに朝鮮人が「私が行く」と意思を表明すれば、審査を経て,日本へ行くことができました。
換言すれば朝鮮人らの‘自発的な選択’にまかせたのです。

官斡旋は募集と少し違うが,朝鮮総督府が行政体系を利用して,朝鮮人の日本行をはるかに積極的で支援した。

徴用が実施される時も、それ以前と同じように多くの朝鮮人がブローカーに高額のお金を渡して小さい船に命を頼け、日本に密航を企てた。

当時朝鮮人青年たちに日本は一つの‘ロマン’だった.
また徴用実施以前にもそうしたが,徴用された朝鮮人中多くの数が勤労条件がより良いところに逃亡しました。

日本の青年たちが大部分戦場に引きずられて行ったので日本では労働力が不足してしまった。

特に炭鉱と同じ鉱山では問題が非常に深刻だったし朝鮮人中64%がそちらに配置されました。

ところで朝鮮人ら大部分は農村出身で鉱山の地下労働を非常に恐れ、多くの朝鮮人は建築現場のような場所に逃げた。

したがって朝鮮人の労務動員を全体的に見る時,基本的には自発的であったし強制的なことではありませんでした。
強制連行だったということはできない。
当時には強制連行や強制徴用という言葉さえなかったです。

強制徴用という,今回の大法院宣告に登場したこの言葉はいったい何の理由で出てきたことか知っておく必要があります。

まず強制徴用という概念は本来ありえません。
‘徴用’自体が強制だからだ。
(続)

2019年8月26日月曜日

反日種族主義 抜粋訳3 徴用問題

徴用の問題は当時の管理者との問題ではないかと書いてある。可能性はあるかもしれない。

ここらへんはより厳密な検証が必要だろう。著者のように、判決文だけから読み解くのは性急という気もする。

(略)

嘘の裁判
この国の嘘をつく文化はいよいよこの国の司法府まで支配するようになった。

事実に基づいて‘正義の原則’により審議をしなければならない裁判官らが何が事実なのか,何が嘘なのかを判別ができない中で、国の根幹を揺るがすでたらめ判決を下しています。
嘘の学問が嘘の歴史を作り出して,若い世代を教え、すでに60年だ。

その教育を受けて育った世代がいよいよ,最高裁判事までなったのでこの国司法府が嘘の裁判をするのはそんなにおかしなことでもない。

色々な事例があるが,2018年10月末大法院が解放以前に日本製鉄で労働した4名に対してその会社を受け継ぐ新日鉄に対して、1億ウォンずつの慰謝料を支払えとの判決を出した。

原告らが訴訟を提起したのはほぼ20年前,当初は日本で訴訟を起こした。

何回の敗訴にもかかわらず,ついに勝訴を引き出したその執念だけはすごい。

その執念の実体は何か?
とにかく大法院は日本の朝鮮支配増えた非合法的であったという前提の上で侵略戦争のために朝鮮人を日本まで動員して,正しく賃金を与えないで奴隷として酷使したという判断をした。

大法院の判決文は該当事件の‘基本的事実関係’に対する叙述で始めています。

その部分を読んだ私の所感は一言で“これは嘘だ”というものだった。

私は判決文の法理に対しては論争

その‘基本的事実関係’は事実でない,いや嘘である。
大法院は原告らの主張が事実なのかどうかを検証しなかった。判決文でそのような痕跡を探すことができない。
私たちの高邁な最高裁判事らに尋ねる。
“嘘である可能性が大きい主張を検証しない裁判は果たして有効なのか。
原告4名のうち2人は、1943年9月日本製鉄の募集に応じて,同会社大阪製鉄所で働いた。

日本製鉄は月給の大部分を強制貯蓄して寄宿舎舎監に通帳と印鑑を保管するようした。その舎監がついにお金をくれなかったという。

それが被害の基本内容だ。
私は彼と似た場合を色々な人から聴取したことがある。
原告
2人は判決文が指摘する当時未成年だった可能性が大きい。
舎監は日本製鉄の職員この違いなさい労務者が集団で寄宿する場所のの主人で朝鮮人だった可能性が大きい。
たいてい朝鮮人でした。
それでこそ話が通じて統制が可能なためです。
舎監は原告らと共に帰国しました。
この事実もこうした推定を後押しします。舎監は出発の時から同行した原告の牽引役や、保護者だったと思われる。

日本製鉄が原告に賃金を支払わなかったという主張は成立しない。
強制貯蓄云々する判決文自体がその点を立証している。
賃金が原告に渡されなかったとすれば舎監がその犯人ではないか。

果たしてそうであったのかは舎監を取り調べせずには分からないことだ。
舎監は未成年の原告の代わりをして,原告の実家に原告の月給を送金したかも知れない。
要するに該当事件は原告と舎監間の民事事件だ。
以上が判決文を読んだ私の所見だ。
ところで大法院は舎監を召還して調べたのか? 舎監はかなり以前に死亡したとなっている。

そうならば訴訟は成立するのか?
。原告の主張を否定するのではなくそれの真実有無を確認することができないということだ。それが真実だ。

この程度の事実をおいて韓国の大法院は日本製鉄の責任を追及した。
最高裁判事らは歴史家ではない。
当時戦時期の実態に対して何も知らない法律家だ。
それなら関連専門家を呼んで,我慢して証言を聴取しなければならない。

ところが彼らはそのようにしなければならない必要性さえ感じることができないほど当時の現実に無知だった。
彼らは原告らの嘘である可能性が大きい主張を疑わなかった。
彼らは国際人道主義を実現するというあふれる正義感や使命感で判決を下した。

それによってこの国家とこの国民がどれくらい大きい代価を払うかは眼中にもなかったです。

1937年日本と中国の戦争が勃発した。
以後毎年10万人以上の朝鮮人が自発的に日本に渡っていった。
より高い所得と良い職場を探してたのだ。
1941年日本とアメリカの戦争が勃発した。
以後、渡航者数は減ったが,それでも1944年まで毎年10万人以上が日本に渡っていった。
1941年まで概略17万人が募集で日本に行った。

