第6軍団に関する記事の最終回。この軍の人事には金総書記の不安感が反映していると筆者は指摘している。
ブログの更新は、数日間お休みします。
1~4軍団のような南への侵略任務を遂行しなければならない全然軍団軍団長らが本当に作戦通だ。
北朝鮮が本当に作戦通を、(軍の幹部に)任命しようとするなら金英春や平壌防御司令官を使ってはいないだろう。
金英春が6軍団長経歴を通じて"野戦軍司令官を兼備した作戦通"と呼ばれているが、金英春は6軍団に野戦軍司令官の経験を積むために行ったのではなく、クーデター鎮圧のために行っただけであり、鎮圧を終えた後、昇進した。
そして6軍団は、北朝鮮で最も後方に駐留していた軍団で、大多数が予備役で構成された現役軍人が一番少ない軍団だった。
2年ほど、この軍団の司令官をした経歴は、野戦軍司令官経歴に組み入れることもできない。
なぜ金正日はクーデター鎮圧にたけていた人間を、軍首脳に配置したのだろうか。
彼が直接病床に着いた経験があるので、その経験が権力維持に対する不安感に火を注いだのかもしれない。
もう一つ可能性は、北朝鮮が今年1月に内閣の3分の1を交替したことが挙げられる。
特に人民経済4大先行の部分という電気、石炭、金属、鉄道の中で、更迭されてからいくらも経たない石炭相だけ除いて、みな交替させられている。
新しい官僚は、いずれも経済実務働き手ら中心に配置されたという。
同時に1月末に金正男が北京に現れて、初めて後継者問題に対して発言した。
そして昨日金正日料理人を過ごした藤本健二氏が、金正日3男金正恩の写真を公開した。
彼が北朝鮮を出てもう8年になるのに、正恩の写真を公開した理由は何だろうか?
明らかに北朝鮮では何か動きがある。
13日は金正日国防委員長が後継者に指名されて35周年になる日だ。
彼は32才誕生日を3日前にして1974年2月13日党全員会議で後継者指名を受けた。
今は金委員長も67才だ。
3月には韓国の国会議員選挙に該当する最高人民会議代議員選挙が進み、,金正日3期統治が始まる。
金委員長が今後継者を指名する時と考えたら経済実務働き手で内閣を満たした後、ひょっとして急変期に起きる可能性のある反逆を備え、軍を準備させる必要があるだろう。
今回の要人はそのような兆しを知らせる信号弾でもある。
もちろん金正日の胸算用は当事者だけが知ることが出来るだろう。
終わり
2011年4月7日木曜日
2011年4月6日水曜日
第六軍団はこうやって消えた その③ 東亜日報記者ブログより
この記事の前提には、北朝鮮の人事がある。これについての解説記事なので、引用しておく。
北朝鮮の軍の人事は、韓国との実戦というよりも、内部のクーデターを容赦なく取り締まってきた人間が評価されることが分かる。
====================================
出典 http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2009/04/0904j0217-00002.htm
人民武力部長に金永春氏、総参謀長に李英鎬氏任命
朝鮮中央通信によると11日、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長である金正日・朝鮮労働党中央軍事委員会委員長の名義による国防委員会、党中央軍事委員会の決定が発表された。
朝鮮人民軍の金永春次帥が朝鮮民主主義人民共和国国防委員会人民武力部長に、朝鮮人民軍の李英鎬大将が朝鮮人民軍総参謀長に任命された。
[朝鮮新報 2009.2.17]
====================================
以下は、記事の続き。
元応煕は総参謀部保安局長で人民武力部保衛司令官に昇進した後、金日成死亡以後1990年代末に行われた各種大粛清を主導した。
保衛司令部の権力は天を突き刺す勢いだった。
(韓国の)全斗煥時代の保安司(国軍保安司令部ーしばしば、最悪の人権弾圧機関として例に挙げられる)の威勢を凌駕しただろう。
はなはだしきは中央党幹部までも保衛司が内密調査し、数多くの幹部の首が飛んだ。
威勢をふるった保衛司令部は2002年に突然縮小された。
多分保衛司の権力が突出したため、金委員長が牽制したのだ。
そうでないとしても今は取り除くべきものはみな取り除いたとして、安定した権力委譲を成し遂げたと考えた金委員長が保衛司をこれ以上放置してはいけないと考えたとも見られる。
兎食狗烹(狡兎(こうと)死して=走狗(そうく)(=良狗(りようく))烹(に)らる。 史記(越王勾践世家)すばしこいうさぎが死ねば、猟犬は不要になって煮て食われる。敵国が滅びると、軍事に尽くした功臣はかえってじゃま者扱いされて殺されることのたとえ)という話が北朝鮮では、そのまま当てはまる。
半年以上執拗に空軍司令官を盗聴、監視し、ついに彼を反革命分子で粛清させた功労で金正日の目にとまり、成り上がった元応煕は、2004年5月65才という比較的若くして突然死んだ。
