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2012年11月12日月曜日

「日本から見る朝鮮半島」一つの視点、2つの国 慶応大学

 
                             東京新聞編集委員 五味洋治 
1. 南北に対する取材経験(どのように見て来たのか)
韓国は4年間、北朝鮮は2回訪朝。
韓国は政治報道から社会報道に変化 人のパワー 韓流 サムソンの躍進に焦点

北朝鮮 異質性に焦点 危険、思惑、分断工作、瀬戸際、理解不能 正恩報道に見る陥穽

2. 朝鮮半島との関係回復(どのような関係なのか)と歴史

歴史を忘れやすい日本 教育制度 新聞にも歴史に関する記事少ない

戦争経験者減り、相手国への理解が抽象化 議員外交の形骸化

李明博 朴槿恵 日本の影響は常に残る 
韓国 慰安婦問題 国際的には日本に厳しい目
竹島・独島問題→他国は関与せず 実効支配していることが有利に 「独立の誇り」
日本 毎年抗議 未解決を持って解決となす、の密約?

北朝鮮の視点 竹島・独島問題  最近「政治的ヒステリー」と李大統領を批判
          慰安婦 強制連行として問題視→戦後補償の拡大狙う 

3. これからの関係(どのように課題を解決していくのか)

■領土に関する問題への評価(五味作成)
タイプの違う3つの地域
clip_image001      日本の所有度  相手国の友好度  将来的な日本期待度  危険度
北方領土  0          7             9              0
竹島     0          5             2              3
尖閣諸島  10         0             0              10

米国の関与、日本の植民地支配 戦後のあいまい処理の3つが問題を複雑にした。

領土をめぐる5つの解法

 1)戦争する 2)正面から論議する 3)時間をかけて沈静化を図り、棚上げする 4)共通項を増やし領土問題の比重を減らす 5)国際司法裁判所提訴

4.問題の所在と論議 考え方が違う人たちと、共存する時代に向けて
日韓間で竹島・独島の「アルザス・ロレーヌ」化は可能か 陸続きの欧州と海を隔てた日本
日本の歴史教育 考えさせず暗記させる 点数至上主義、戦後を教えない
交渉力の低下 論争不慣れ 話題がない 議員外交の衰退 
国際情勢の変化 日本の国力減退 米国の内向き化 台頭する中国とどう付き合うか






















2012年11月8日木曜日

「北朝鮮のいま 金正男氏を取材して」



あるところで行った講演記録です。一部省略してあります。

セミナー報告  東京新聞編集員 五味洋治氏
                                                            2012

『父・金正日と私 金正男独占告白』という本を文藝春秋から出版しましたが、金正男と偶然出会ったことがきっかけでした。本を出してから警視庁の関係者からも連絡があり、「よく書いてくれた。われわれも彼の日本での動向について裏づけ捜査をしていて、クレジットカードの使用歴などから行動を追っていたが、本に書かれている彼の日本での行動はほぼ正しい」と言っていました。彼は日本には5回来て、定宿の新橋第一ホテルで巨額の両替をしていました。いつも出迎えの人がいたそうです。

 本は今年1月20日に刊行したのですが、20万部となり、現役新聞記者が書いた本でこれだけ売れたのはきわめて珍しいそうです。読者の4割が女性とかで、認識を新たにしました。金正男は北朝鮮の現状に批判的で国内でも人気があります。跡目争いは、いわゆる韓流ドラマの歴史ものに似ていて、その流れで読んだという読者もいました。1週間で書店から本がなくなりました。金正男は2001年に日本から国外退去されたときに大きく報道されて、知名度があり、関心も高かったんですね。

 今日のお話は4つのパートにしてみました。①私のフルブライト体験、②この本の話、③北朝鮮はどういう国か、④これから北朝鮮はどうなるのか?
 まず①ですが、私は過去2回、フルブライトのジャーナリスト部門の試験を受けました。最初は川崎支局時代、鉄鋼の街だったので都市の再生をテーマに試験を受けましたが、不合格でした。
 それでも外国に行きたい、取材したいという気持ちは持ち続けていました。当時、私は川崎の韓国・朝鮮人街に住んでおり、ちょうど会社(東京新聞)で韓国留学の募集をしていたので応募して合格し、延世大学に語学留学しました。
 