以後1944年8月まで約25万人が総督府の斡旋で日本に行きました。
募集でも斡旋でも当事者の同意が前提だった。

戦争末期の1944年9月からは徴用が実施される。令状が発給され応じなければ処罰を受ける戦時動員体制だった。
徴用になんにん動員されたかは正確に分からないのに,概略10万人前後だったと見られる。

(後略)

2019年8月25日日曜日

反日種族主義 概要翻訳2

刺激的な内容だが、本の書き出しは、こんな内容。翻訳している私は、この内容に同意しているわけではない。

日本でこんな内容が出たら、どんな反応が起きるか心配だ。


嘘をつく国民

韓国の嘘文化は国際的に広くよく知らされた事実だ。2014年にだけ偽証罪で起訴された人が1,400人になる。
日本に比べて、172倍だという。人口を考慮した1人当り偽証罪は日本の430倍になる。
虚偽事実に基づいた告訴,すなわち無事鮮京件数は500倍だそうだ。
1人当りとすれば日本の1250倍だ。
保険詐欺が蔓延していることは有名だ。
2014年自動車保険,生命保険,手年保険,医療保険など保険詐欺の総額は4兆5000億ウォンを越えることと推定されている。

2018年の国政監査の時明らかになったことですが,知的財産権に
対する政府支援金の33%が詐欺による支給だった。

世界70余国家が参加する世界価値観調査で“一般的に人を信頼することができるか”という質問に対する肯定的返事銀1985年は38%だったのに2010年には26%に低下している。
多人種社会人米国より低い水準です。
互いに信じることができないから各種訴訟が乱舞する。ある社会運動家は韓国の1人当り民事訴訟件数が世界最高と嘆いた。

国ごとに司法制度が違って,客観的な比較は難しいが,ある程度事実のように思える。


嘘をつく政治

国民だけそうなのではない。政治は嘘の模範を見せている。
嘘が政治の有力な手段で登場したことは2002年ではないか。
その年の大統領選挙の時のことです。ハンナラ党の李会昌大統領候補の息子が軍隊に行かないですむように、体重をわざわざ減らしたと訴えられた。
後ほど裁判になったが、全て嘘と判明した。

戦後補償問題の勉強会で配られた新聞記事、記録しておきます。

ドイツの教訓生かせ

反日種族主義 抜粋翻訳1

韓国で話題の「反日種族主義」の原著を入手した。

韓国語の勉強も兼ねて、抜粋翻訳してみる。

今回は前書きです。


李承晩テレビは2018年12月から45回にかけて<危機韓国の根源:反日種族主義><日本軍慰安婦問題の真実>という二つの題名の連続講義をしました。

この本はその過程で作成された講義ノートを整理したものです。

私たちが扱った主題は、20世紀前半日本が韓国を支配した歴史に関連し、今日の韓国人が持つ通念に関することです。

私たちはその通念が実証的にどれくらいぜい弱なことかを論証しようということでした。

多くの方が私たちの試みに対して不快感を持つかも知れません。

日本と対立中なのに国益に反することだと。

私たちは学問を職業にする研究者としてそういう国益優先主義に同意しません。

国益のために誤った主張を意地をはることは学問の世界では容認されず、結局国益まで大きく害するでしょう。

私たちがひたすら期待するのは私たちが犯した誤りに対する厳正な学術的批判です。

誤りで判明する場合私たちは躊躇しないで私たちの失敗を直すでしょう。

読者の皆様がその点を了解して下さった多面それだけでもこの上ない大きい喜びです。

本の出版を即引き受けて下さった出版社ののコ・ヨンレ社長にも感謝の挨拶を差し上げます。


出版を提案して編集を引き受けて下さった朴ジヨン作家に対する感謝の挨拶も抜かすことができません。

2019年8月23日金曜日

北朝鮮講演資料


北朝鮮に拘束されているカナダ人(スパバ氏)が、日本で行った講演の資料です。記録のためアップしておきます。




2019年8月22日木曜日

脱北花嫁に会ったときのこと

2012年に書いた文章です。


 北朝鮮に近い中国の村で、二十代後半の北朝鮮女性と会ったのはもう五年ほど前。冬だった。外は零下二十度だが、部屋の中はオンドルがよく利いていた。彼女は、ブローカーに連れられ、朝鮮半島に故郷を持つ中国・朝鮮族の男性に、花嫁として売られ、子供を産んだばかりだった。
   当時のメモを見ると、男性がブローカーに払ったのは六千元(約八万円)だが、中間でピンハネされ、北朝鮮で暮らす女性の家族は三百元(約四千円)だけだった。
   中国に来た理由を聞くと、家事をする手を休めた彼女は、「ご飯がお腹いっぱい食べられ、肉もキムチもある」と答えた。手土産に持っていった粉石けんを「おむつを洗うので助かる」と、とても喜んだ。
 もう一つ中国にあるのは「自由」だろう。中国も統制社会だが、母国に比べ自由度は高く、生活も商売も楽だ。
   北朝鮮は、金正日総書記死去後、三月末までの百日間を服喪期間としており、この間に脱北した場合、三代にわたって処罰するとしている。
   中国側も摘発を強化し、北朝鮮側に送還している。政治的な「難民」ではなく、生活に困窮した「違法入国者」という理由だ。送還後は厳しい処罰が待っている。韓国政府は中国にに抗議し、外交問題に発展しつつある。
   五年前会った女性は、「家の近くで車のエンジン音がすると、警察ではないかと怖くなる」と話していた。彼女や子供は元気にしているだろうか。(五味洋治)