彼以外にも現在死んだり消えた人が多く、今保衛司の首脳陣の構成は1990年代末と全く違うという話もも伝えられる。
黄長燁前北朝鮮労働党秘書は昨年9月6軍団事件の収拾に当たった金英春を(金正日の義弟)張成沢が操縦したと明らかにした。
1994年当時張成沢の兄弟の張ソヌと張ソンギルは、各々北朝鮮軍大将と中将で、軍団長となっても不思議でない職位だったが、彼らを抜いて金英春がその地位に就いたのだ。
金英春に対する金委員長、または張成沢の信任が厚いことを語る。
これら6軍団事件中の多くの内容は、本記事により、韓国で初めて公開されるものだ。
筆者はこの内容を、当時北朝鮮軍保衛司令部最高位の将軍の子供の1人から聞いた。
そうやって金英春が人民武力部長となった。
韓国の国防長官で当たる地位である。
総参謀長に上がった李英鎬は平壌防御司令部(軍団級)司令官出身だ。
韓国とすれば首都防御司令部司令官である。
平壌防御司令部の任務中最も重要な任務は有事の際すなわちクーデターが発生すれば、金正日政権を守ることだ。
反面平壌防御司令部がクーデターを起こせば致命的だ。
したがって平壌防御司令部司令官は忠臣中の忠臣にならなければならない。
李英鎬は親衛隊の護衛局出身という証言もある。
結局北朝鮮は軍首脳部に最高の「クーデター鎮圧専門家」を任命したわけだ。
韓国のマスコミはは異口同音に、‘実戦にたけた軍人と彼らの表現するが内幕は、実戦よりは事実上クーデターを防ぐのに最も適任者である忠誠派を任命したといえる。
彼らを除いても北朝鮮には軍事作戦通は多い。
(続)
北朝鮮の軍の人事は、韓国との実戦というよりも、内部のクーデターを容赦なく取り締まってきた人間が評価されることが分かる。
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出典 http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2009/04/0904j0217-00002.htm
人民武力部長に金永春氏、総参謀長に李英鎬氏任命
朝鮮中央通信によると11日、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長である金正日・朝鮮労働党中央軍事委員会委員長の名義による国防委員会、党中央軍事委員会の決定が発表された。
朝鮮人民軍の金永春次帥が朝鮮民主主義人民共和国国防委員会人民武力部長に、朝鮮人民軍の李英鎬大将が朝鮮人民軍総参謀長に任命された。
[朝鮮新報 2009.2.17]
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以下は、記事の続き。
元応煕は総参謀部保安局長で人民武力部保衛司令官に昇進した後、金日成死亡以後1990年代末に行われた各種大粛清を主導した。
保衛司令部の権力は天を突き刺す勢いだった。
(韓国の)全斗煥時代の保安司(国軍保安司令部ーしばしば、最悪の人権弾圧機関として例に挙げられる)の威勢を凌駕しただろう。
はなはだしきは中央党幹部までも保衛司が内密調査し、数多くの幹部の首が飛んだ。
威勢をふるった保衛司令部は2002年に突然縮小された。
多分保衛司の権力が突出したため、金委員長が牽制したのだ。
そうでないとしても今は取り除くべきものはみな取り除いたとして、安定した権力委譲を成し遂げたと考えた金委員長が保衛司をこれ以上放置してはいけないと考えたとも見られる。
兎食狗烹(狡兎(こうと)死して=走狗(そうく)(=良狗(りようく))烹(に)らる。 史記(越王勾践世家)すばしこいうさぎが死ねば、猟犬は不要になって煮て食われる。敵国が滅びると、軍事に尽くした功臣はかえってじゃま者扱いされて殺されることのたとえ)という話が北朝鮮では、そのまま当てはまる。
半年以上執拗に空軍司令官を盗聴、監視し、ついに彼を反革命分子で粛清させた功労で金正日の目にとまり、成り上がった元応煕は、2004年5月65才という比較的若くして突然死んだ。
彼以外にも現在死んだり消えた人が多く、今保衛司の首脳陣の構成は1990年代末と全く違うという話もも伝えられる。
黄長燁前北朝鮮労働党秘書は昨年9月6軍団事件の収拾に当たった金英春を(金正日の義弟)張成沢が操縦したと明らかにした。
1994年当時張成沢の兄弟の張ソヌと張ソンギルは、各々北朝鮮軍大将と中将で、軍団長となっても不思議でない職位だったが、彼らを抜いて金英春がその地位に就いたのだ。
金英春に対する金委員長、または張成沢の信任が厚いことを語る。
これら6軍団事件中の多くの内容は、本記事により、韓国で初めて公開されるものだ。
筆者はこの内容を、当時北朝鮮軍保衛司令部最高位の将軍の子供の1人から聞いた。
そうやって金英春が人民武力部長となった。
韓国の国防長官で当たる地位である。
総参謀長に上がった李英鎬は平壌防御司令部(軍団級)司令官出身だ。