中略

 次に②の話です。北京にいたころ、2004年の9月、日朝交渉が活発化して、外務省の斎木昭隆アジア大洋州局長が北朝鮮の担当者と会うというので、われわれは空港で、北朝鮮の担当者の到着を待っていました。
その時、テレビ局の記者が、「世の中にはよく似た人がいるねえ。あの人、金正男そっくりだよ」と言うのです。小太りでほくろもある。
で、「金正男さんですか?」とハングルで声をかけました。すると、「そうです」と言う。おかしいな。そんなにあっさりと認めるものだろうか。影武者じゃないか? 「写真撮っていいですか」「いま何をしていますか?」「お父さんは?」と立て続けに尋ねました。仲間の記者たちも集まってきた。彼は「何も知らない。父に聞いてくれ」と言います。私は名刺を渡して、「市内からこの携帯電話に連絡してください」と言って、別れました。
「記事にする?ソックリさんか替え玉じゃないか?」などと言い合いましたが、そそくさと帰る記者もいる。疑心暗鬼になり、わたしも写真と記事を送りました。「北京空港に金正男のソックリさんが現れた」という妙な記事になりました。あんなことを言いながら、各紙とも記事にしましたね。
 彼からは連絡ありませんでした。私は後悔しました。タクシーに相乗りしてホテルまで行けばよかった。チャンスを逃したのです。それから「金正男探し」が始まりました。レストランや美容室、高級韓国料理屋などを訪ね、「もし来たら連絡を」と名刺を渡しました。
 そんな折、突然のように金正男からメールが送られてきたんです。空港で名刺を渡した記者たち全員に同じように送られたようでした。私も、交信を続けようとしましたが、7通のメールだけで連絡は途切れてしまいました。一応、「金正男からメールが送られてきた」という記事を書きました。その後の一連の経緯は、2007年3月号の「文藝春秋」に「七通のメール」を書きました。

 2010年の10月のある日、突然、金正男からのメールが復活したんです。「2007年の文春の記事は非常によく書けていた。あなたは私に関心があるようだから、質問を受けますよ」というものでした。私は、「あなたが金正男だという証拠になるものを送ってほしい」と言うと、写真を送ってくれました。ふさふさだった髪がほとんどないけれど、ほくろの位置は同じです。
 
 (中略)

114日、マカオのホテルに行きました。

彼は時間通りに来ました。黒いジャケットにサングラスという姿。こっちは緊張します。なにしろ、立ち話ではなくきちんと坐っての長時間インタビューは、世界で初めてです。家内は写真を遠慮なく撮っていましたから、周囲の客たちは何が起こったのかと不審顔。彼も緊張していました。私は一歩突っ込んだ内容に迫ろうと必死です。予想外に彼も率直に答えてくれました。
 2010年9月に北朝鮮では弟の金正恩が正式に後継者として発表されました。その直後、10月に私とのメールが再開されたのは、後継決定と無関係ではないでしょう。金正男は1995年から北京に住んでいますが、それは父・金正日総書記と喧嘩をしたからだと言われています。しかし、彼は父親の悪口は言いません。いい父親だ、優しい父親だと。彼は子供のころから父親と離れて育ち、満たされない愛情で孤独感を抱えています。
一通りの話が終わって、「明日も会えませんか。家内はあなたのファンなんです。な、そうだろ?」と無理やり言うと、「じゃ、会いましょう」と彼も言う。「オフレコにしましょう」と言うので、メモしないで雑談になりましたが、内容はありました。いまの北朝鮮は改革開放しようとしてもうまくいかない。国内では開放を言う人と、ダメだという人がいる。北朝鮮に住んでいた時、友達はいないし、遊びに行くこともできない。孤独だったし、彼の存在は秘密にされていた子供でした。彼の母親は人妻だったのですが、強引に離婚させられたからでした。
「このインタビューを記事にして、本として刊行してもいいですか?」と尋ねると、「いいですよ」と言いました。取材を終え、家内には香港で金のネックレスを買いました。結構一生懸命手伝ってくれたので、惜しくはありませんでした。
 帰国して新聞に記事を書きました。反響は大きかった。本を書くのにあまり大きな反響はまずいな、と思っていたところ、金正男からメールがあり、「北朝鮮の当局が怒っている。開放のことが一番いけないようだ。もうあなたとは会うな、と言われている」というのです。でも、雑談のやり取りしているうちに、だんだん打ち解けてきました。 