2019年7月10日水曜日

日韓会談で日本のメディアは何を伝えたか

かつて書いた内容です。後半は削除してあります。

日韓会談メディアは何を伝えたか
五味洋治
 国交正常化を目指す日韓会談の交渉過程や日韓基本条約(以下、日韓条約と表現)締結の前後に、メディア、中でも日本の新聞が、何を、どう報道したのかを検証する。
 その前に、会談が終了した後に作成されたある資料をご紹介しよう。1966年に内閣官房内閣調査室が作成した「日韓条約をめぐる内外の動向」という小冊子である。
 国会図書館に、デジタル資料として収蔵されている。その存在は知られており、いくつかの研究書に引用されている。例えば、1966年に発行された『検証 日韓会談』(高崎宗司、岩波新書)も、参考文献の1つとして挙げている。
 この小冊子は、4部に分かれ、205ページに及ぶ。日韓会談を扱った新聞、雑誌の記事、単行本、映画、パンフレット、ビラ、抗告、講演会、大学でのゼミまで徹底的に記録している。
 作成の目的については「日韓条約および諸協定が締結されるに至った経緯、ならびに日韓会談の粉砕および日韓条約の批准阻止を目指して、日韓両国において展開された反対運動をできるだけ客観的にまとめ、あわせて日韓条約締結の意義、反対運動の本質等について、若干の評価を加えたものである」説明している。
 そして「この記録が今後の日韓関係促進に際してささやかな〝友好メモ〟になれば、はなはだ幸せというほかはない」と趣旨を述べている。
 新聞や雑誌記事については会談の過程で、日韓双方でどんな報道がなされたのか、そのポイントを整理し、重要な部分を抜き出している。
 私がこの小冊子で特に注目したのは、日韓会談をめぐる報道の全体的な分析の部分である。
 まず、「日韓交渉は14年にわたる長期の懸案だっただけに、その間に刊行された日韓関係刊行物は相当の量に上っている」と前置きしている。
 そして「単行本・雑誌・パンフレット等に見られる日韓関係の特異性は、長期にわたって継続された日韓会談そのものの特徴を反映しており、会談の進展と中断に呼応して、断続する傾向を示している」と指摘している。
 時代的にも、国民的反対運動を巻き起こした1960年の日米安全保障条約の改定問題との比較を試みている。
 その結果、「極めて顕著な傾向は、(中略)一部の専門研究誌を除いて、一般総合誌においては、批判論・反対的論調が比較的少なく、問題意識も希薄なことである」と総括している。
 なぜ安保闘争に比べ、批判が少なく、問題意識も低かったのか。この小冊子の中に、答えが書かれている。
 「このことは、日韓会談に〝善隣友好〟の大義名分があったこととともに、その交渉の断続的経過によるものともみられ、いわゆるマスコミの論壇において継続的に反対論を盛り上げていこうとしても、会談自体が無期休会に入ったり、日本側とは無関係に韓国内の事情で中断されるといった状態があって、なかなか反復集中することが困難であった事情も一因とみられる」としていた。
 会談自体が中断を繰り返したため、報道が長続きしなかったという分析なのだ。
 また「同時に、第7次会談以降、日韓問題に対する政府与党側の集中的広報宣伝に効果があった」と、さりげなく書かれている。
 第7回会談は、よく知られているように、経済協力の具体的金額を決めた大平正芳―金鍾泌会談(1962年)を受け、1964年12月3日に始まった。交渉は急転直下で妥結し、1965年6月22日に東京で日韓基本条約などの調印式が行われた。
 調印までに、どんな広報宣伝が行われ、効果を挙げたのだろうか。これは、単に日韓会談のに留まらず、戦後における政府とメディアの関係にもつながる重要な視点といえる。50年前のことはいえ、特に敏感な問題を抱える日韓関係を考えるうえで、無視してはおけないだろう。
 その手がかりが、日本の外務省から公開された外交文書に残されている。
 昭和37年(1962年)11月7日付けの官房総務課参事官名で出されたものだ。マル秘の印が押され、外務省北東アジア課長のサインもあり、メディアや世論に影響を与えた政府広報の内容を伝えている。
 こういった日韓国交正常化関連文書は、将来の北朝鮮との国交正常化を意識して公開されていなかった。外務省の秘密主義への批判が高まり、市民団体からの請求を受けて、順次、秘密指定が解除され、公開されている。
 この外交文書も公開されており、日韓の市民や学者でつくる「日韓会談文書・全面公開を求める会」のホームページからダウンロードすることができる。
 この文書は「日韓国交正常化PRに関し、自民党との調整に関する件」と題されている。要約すれば、今後の日韓会談のPRについて、政府と自民党が十分すりあわせを行う必要があり、その基本方針を再確認したいという内容だった。
 国交正常化まで3年という時期に作成されており、交渉妥結の見通しが出てきたことを受けての、国内対策の動きだった。
 この文書は当時の日韓会談をどう捉えていたのだろうか。
 政府側は、日韓国交正常化に対する反対論を意識しつつ、日韓会談について「当たり前のことをやっている」と強調している。
 そして、「韓国の赤化を防ぐという目的だとすると、かえって左翼陣営に攻撃材料を与える」と注意を呼びかけている。左翼陣営とは、社会党や共産党をはじめとする、日韓会談に反対していた勢力を指している。
 その上で、左翼陣営が日韓会談に反対する理由について、(1)南北朝鮮の統一を阻害する。(2)韓国の現政権はファッショ政権であり、国交正常化を行う必要はない。(3)国交正常化は反共軍を作る目的―だと分析した。
 そのうえで、「問題は請求権解決に存する」とし、「一般国民の日韓国交正常化の空気に動揺を来さしめないよう十分留意する必要がある」「請求権問題のPRについては、できる限り過去の懸案解決という色彩を伏せ、日韓の将来に目を向けるという線に立ち」進めるべきだ、と強調している。
 国交正常化において、最大の難関は請求権問題だと本質を見抜いているが、あえて日韓の将来の重要性を説くことで、植民地支配の責任に関する日本国内の論議を抑え込もうとしていた。
 この方針に従って、パンフレットや雑誌記事、ラジオやテレビ番組が制作され、国民に配布されていった。
 当時作られた広報番組がどんなものだったかは、同じ外務省の文書「最近における日韓問題PR実績」に記録がある。
 昭和1964年10月5日、外務省の条文局国内広報課が作成したものだ。
 国交正常化交渉妥結まで、1年という時点であった。これも今は公開されている。
 外務省の担当者や一般紙の記者を動員し、官製「PR」は集中的に行われていた。
 この年に発行された印刷物は18件、ラジオ、テレビ放送は3件だった。政府の資金的バックアップがあったと考えて間違いないだろう。
 たえばパンフレットでは「日韓問題」(韓国問題研究会、3月28日発行、5万部)がある。
 「国民の外交」(外交協会機関紙)の4月号には、「日韓問題の解決を促進せん」という匿名による寄稿を行っていた。「日韓交渉早わかり」(韓国問題研究会)はこの年の10月に5万部の発行を予定していた。
 自民党の広報紙である「自由民主」の4月5日号にも「日韓会談の背景と経緯」という匿名寄稿を行っていた。匿名寄稿については、誰が、誰の指示で行ったのか書かれていないが、政府関係者が行っていたのだろう。
 この文書によれば、「特約通信」というメディアに対しては「10年交渉に終止符」という記事が掲載され、「記事指導」を行ったとある。記事に必要なデータや、記事の方向性について協力したものと思われる。
 その他、「世界の動き」「世界ジャーナル」「特約通信」「国際問題」などの国際問題を扱う雑誌に関連の記事や座談会が掲載された。