韓国とすれば首都防御司令部司令官である。
平壌防御司令部の任務中最も重要な任務は有事の際すなわちクーデターが発生すれば、金正日政権を守ることだ。
反面平壌防御司令部がクーデターを起こせば致命的だ。
したがって平壌防御司令部司令官は忠臣中の忠臣にならなければならない。
李英鎬は親衛隊の護衛局出身という証言もある。
結局北朝鮮は軍首脳部に最高の「クーデター鎮圧専門家」を任命したわけだ。
韓国のマスコミはは異口同音に、‘実戦にたけた軍人と彼らの表現するが内幕は、実戦よりは事実上クーデターを防ぐのに最も適任者である忠誠派を任命したといえる。
彼らを除いても北朝鮮には軍事作戦通は多い。
(続)
2011年4月4日月曜日
第六軍団はこうやって消えた その② 東亜日報記者ブログより
6軍団だけでなく咸鏡北道担当組織秘書など軍将軍らと結託した党、行政幹部らも逮捕された。
彼らは苛酷に処断され、家族らは政治犯収容所に送られた。
疑惑がもたれた数百人の軍官らが逮捕および処刑されたこと。他にも、クーデター試みを全く知らなかった初級軍官らも軍服を脱がされ除隊処分となった。
除隊期間がわずかに残った古参兵士たちも除隊されて、炭鉱など辺境地に配置された。
反逆の種を完全に除去して他の部隊にうわさが広がるのを徹底的に遮断するという意図であった。
わけも分からないまま除隊処分となり、辺境地に送られた彼らは単に6軍団所属であったという理由で人生が完全に変わったのだ。
翌年1月から軍団傘下3個現役師団が、勤務条件がよくない江原道で、夜ごと列車にのせられて、移動した。
そして反逆の代名詞になった6軍団という名前は消えた。
6軍団は9軍団で新しく改編されたのだ。
クーデター粛清と6軍団整理がある程度決着がつくと、金英春は大きく昇進した。
1995年9月金英春はそうそうたる先輩らを抜いて副元帥の肩書と共に総参謀長(韓国なら参謀総長)に上がる。
2000年には北朝鮮共和国英雄称号まで受けた。
元応煕は総参謀部保安局長で、人民武力部保衛司令官に昇進した後、金日成死亡以後1990年代末に形成された各種大粛清を主導した。
彼らは苛酷に処断され、家族らは政治犯収容所に送られた。
疑惑がもたれた数百人の軍官らが逮捕および処刑されたこと。他にも、クーデター試みを全く知らなかった初級軍官らも軍服を脱がされ除隊処分となった。
除隊期間がわずかに残った古参兵士たちも除隊されて、炭鉱など辺境地に配置された。
反逆の種を完全に除去して他の部隊にうわさが広がるのを徹底的に遮断するという意図であった。
わけも分からないまま除隊処分となり、辺境地に送られた彼らは単に6軍団所属であったという理由で人生が完全に変わったのだ。
翌年1月から軍団傘下3個現役師団が、勤務条件がよくない江原道で、夜ごと列車にのせられて、移動した。
そして反逆の代名詞になった6軍団という名前は消えた。
6軍団は9軍団で新しく改編されたのだ。
クーデター粛清と6軍団整理がある程度決着がつくと、金英春は大きく昇進した。
1995年9月金英春はそうそうたる先輩らを抜いて副元帥の肩書と共に総参謀長(韓国なら参謀総長)に上がる。
2000年には北朝鮮共和国英雄称号まで受けた。
元応煕は総参謀部保安局長で、人民武力部保衛司令官に昇進した後、金日成死亡以後1990年代末に形成された各種大粛清を主導した。
2011年4月3日日曜日
第六軍団はこうやって消えた その① 東亜日報記者ブログより
出典 http://blog.donga.com/nambukstory/archives/167
関連日本語記事 http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2009021361948
韓国の東亜日報には、北朝鮮出身の記者がおり、なかなか文章がうまい。評判になっている彼の本を韓国で買ってきた。やさしい韓国語でよみやすい。しかも原文は彼の記者ブログ内にあり読むこともできる。
その中で第6軍団のクーデターの話を訳してみる。
この記事の一部は、東亜日報日本語版に掲載されている。
1994年に起きたとされるこのクーデターを鎮圧した人間が、その後急速な出世を遂げたとある。こういう構図が、軍がクーデターを起こせない仕組みを作り上げている。長いので分割して掲載します。
クーデター試み北朝鮮軍6軍団、このように消えた。
チュ・ソンハ記者2009/02/13 7:54 pm
1994年1月2日、咸鏡北道に駐留している北朝鮮軍6軍団軍団長が急に死亡した。
この日咸北清津市に位置した6軍団司令部上空でヘリコプターらが轟音を響かせた。
人々はわけが分からなくて不安に震えた。
約1年後6軍団の政治委員をはじめとする将軍および高位軍官らが処刑され、軍団傘下師団らが江原道と咸鏡南道駐屯軍へと更迭された。
3代名物を選べと言うなら石、軍隊、風が選ばれる江原道で、石を10個投げれば8個が軍隊頭に落ちるという話がある江原道.