12月に父親の金正日総書記が死去します。朝鮮では100日の喪が明けるまでは故人の悪口は言わない習慣があります。本を出す準備をしていることをどこから聞きつけたのか、あちこちから、プレッシャーがかかってきました。メディアから、本の内容について問い合わせが来た。なぜ知っているのか?と尋ねると、文春のホームページに予告が出ているという。もう仕方がない、出しましょう、と刊行に踏み切りました。
 内容的には初めて分かったこととか、革新的なものはありません。ただ、率直な肉声と北朝鮮についての分析が新鮮だったはずです。ディズニーランドに行くなど、放蕩息子と思われていたけれど、意外に真面目な人物であることが分かったはずです。私はジャーナリストの使命は、「既存のイメージを覆すこと」と考えています。
 やがて、本の韓国版と中国版も出版されました。韓国人からは、「彼へのインタビューは、私たちがやるべき仕事だ」といわれました。中国人記者からも電話がかかってきて、「彼が北京にいたのに、取材できなくて恥ずかしい」と言う人もいました。中国人にもタブーを破って開かれた報道をしようという記者がいることが分かって、よかったと思いました。
 
 さて、北朝鮮はどんな国か? 人口は2400万人。兵士の数が119万人。韓国との経済格差は44倍とされ、平均寿命はアフリカ並みです。北朝鮮には市場が全国にあり、文房具がよく売れます。教育熱心なんですね。携帯電話は100万台普及しているとかで、1台300ドル。料金が月2850ウォンと高いです。20代から30代の若者の60%は持っているそうです。
 食糧難をどう生き延びるかに必死ですが、一般大衆はたくましく生きています。「中東の春」のようなことは、いまのところ起きないでしょう。地方は電気がありません。中朝国境の豆満江では女性たちが衣服を棒で叩いて洗っています。食器も砂で洗います。石鹸がない。女性たちも平気で裸で体を洗っています。服は岩に張り付けて乾かします。
 道路は舗装なし。牛車で荷物を運んでいます。日本の明治時代ですね。脱北者は2万1000人が韓国へ入っています。7割は女性で、労働力になり、中国人の妻になったりしています。日本にも100人ほどいて、赤坂にも脱北者の店がある。積極的には脱北者であることを言いません。


 北朝鮮が最近ミサイル発射を強行しました。このため、米国は、2月に栄養補助食品を毎月送るという約束をしましたが、それを反故にしました。
ミサイル発射、核実験をすれば、それをテコに交渉してミサイルや核技術を米国が高く買い取ってくれるという計算が北朝鮮にはあるようです。
ただ、核実験はやらないのではないでしょうか。影響が大きすぎますから。しばらく時をおいて、どこかの節目で挑発するのではないでしょうか。

 金正恩については、4つの見方があります。①七光りの政治をやる。演説のスタイルや内容が金日成とよく似ている。金日成時代、北は韓国よりも豊かだった。金正恩の最近の演説には「金日成」が17回出てきました。軍事用語もあり、軍事優先スタイルは変えないでしょう。「人民生活」という言葉は4回だけで、後回しという印象です。
②若くキャリアがないので大番頭の言うことばかりきいているという説と、いや自分の意思を主張しているという見方もあります。父親が死去後、100日間にもわたって中朝国境を閉鎖して貿易もできない状態にするなど、若さゆえにより強硬なことをする面もあります。
③勝負にこだわる性格。これは元料理人だった藤本さんが言っています。バスケットボールの試合をしても、兄の正哲はあっさりしているのに、正恩はこだわって「もっとやろう!」と言う。相手を圧倒したい。韓国に対して非常に挑戦的な態度に出ていますが、これも正恩の若さゆえかもしれません。
④スイス留学体験がどう影響しているか?1991年から9年間いたらしい。自由な西欧を見ています。