 これらの記事や座談会には、一般の日刊紙の記者が登場している。朝日新聞・真崎記者、毎日新聞・新井記者、東京新聞・鎌田記者などの名前がある。
 いずれも日韓関係や韓国を専門とする記者であり、政府の意向を受けて執筆や、発言をしていた可能性が高い。
 短波放送には前田北東アジア課長が直接出演して、「最近の韓国事情と日韓交渉」と題して話していた。この当時は、外務官僚が外交方針について、メディアを通じて直接説明することがあったようだ。
 それでは、日韓交渉について、当時のメディアはどう伝えていたのだろうか。新聞紙面を追ってみる。
 会談は1951年にスタートしている。52年2月15日には、最初の正式会談が日本の外務省で開かれた。
 当初は全く注目されておらず、朝日新聞の16日付け朝刊は「友好と懸案処理 日韓会談始まる」というタイトルで、わずか14行の記事だった。
 初回は両国代表があいさつを交わし、翌週から専門委員会が外交関係の樹立や漁業協定、韓国資産い関する請求権について協議すると伝えた。
 その後も「議題5項目を採択」(16日付け夕刊)、「外交関係の文化委設置」(2月20日付け夕刊)、「ほぼ意見一致 日韓条約案」など、ベタ記事が淡々と続いている。「事実上打ち切り 日韓会談」という12行の記事が掲載されるのは4月27日付けの朝刊である。
 53年10月第3回会談で、いわゆる久保田発言が行われ、会談が4年中断される。この時の報道をたどってみたい。
 その前に、今でも日韓関係を語るうえで、「日本政府からの暴言」として引用される久保田発言とは、どんな内容だったのか。
 当時の報道などによれば、第3回会談で、日本側は韓国に残した日本の財産問題について提起した。これは、韓国側が「植民地支配への賠償」を求めたことに対するカウンターとして提起されたものだった。
 韓国側は「日本側が36年間の(朝鮮半島での)蓄積を返せというならば、韓国側も36年間の被害を清算せよと言うしかない」と日本側に反論した。
 これに対して日本側の代表だった外務省参与の久保田貫一郎は15日、こう述べた。
 「日本としても朝鮮の鉄道や港を作ったり農地を造成したりしたし、大蔵省は当時多い年で2000万円も持ち出している。これらを返してもらえれば韓国側の請求権と相殺できるではないか。これから先言うことは記録をとらないでほしいが、当時日本が行かなかったら中国かロシアが入っていたかもしれない」と述べた。
 これに対して韓国側は、「あなたは日本人が来なければ韓国人は眠っていたという前提で話をしているのか。日本人が来なければ我々はもっとよくやっていたかもしれない。1000万円とか2000万円とかの補助は韓国人のために出したのではなく、日本人のために出したもので、その金で警察や刑務所をつくったではないか」と強く反発し、交渉は中断に追い込まれた。
 日韓両政府は声明を出して、久保田発言をめぐる会談の中断について、相手側に責任を押しつけた。
 この久保田発言について、意外にも当時の新聞は地味な扱いだった。
 最も詳しく伝えたのは朝日新聞だった。10月22日付け紙面で、「久保田発言の議事録」との見出しの記事を掲載した。
 リードの部分では「日韓会談は21日、ついに決裂した」「決裂の直接の原因は15日の財産請求権分科会委員会における日本側久保田代表の発言を韓国側が不当としたこと」だとした。
 そして「問題の久保田発言とはどんなものか、外務省の議事録に残された同氏と韓国側代表との応酬(要旨)を次ぎにかかげて、読者の資料に供するものとする」としていた。
 つまり、発言について、新聞社としては判断はせず、記録だけを掲載する方法を取ったのだった。
 毎日新聞は10月21日付けで、久保田発言に関連し、韓国側が反発しており、交渉が決裂しそうだという観測記事を1面に掲載した。
 「韓国側が挙げた久保田発言の問題点」として、(1)韓国独立の時期はサンフランシスコ平和条約発効時点。(2)終戦後に連合国が在韓日本人を日本に強制送還し、在韓日本資産を没収したことは国際法違反。(3)1943年のカイロ宣言で「朝鮮人民が奴隷状態に置かれていた」と表現したが、「奴隷状態」は妥当ではない。(4)日本の総督府政治は韓国自体に対しても恩恵を与えた―と書いている。
 1~3までは、会談を進める上での認識の違いだ。4は、「植民地支配で日本はいいこともした」というもので、やや性格が違っている。毎日新聞は、この発言を最後に短く挙げており、メディアとして重視していなかったことが分かる。
 「遺憾なる日韓会談の決裂」と出した朝日新聞の10月22日付け社説は、「(日本の)政府声明にもあるとおり、韓国側の態度には『ささたる(ママ)言辞をことさら曲げ、会談全体を一方的に破壊した』ものと見られる節があるのは誠に遺憾である」と、日本政府の立場を代弁する内容だった。
 「日韓会談の決裂」と題した同日付けの読売新聞社説は、「第1圧迫があったとしても、日本は戦争によって朝鮮を領有したのではない。朝鮮統治に功罪両面があったのは事実」とし、韓国側に「朝鮮は連合国ではなかったから、賠償を要求する法的根拠もない。日本はこれに『政治的考慮を加える』と言っているのだから、韓国も感情論を捨ててもっと政治的に交渉を捨てるべきである」と高姿勢で呼びかけている。この社説は、日本政府が主張する植民地支配の「功績論」に完全に同調していた。
 私が調べた範囲では、久保田発言が行われた直後に、発言内容を問題視し、強くいさめる内容の記事は見つけられなかった。
 「植民地恩恵論」は、日本の外務当局や政権の本音で、たびたび交渉が中断する潜在的な理由となった。
 日本は朝鮮半島のインフラを整備し、国家としての体系を整備した。さらに、欧米各国も植民地を持っていたが、その統治について謝罪した国はない。
 だから、韓国との国交正常化交渉でも、安易には妥協しない―という姿勢を貫いたのだった。
 この基本的認識は、現在に至るまで日本政府に受け継がれている。今、政治家や官僚が公の場で同じ発言をしたら、責任を追及されるのは間違いないが、当時はそうではなかった。
 久保田発言の「植民地恩恵論」を問題視したメディアがほとんどなく、むしろ援護していたのは、今から見ると驚きだが、社会の雰囲気も反映していたといえよう。
 むしろ一般の市民の方が、久保田発言の問題を敏感に感じていたようだ。朝日新聞の10月26日付けの投書欄には、東京の著述業、山本昌二という人が、こう書いている。
 少し長いが引用してみる。
 「新聞に伝えられる日韓会談の久保田発言は言語道断である。韓国の国際的ダダっ子ぶりは国連でさえもてあましているのに、その相手に真っ向から論議をいどんだところで、どうなるものでもないのだ」
 さらに「ことにいけないのは『日本が韓国を統治していなかったらもっと悪い国に占領された』という意味の発言である、他人の家にドロボウに入っておいて、オレが入らなかったらもっとすごい強盗が入ったゾ―というに等しい言い草はなかろう。(中略)最も大切なことは、日本が過去において韓国を侵略したという認識であり、罪の感覚だ」と強調している。
 一般の市民も、久保田発言の傲慢さを感じていた。
 新聞は、会談の妥結が近づいた64年ごろから、「譲歩外交批判」を盛んに始めている。
 64年12月3日付の朝日新聞は「『日韓交渉』は厳密に言って外交交渉ではないという見方が支配的だ」と前置きし、「日韓交渉は日本側の一方的譲歩の連続の歴史であり、その名に値しない」と決めつけた。
 同年3月31日の毎日新聞社説も「これ以上の譲歩は、国民感情からも到底納得しえないものを感じる」と強調していた。
 韓国側への譲歩を牽制する狙いだったとみていいだろう。