‘石江原道’と呼ばれるその土地で、6軍団に新しく配置されて、咸北に入ってくる軍人らは車で快哉を叫んだ。
“ワ~ここははまだ山にヤギが歩き回っているよ…”
もちろん軍人精神でなく‘泥棒精神’に透徹した江原道軍人らが入ってきた後、咸北野山らでヤギと羊たちが消えて個人家らで家畜らが容赦なく消えた。
咸北の人々は苦しんだ。
“以前にも苦労したがそれは何でもなかったね…今度は馬賊団が入ってきたよ。”
2時ぐらい北朝鮮には噂が飛び始めた。
6軍団将軍らがクーデターを起こしたということだ。
うわさはこうだった。
6軍団政治委員(中将)がクーデターを夢見て同志を糾合したという。
軍団保衛部長も政治委員と意気投合した。
軍団長だけ残った。
北朝鮮軍団を動かそうとするなら武力統率権を掌握した軍団長、政治責任者の2人者政治委員、軍団監視を担当した保衛部長このように3人が同意を集めなければならない。
3権分立が徹底していて他の国のように軍司令官の単独の決心によってでは、軍が動けない構造だ。
このために北朝鮮ではクーデターの可能性がそれだけ低いのだ。
彼らは軍団長を引き込むための機会で1994年正月(旧正月のこと)に定めた。
上官を訪ねて行って、新年挨拶ができる正月は将軍らが自然に一ヶ所に集まれる機会でもあった。
彼らは軍団長の意志を打診し、合流を断った場合暗殺するという計画もたてたという。
軍団長は断った。
そして計画のとおり、暗殺された。
ある高位級要人の証言によれば毒酒を飲んだという。
参考で当時6軍団長はパルチザン出身ではなかったが、韓国動乱(朝鮮戦争)で大きい活躍を繰り広げた人だった。
軍団長程度が死亡すれば労働新聞2面程度に訃告が出る。
当時労働新聞も2面に6軍団長が長い間の持病で死亡したと発表した。
クーデター主謀者らが皆処刑されて、彼らが計画したクーデター内容は伝えられないでいる。
平壌攻撃計画をたてたという話、金正日国防委員長を誘引して、暗殺しようとしたという話、韓国軍と手を握って咸北を渡そうとしたなどの説が飛び交った。
参考ながら、1994年を前後した時期は北核問題で北米、南北間の対決が最高潮に達していた時期だった。
1993年3月北朝鮮は準戦時体制を宣言したし、米国は寧辺核爆撃を試みる時であった。
これから南北が統一されれば、軍保衛司令部捜査記録が公になり、歴史を作ろうとした彼らの堂々としていた志が明らかになるようになるだろう。
1994年初め6軍団でおかしな気配が感じられた時、金正日国防委の人が直ちに当時軍の軍需動員総局長だった金英春隊長だった。
金英春は派遣されるやいなや元応煕当時総参謀部保衛局長と手を握って、徹底して内密調査した。
早く緊急な火を消さなければならなかった。
政治委員など主導者らを、会議をするという口実で咸南イウォン飛行場に誘引した後、その場で逮捕した。
政治委員は疑いを抱いたがやむを得ず飛行場行って捕縛されて、平壌に連行されて行った。
数十人の軍人らが車から降りる彼を襲った時、彼は逮捕されることを覚悟していた表情という。
当時状況を見守った人は後日政治委員が“この連中~”といいながら怒鳴りつけて腹部をげんこつで殴りつけ、ずるずる引きずられて行ったと話した。
以後約10ケ月の間、軍団では徹底した内密調査が進行された、数多くの加担者らが追加で逮捕および処刑された。
関連日本語記事 http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2009021361948
韓国の東亜日報には、北朝鮮出身の記者がおり、なかなか文章がうまい。評判になっている彼の本を韓国で買ってきた。やさしい韓国語でよみやすい。しかも原文は彼の記者ブログ内にあり読むこともできる。