その芽が出てきている、と朝鮮総連の関係者は言います。「北の態度がピリピリしたものから柔らかくなった。正恩の警備が20人から5人になりゆるくなった。視察に出ても、いまは群集の中に入って、リラックスして撮影している」と。金正日の料理人で有名な藤本健二も、「彼が17歳のとき、一緒に酒を飲んだことがあるが、正恩は、『われわれはこうして酒を飲んでいるが、一般人民はどうなっている? 西側は豊かなのに』とつぶやいていた」と言っています。わずかながら希望がある、ということでしょうか。(文中敬称略)

2012年11月4日日曜日

金正恩体制1年の評価と、日米韓の今後の対応

11月6日に早稲田大学のセミナーで発表する内容です。
東京新聞編集委員 五味洋治 gomi42@gmail.com
金正恩氏は、当初経験不足なうえに、父親譲りの過激な部分があるとメディアで伝えられていたが、実体は違っていたようだ。
父である金正日国防委員長の業績を引き継ぎながらも、新しい国家、指導者像を目指していると考えられる点がみられる。しかし、それは正恩氏の権力基盤が固まっていない段階で始まっており、危うさもはらんでいる。
新しい国家、指導者像については3つ指摘できる。
最初は、磐村氏も指摘している「党の指導力強化」だ。経済の分野にも大きな利権を持っていた軍部のトップを解任し、党の力を強め、経済政策は内閣に集約させたと伝えられる。
父の故金正日氏は、国防委員会を通じて統治を進め、軍の力が急速に拡大したが、正恩氏は基本的に「先軍政治」を受け継ぐ一方、実質的には、経済改善措置を取り、国の立て直しを図っているようだ

これに関連し、6・28措置と呼ばれている経済改善指示がある。一部で実施されているとも伝えられる[1] いったんは実施するようにとの指示が出されたが、反発する人たちが多く、政府内部での検討が続いている[2]という。今年12月から本格的に導入されるとの報道もあり、不透明な情勢だ。正恩氏の権力基盤の弱さと関係がありそうだ[3]
2つ目は、最初の理由と表裏一体だが、軍の権限を抑えることだ。
10月29日に、正恩氏が金日成軍事総合大学で開かれた故金日成主席と故金正日国防委員長の銅像除幕式で行った演説の中で、「党と首領に忠実でない人はいくら軍事家らしい気質があり、作戦と戦術に秀でているとしてもわれわれには必要ない」[4]と発言した。
7月に電撃解任された李英稿総参謀長の解任を意識した発言だろう。ここでも党への忠誠が強調されており、軍を公開的に牽制した

3つ目は公開活動の増加だ。米国の専門家によれば、201112月の金委員長死去から8か月の間、正恩氏の公開活動は合計108回だった。金日成主席死去直後の約3年間、金総書記の公開活動は88回に過ぎず、正恩氏の公開活動のペースは約4倍となる計算だ[5] どうして公開活動を増やしているのかには様々な見方があるが、私は正恩氏の指導者としての力量不足を補う意味があると見ている。

また、同じ米国の専門家が、正恩氏の公開活動に同行した幹部の肩書きを分析したところ同行者の46%が党幹部で占められた[6]という。同行者は一般的に複数の肩書きを持っており、分類方法は完全とは言えないだろうが、正恩氏の権力の軸足が「朝鮮労働に移っているとみることもできそうだ。
박재적博士が指摘する米国の安保戦略については、対等する中国を意識し、従来からの同盟国、友好国を統合し、軍事演習を通じて協力体制を築こうとしているとの指摘に同感する。
しかし、米国はオバマ政権の下で「戦略的忍耐」「挑発には見返りを与えない」を基本にしている。オバマ氏自身も演説の中で北朝鮮に触れることはほとんどなく、強い関心は持っていないようだ。
今年2月29日の栄養補助食品支援を巡る米朝合意が、北朝鮮のミサイル発射で霧散した。このため米国内には北朝鮮との交渉は結局徒労に終わるという悲観的な見方が強い。むしろ、国際社会の中で急速に影響力を増す中国の戦略的負担として、中国に北朝鮮管理を任せていく傾向が強い。米国の朝鮮半島専門家は、米国のより積極的な関与を訴えている。[7]
中国は経済的に北朝鮮との結びつきを強めているが、あくまで民間ベースを中心にしていくだろう。正恩氏の訪中は状況から見て、来年春になるのではないか。