 日韓会談は、曲折を経ながら1965年6月22日、日韓条約と関連の協定の調印が行われた。
 調印翌日の新聞の報道を見てみる。ほとんどの新聞が、東京で行われた日韓条約締結のニュースを1面で扱った。
 まずは合意の評価、つまりどちらの国が得をしたか、損をしたかについての論評が目立つ。
 さらに、互いの国で条約が批准されるまでの問題点、また、韓国市場の日本にとっての経済的なメリットが挙げられている。
 またベトナム戦争や中国の核実験という当時の国際情勢を踏まえ「韓国は共産化を防ぐ防波堤になる」との観点の記事もあった。
 具体的な記事を見てみよう。日韓条約が多岐にわたる内容だったため、同じ新聞の中でも、肯定的、否定的見解が分かれている。
 朝日新聞は「日韓調印と今後の課題」と出した同日の社説で、「両国の間には、数十年にわたった不幸な関係から、種々の懸念がわだかまっていたが、今後両国は対等の隣国として、善隣友好の関係をひらくべき手はずを整えたわけである」と、一応肯定的な評価をした。
 ただし、社説の中に出てくる「対等の隣国」という表現には、日本側は過去の清算を終えた。韓国には遠慮せず、対等の関係になるのだとの開き直りに近いニュアンスも感じ取れる。
 さらに基本条約の具体的内容については、「交渉の過程では、日本側はかずかずの譲歩を余儀なくされている。特に数日間の最終折衝では、さきの仮調印で合意ずみとなっていた事柄にさえ、韓国側が新たな要求を持ち出して、日本側の譲歩をせまる場面さえあった」と、ここにも「交渉譲歩論」が顔を見せている。
 どこで譲歩したのかについて、朝日新聞の社説は漁業問題を挙げている。「漁業協定の有効期限の問題では韓国側の主張に歩み寄ったばかりか、日韓両国監視船による共同取締の問題では、日本側が主張した旗国主義を大きく譲って、韓国側のオブザーバーを日本側監視船に臨時乗船させることとなった」と主張した。
 日韓条約は、両国が共同で管理する水域を定め、その水域での資源保護をうたった。この問題をめぐって韓国側の主張を大きく取り入れたというのだ。
 さらに、1952年1月に、突然李承晩ラインが引かれ、「自国の領土である」と日本が主張する竹島(韓国名・独島)を韓国が支配している点についても、「調印間際の22日午後まで両国外相が交渉を続けたすえ、竹島処理という具体的な表現すら避けて、将来両国間の紛争を処理する方法と取り決めるにとどまった。事実上、竹島問題をタナ上げするものと言わざるをえず、竹島を含めて一括解決という当初の方針から大幅に後退したものであることは、言わずして明らかであろう」と批判している。
 これらの点を指摘した上で、日韓条約が、両国の和解や経済協力に役立つとし、「北朝鮮とも友好関係を増進し、将来正常な関係を樹立すべきだ」と結んでいる。
 一方で、3面にはソウル特派員による現地からのレポートが掲載されている。「知識層は沈んだ表情」「日韓条約への反応 賛否はなお対立」との見出しで、韓国の与党内には、日韓条約締結について、日本からの経済侵略を警戒する声がある一方で、「正常な隣国関係ができた」と歓迎していると伝えた。
 一方で見出しになった韓国の知識層の反応については「早すぎた調印とみて、沈んだ表情をしめすものが少なくなかった」と簡単に触れているだけだった。
 産経新聞は「調印後の日韓関係」と出した社説で、やはり「請求権から竹島までほとんど一方的に日本が譲歩したとの感が強い」と断じた。この理由について「韓国国内の反対運動が、日本の5倍も10倍も深刻であるということによって決定されているところに特徴がある」として、韓国側からの圧力を理由に挙げた。
 そういったマイナス面を認めたうえで、「正常化後の日韓関係に大きな役割を期待されるのは経済協力である」とし、経済関係拡大が関係改善のカギを握るとの見方を取った。
 1面のコラムでは「日本側には譲歩しすぎという意見があるが、それにもかかわらず、韓国の学生と与党は『対日屈辱外交』だといって、交渉の妥結を受け入れようとしない」と韓国側の姿勢を批判した。
 朝日新聞、産経新聞は日本側の譲歩に焦点を当てており、批判的なトーンが目立つ。
 毎日新聞は23日朝刊で「日韓条約の調印と今後」と題した社説を掲載した。日本側にも一定の成果があったとの見方を示している。
 「今度の日韓交渉は、譲歩するのは日本側だけで、外交交渉の一般原則であるギブ・アンド・テイクを貫くこと自体が無理な性格の交渉であった」とし、過去の歴史から、日本側の譲歩は仕方なかったとの見方を示している。
 さらに、日韓併合条約など、過去に日韓間で結ばれた旧条約や協定の廃棄問題に関連し「1910年8月22日以前に日韓両国で締結した条約および協定は『もはや無効であることが確認される』となっている」
 「『もはや』とは、いったい時間的にいつのことなのか、条約文としては異例であり、まことにあいまいな表現というほかはない。これもまた、将来具体的な解釈についてめんどうの起こりうるところだろう」とい指摘し、歴史認識を避けたことによるトラブルを予測していた。
 また交渉が14年と長引いたことについては「国際情勢が調印促進」という1面の解説記事が、当時の状況をよく説明している。
 その記事によれば今回の日韓会談は、「通常の『2国間交渉』ではなく、旧宗主国対旧植民地という特殊な性格を持っていたこと。さらにフランスと旧仏領アフリカ植民地との関係とは違って、相手方がかなり高度な『中進国家』であり、かつ分断国家であったというところから来ている」と説明した。
 そして、米国からの強い要請を受けて「韓国内でのあきらめムードが加わって半年にわたる折衝の結果、調印にこぎつけた」としている。
 この記事は、「李ラインの廃止を実現したのはまずまずの成果」と評価し、日本からの有償、無償支援について、「過去36年の圧政の清算にしては安すぎる」という韓国内の不満の声も紹介している。
 毎日新聞は、全体的に、日本の思惑通りの交渉結果だったとしている。
 日本経済新聞の社説は、日韓条約は必要であり、合意内容を一つ一つ評価するよりも、全体の意義をみるべきだという主張だった。
 「日韓調印の今後に望む課題と心構え」と題されており、「日韓会談は日韓間の懸案や問題について、ただ勝ち負けを争うことではない。日韓に新しい国交を樹立し、両国が台頭な立場で友好、協力、共存共栄の関係を設定することにある」と強調した。
 「調印された一つ一つの内容に間違いがないことを明らかにし、新しい国交の発効まで冷静、慎重、急ぐより国民の納得を旨として行動すべきである」、「妥結した日韓会談、調印された文書は日韓関係の終わりではなく、始まりである」と呼びかけた。
 東京新聞の、「日韓正常化への調印成る」とする社説は、日経新聞に近いスタンスだった。
 「調印式典のはなやかさ、式後の祝賀位階における両国代表の喜びに満ちた表情と、街頭デモの険悪な空気との鋭いコントラストをどうみるか、ある意味でそこに『国民不在の外交』という非難を浴びせることは容易であるかもしれない。しかし、われわれは日韓交渉はだれかが、いつか勇気ある決断を下さなければならない性質のものであった」と評価した。
 そして、日韓の国交正常化が南北統一の支障になるとの批判については「統一にいたる現実的な道は、韓国側が統一に向かって一歩進められるような自信のある国になることである」と説き、むしろ統一にとって有利に働くと論理を展開した。
 「新時代を迎えた日韓関係」という解説記事の中では、「戦後処理の大きな懸案が片付いたことから、今後は長期的には日中関係の位置付け、短期的にはアジア関係の確立に全力を注ぐ」として、日中国交正常化に力を注ぐ日本政府の今後の外交方針を解説していた。(後略)

ご関心のあるかたは、この本に全文載っています。


参考文献
朝日、毎日、読売、日本経済、産経、東京、北海道、神戸、西日本、神奈川、アカハタの各新聞スクラップ。
「日韓条約をめぐる内外の動向」 内閣官房内閣調査室編 昭和41年7月
「検証『日韓報道』ペンの懸け橋」 『検証新聞報道』編集委員会 大村書店1995年7月20日
「検証 日韓会談」高崎宗司著 岩波新書1996年12月20日
「私は見た 韓国の内幕」 西村敏夫著 朝日新聞社 昭和40年10月15日
「日韓条約が置き去りにしたもの 植民地責任と真の友好」 吉岡吉典著、吉澤文寿著 大月書店 2014年11月20日 
 引用部分の一部は理解を助けるため丸括弧で補足している。

2019年7月9日火曜日

金鍾泌のこと

 韓国の政治家、金鍾泌元首相が92歳で亡くなった。彼と1度だけ会った記憶が蘇った。
 ソウル支局に勤務していた2001年2月27日のこと。日本の記者たち会いたいと金氏から申し入れがあり、ソウル市内の新羅ホテルで懇談した。
 すこししゃがれた、迫力のある話しぶり。韓国の政界が中心で、「ならぬ堪忍、するが堪忍といいますね。政治の秘訣はこれです」と日本語で話した。
 金氏の日本語のうまさは伝説的だ。1962年に日韓国交正常化交渉を大平正芳外相と行った時のこと。
 息苦しい会談の雰囲気を変えようと、金氏は「私たちは、何としてもホトトギスを鳴かせなければならない」と話かけ、日本側の譲歩を迫った。
 日本人がよく知る故事を使ったことで、無表情だった大平氏は「小さな目を見開いた。驚いた表情だった」と金氏の自伝にある。
 「私はもの心がつく前から日本語を学んだ。あなたの国の歴史を知っている」と続け、そこから交渉が急進展したという。
 金氏は、「これから定期的に会いましょう」と話したが、この日の懇談の内容が韓国の新聞に漏れて大騒ぎとなり、次の懇談は開かれなかった。