中国は経済の減速が伝えられ、特にエネルギーの8割を依存している石炭価格の低落が目立つ。[8] すでに北朝鮮の対中輸出品である無煙炭などの需要に影響が出ており、北朝鮮はさらに困窮し、日本や韓国に積極的に接近する可能性がある。

[1] 2012年11月1日 自由アジア放送http://www.rfa.org/korean/in_focus/wage-11012012093353.html
[2] 平壌を行き来する在日朝鮮人商工人への、筆者の聞き取り
[3] 2012年10月30日 自由アジア放送 http://www.rfa.org/korean/in_focus/newcontrol-10302012080815.html
[4] 2012年11月2日 韓国YTN http://www.ytn.co.kr/_ln/0101_201211021617425183
[5] Luke Herman KOREA ECONOMIC INSTITUTE http://blog.keia.org/2012/11/comparing-the-successions-kim-jong-il-vs-kim-jong-un/
[6] 同上
[7] http://www.cfr.org/north-korea/north-koreas-missiles-nukes-false-promises-respond/p27988
[8] 石炭価格の指標、環渤海動力煤価格が急落、やや持ち直す。10月17日 中新網http://big5.chinanews.com:89/gate/big5/finance.chinanews.com/ny/2012/10-18/4256264.shtml




























2012年10月5日金曜日

日本外交、ここが課題

10月4日に拓殖大学で行った講演の一部です。
私は今年の3月から霞ヶ関にある外務省を担当することになった。
外務省は「開放」と「秘密主義」という2つの顔がある。
外務省幹部が積極的に記者と懇談に応じ、外相の外国メディアの記者会見出席を歓迎している。これは開放的な部分だ。
一方で、秘密主義も強い。
外国との交渉は秘密保持が必要という建前のもと、交渉の内容は公開されないことが多い。公開されても一部か、もしくは中身をわざとすり替えて行うことも少なくない。
秘密主義が国益につながるのなら大いに歓迎だが、むしろ秘密主義が緊張感を失わせ、外交的な失策につながっていると思われるケースも少なくない。
たとえば最近の出来事でいうなら、領土問題だ。
韓国の李明博大統領の竹島訪問、尖閣諸島国有化をめぐる中国の猛反発。これは大使館や外務省本省のエリート外交官は、事態が悪化することをどうして予測できなかったのか。
外務省側は事務方が、相手国と意思疎通していたというが、誰といつ、どのように接触し、どう伝えてきたかは判然としない。
外務省側も詳しく説明しようとしないので、追及しようがない。
外交の力は、情報から来ているとおもう。
しかしその情報は関係省庁が、自分の手に握りしめて他に出さないので、きわめて非効率で、同じ情報を違う役所が追いかけるなどということがしょっちゅうだ。
たとえば北朝鮮に拉致された日本人の情報についても、複数の役所が調べている。総合力として機能していない。
外務省に勤務する人たちの給与は決して高くないが、在外公館に出て仕事をすれば、住宅手当や在外手当が入ってくる。
赴任地の物価に比較すれば、相当な高給となる。しかし、それに見合った仕事をしているのかは大いに疑問だ。

秘密主義といえば、こんな記事もある。
中央官庁には2001年から情報公開法が適用され、一定期間過した文書は公開が義務付けられた。
ところが、この法律適用の直前、外務省は機密文書を大量に廃棄していたという。
http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/e58f1e5ec14b335505a9652d849bb981
外務省は毎年、職員の定員増を財政要求として発表しているが、それが受け入れられるには、さらに奮起が必要だ。

注目の投稿

金正恩朝鮮労働党委員長新年辞

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/14970  転載です <参考資料>  朝鮮労働党機関紙『労働新聞』は、毎年1月3日頃に「新年の辞」の基本体系を理解するための要旨を掲載している。参考までに、その全文翻訳を添付する。 「今年の新年の辞の基本内容...

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