2019年7月7日日曜日

戦後70年 日韓交流を考える

数年前の原稿です。


 今年は日本にとって戦後70年、韓国とは1965年の国交正常化から50年目に当たる。日本には、朝鮮半島にルーツを持つ人が数多く住む。中でも最南端・済州島から渡ってきた人たちに焦点を当て、日韓の歴史の一端を学んでみよう。
 日本は1910年、日韓併合条約で朝鮮半島を支配下においた。当初は労働者として日本に住むことは厳しく制限されていたが、第1次世界大戦の後の好景気で安い労働力が必要となり、1922年の暮れから渡航が自由化された。
 もっとも活発な往来があったのが済州島だ。周囲200キロ。楕円形をした火山島だ。今はリゾート地として有名だが、戦前は火山性の土地が災いして、水田による稲作ができず、農作物の生産も難しかった。
 済州島と大阪を結んでいたのが「君ヶ代丸」と呼ばれる船だった。1922年末から1945年まで運行された。
 『越境する民』(杉原達・著、新幹社)によれば、ピーク時の1933年には、済州島民2万9208人が君ヶ代丸などに乗って大阪に上陸した。島民の4人に1人が日本に来ていた時代もあった。
 朝鮮半島から日本への出稼ぎは、かなり早くからあった。たとえば海に潜って貝などを集める海女の場合、技術が日本を上回っていたため、1903年、東京・三宅島に出稼ぎにいったという記録がある。1930年前後には1500人以上に上った。戦後は密航や韓国ビザで入国して、違法に働く女性もいた。往復の交通費以上稼がなくてはならないため、日本人より大きな鉛の重しを身に付け、深く潜ったという。『海を越える済州島の海女』(李善愛・著、明石書店)
 海女よりも遙かに需要が多かったのが製糸工女だった。『風の慟哭』(金賛汀・著、田畑書店)は、朝鮮女工たちの生活を詳細に記録している。
 ある工場では朝5時から深夜まで働かせた。夜になると工場の窓に黒い幕が張られ、働いていることを隠した。
 給料は日本人より低く設定してあり、実際に出稼ぎに行った人によれば「食べるだけで、いくらも手元に残らなかった」(同書より)という。
 昭和5年の不況では、朝鮮女工は真っ先に解雇の対象となった。大阪・岸和田にあった岸和田紡績では、女工たちがストライキを起こした。昼、夕食時には30分紡績の機械を止める、布団は夏用と冬用を支給してほしい、寝具はひと月月に1回洗ってほしいといった内容だった。どんな待遇を受けていたが伝わってくる。
 その他、炭鉱夫、砂利人夫、土工としても働いた。大半が農家出身で技術を持っておらず、苛酷な土木作業に就いた。都市のインフラは彼らの手で建設されたわけだ。
 大阪市が、朝鮮人労働者の実態を調べた報告書がある。労働者たちは「飯と塩と野菜とで生きて」いた。「大阪で心細い生活をするより、故郷に帰ったらどうか」と調査担当者が聞くと、「暮らしが苦しいのは同じ事です。どうせ同じなら、大阪の明るい町で暮らしたい」と答えたという。『第一次世界大戦と日本』(井上寿一・著、講談社現代新書)
 「陸地(朝鮮半島本土)の人と済州島の人は反目していた。島出身者と分かると蔑視、集団的いやがらせ、いじめ行為があった」『異邦人は君が代丸に乗って』(金賛汀・著、岩波新書)という証言もある。済州島出身者は同じ地区に住んだ。大阪では猪飼野、東京では三河島だった。
 4・3事件の影響も大きい。1948年4月3日、済州島で起こった島民の蜂起を指し、中央政府の武力鎮圧で3万人が犠牲となった。『火山島』(金石範・著、文藝春秋)という長編小説に描かれている。近年真相解明の動きが起きている。日本国内にも同島出身者による「済州島4・3事件を考える会」があり、毎年追悼行事が行われている。
 時代を少し元に戻そう。日本は、昭和に入って不況となる。
 この時、真っ先に解雇されたのは朝鮮半島からの労働者だった。しかし、日本で仕事を探したい人たちは、小さな密航船に乗って来た。台風に出くわし、船が転覆するケースもあった。
 この時代に日本に来た人たちは、半島出身の第1世代。その後は、日本に留学してそのまま住み着いたり、自分の可能性を求めて渡ってきた第2世代、第3世代が増えていくことになる。「高」という姓を持つ人は、大体が済州島出身だ。
 日本から済州島に送られたものもある。温州みかんの苗木だった。1954年から日本産苗木の輸入が始まり、1964年まで約15万本が輸入された。
 1965年の日韓国交正常化後、在日韓国人の祖国訪問が活発になった。島民の生活向上に役に立つことが分かると、島出身者が帰郷する時、みかんの苗木を持って行き、ますます増えた。みかんの木は、 「大学の木」「黄金の木」とも呼ばれた。みかんを栽培すれば子弟を大学に進学させることができるという意味だった。みかんは今、済州島の特産品として人気が高い。
 日本との交流が、これからも様々な形で「実」を結んでほしい。

2019年7月4日木曜日

半導体材料の「輸出規制強化」で問題は解決しない 安倍首相の発言を点検する


日本政府は4日、半導体などの製造に必要な材料3品目の「輸出規制強化」を予定通り実施した。スマートフォンやテレビなどの画面に使う「フッ化ポリイミド」、半導体基板に塗る感光材の「レジスト」、半導体洗浄に使う「フッ化水素」だ。
この措置は、日本と韓国で大きな波紋を呼び起こしている。韓国の大法院(最高裁)が昨年出した、徴用工に関する判決が背景にある。
 しかし日本政府は、直接の報復や自由貿易に逆行するものではなく、安保上、当然の措置であり、「輸出規制強化」は誤解だと、釈明に躍起となっている。
本当にそうなのか。そもそも問題の解決に役立たつのか。この決断を最終的に決めたと思われる安倍晋三首相の発言を追って、検証してみた。
その前に、判決について簡単に触れておこう。日本企業に被害者への慰謝料を求めており、日本企業の資産の差し押さえも進んでいる。当初は8月にも資産の売却、現金化され、原告に渡されるとみられているが、政治的混乱を避けるためか、どうやら年末まで延びそうな雲行きだ。
日本政府は、この問題で日韓請求権協定(1965年)に基づく仲裁委員会の設置を求めているが、韓国側は応じていない。
代わりに、G20サミット直前の6月19日、韓国外務省は「日韓の企業が自発的な拠出金で財源を用意し、原告(徴用工ら)への慰謝料を支払う」との案を日本政府に伝えた。
しかし日本政府は「受け入れられない」(安倍晋三首相)と拒絶している。韓国政府が自主的に、被害者に支払うべきだとの姿勢だ。
今回の輸出規制強化は、韓国の韓国のメーカーが材料不足となって半導体などの生産に支障を来すことも予想されている。影響は日本だけでなく、世界にも広がるとの見方もある。
エコノミストの多くは、日本政府の決定に批判的だが、問題は、この措置が徴用工判決をめぐる韓国政府への「報復」なのかどうか、世界貿易機関(WTO)が厳しく禁止する輸出統制に該当するのかどうかだ。
安倍首相もこの問題について触れているので、できるだけ正確に引用してみる。
3日夜、テレビ朝日のニュースステーションに出演した安倍首相は、コメンテーターの後藤謙次氏から、「G20の首脳宣言で高らかに自由貿易をうたったのに、韓国への措置は矛盾していないか」と質問された。
安倍首相は、やや早口でこう答えた。
「全く違います。これは自由貿易の話とは違います。どこの国も管理貿易はしています。安全保障上の義務がかかっている。それが果たせないとなると優遇措置をやめる。誤解している人もいると思いますが、金融措置でもないし、通常の貿易に関税をかけるわけでもないのです。国際的約束が守れないのなら残念ながら、優遇措置を取ることができないという判断をしております」
確かに、正確に言えば輸出規制強化ではなく、優遇措置を見直しと言うべきかもしれない。ここで言っている「国際約束」や安保が何を指すのか、安倍首相は明らかにしていない。
しかし、国際約束とは、日韓が植民地支配に関連する請求権に関して取り決めた日韓請求権協定を指しているのは間違いない。
この協定では、両国が相互に請求権問題について「両国間の請求権の完全かつ最終的な解決」と盛り込んでおり、韓国最高裁の判決はこれを破っているという論理だ。直接の引き金が、「徴用工判決」にあることは安倍首相も隠さなかった。
さらに安倍首相は、安保問題にも言及している。韓国に輸出した製品が、北朝鮮に流れる危険性があると言いたいのだろう。
続いて後藤氏が「(この問題の)出口はどこに置いているのか。日本の中小企業への影響は」と尋ねると首相はこう答えた。
安倍首相は、「それは世耕経産大臣がすでに会見で述べているように注視していく。どうしてこうしたかというと、国際約束をホゴにされたからであり、普通の手続きに戻したということす」
今回の措置は、日本にも影響があることを認めている。
後藤氏は最後に「それは分かるが、国民の感情を収めるのもリーダーの大きな役割ではないか。もう1度日韓首脳会談をやる考えはないか」と畳みかけた。
安倍首相は、身振り手振りを交えながら、「先般、先方が我々に提示してきたもの(徴用工の解決案)は、我々がとても飲めないものを今出してきた。後藤さん、何もやらなかったら、水産物(の輸入禁止)で、どこかの県を追加するかもしれませんよ。日本が、やるべきことはやるというのは国際環境の中でも常識の範囲内なのだろうと思う」
日韓の首脳会談を行う気はなさそうだ。
それでは徴用工問題は、どういう問題だと安倍首相は考えているのだろうか。
3日に日本記者クラブで行われた党首討論会で安倍首相は、記者から「歴史認識問題を通商問題にからめてよいのか」との質問を受け、つぎのような考えを示した。
「その認識は間違っている。徴用工問題は歴史問題ではなく、国際法上、国と国との約束を守るかということです。1965年に請求権協定でお互いに請求権を放棄した。この約束を違(たが)えたらどうするのか。(2015年の)慰安婦合意も首脳間、外相間の合意です。国連やオバマ米大統領も評価してくれました。それが守られてない」と反論した。
徴用工判決だけではなく、朴槿恵政権と結んだ慰安婦合意を事実上破棄し、慰安婦救済のために設立した財団を文在寅政権が解散させたことも、今回の措置の理由と考えていることを明らかにしている。ただ、請求権に関する認識は正しくない。放棄はせず、裁判で訴えても認められない。所謂外交保護権が放棄されたのだ。
日本の措置については、ただちにWTOの協定違反になるとは断定できず、「今後、協定違反になりかねない」という見方が多い。
WTO協定の基本原則には、関税など以外手段による輸出入の数量制限を禁止している(GATT第11条)。
安倍首相の言うように、優遇措置の見直しだけでなく、実際韓国への輸出が大幅に停滞し、経済的混乱が広がれば、協定違反という批判が高まり、日本政府は身動きがつかなくなる。
また、徴用工裁判について韓国政府が譲歩しなければ、解決の道筋は見えない。文在寅政権は、6月30日の米朝首脳会談の仲介成功で、支持率が52・2%と今年最高値を記録している。
今回の日本政府の措置に折れる気配はない。私の予想では、被害は大きいといいつつも、特に対抗措置は取らないだろう。そうすることで日本側のやり方の強引さを世界にアピールできるからだ。
安倍首相の「強手」は、すくなくとも徴用工問題の解決の糸口にはなりそうにない。

注目の投稿

金正恩朝鮮労働党委員長新年辞

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/14970  転載です <参考資料>  朝鮮労働党機関紙『労働新聞』は、毎年1月3日頃に「新年の辞」の基本体系を理解するための要旨を掲載している。参考までに、その全文翻訳を添付する。 「今年の新年の辞の基本内容...

Blog Archive

ラベル

マイブログ リスト