その中で第6軍団のクーデターの話を訳してみる。
この記事の一部は、東亜日報日本語版に掲載されている。
1994年に起きたとされるこのクーデターを鎮圧した人間が、その後急速な出世を遂げたとある。こういう構図が、軍がクーデターを起こせない仕組みを作り上げている。長いので分割して掲載します。
クーデター試み北朝鮮軍6軍団、このように消えた。
チュ・ソンハ記者2009/02/13 7:54 pm
1994年1月2日、咸鏡北道に駐留している北朝鮮軍6軍団軍団長が急に死亡した。
この日咸北清津市に位置した6軍団司令部上空でヘリコプターらが轟音を響かせた。
人々はわけが分からなくて不安に震えた。
約1年後6軍団の政治委員をはじめとする将軍および高位軍官らが処刑され、軍団傘下師団らが江原道と咸鏡南道駐屯軍へと更迭された。
3代名物を選べと言うなら石、軍隊、風が選ばれる江原道で、石を10個投げれば8個が軍隊頭に落ちるという話がある江原道.
‘石江原道’と呼ばれるその土地で、6軍団に新しく配置されて、咸北に入ってくる軍人らは車で快哉を叫んだ。
“ワ~ここははまだ山にヤギが歩き回っているよ…”
もちろん軍人精神でなく‘泥棒精神’に透徹した江原道軍人らが入ってきた後、咸北野山らでヤギと羊たちが消えて個人家らで家畜らが容赦なく消えた。
咸北の人々は苦しんだ。
“以前にも苦労したがそれは何でもなかったね…今度は馬賊団が入ってきたよ。”
2時ぐらい北朝鮮には噂が飛び始めた。
6軍団将軍らがクーデターを起こしたということだ。
うわさはこうだった。
6軍団政治委員(中将)がクーデターを夢見て同志を糾合したという。
軍団保衛部長も政治委員と意気投合した。
軍団長だけ残った。
北朝鮮軍団を動かそうとするなら武力統率権を掌握した軍団長、政治責任者の2人者政治委員、軍団監視を担当した保衛部長このように3人が同意を集めなければならない。
3権分立が徹底していて他の国のように軍司令官の単独の決心によってでは、軍が動けない構造だ。
このために北朝鮮ではクーデターの可能性がそれだけ低いのだ。
彼らは軍団長を引き込むための機会で1994年正月(旧正月のこと)に定めた。
上官を訪ねて行って、新年挨拶ができる正月は将軍らが自然に一ヶ所に集まれる機会でもあった。
彼らは軍団長の意志を打診し、合流を断った場合暗殺するという計画もたてたという。
軍団長は断った。
そして計画のとおり、暗殺された。
ある高位級要人の証言によれば毒酒を飲んだという。
参考で当時6軍団長はパルチザン出身ではなかったが、韓国動乱(朝鮮戦争)で大きい活躍を繰り広げた人だった。
軍団長程度が死亡すれば労働新聞2面程度に訃告が出る。
当時労働新聞も2面に6軍団長が長い間の持病で死亡したと発表した。
クーデター主謀者らが皆処刑されて、彼らが計画したクーデター内容は伝えられないでいる。
平壌攻撃計画をたてたという話、金正日国防委員長を誘引して、暗殺しようとしたという話、韓国軍と手を握って咸北を渡そうとしたなどの説が飛び交った。
参考ながら、1994年を前後した時期は北核問題で北米、南北間の対決が最高潮に達していた時期だった。
1993年3月北朝鮮は準戦時体制を宣言したし、米国は寧辺核爆撃を試みる時であった。
これから南北が統一されれば、軍保衛司令部捜査記録が公になり、歴史を作ろうとした彼らの堂々としていた志が明らかになるようになるだろう。
1994年初め6軍団でおかしな気配が感じられた時、金正日国防委の人が直ちに当時軍の軍需動員総局長だった金英春隊長だった。
金英春は派遣されるやいなや元応煕当時総参謀部保衛局長と手を握って、徹底して内密調査した。
早く緊急な火を消さなければならなかった。
政治委員など主導者らを、会議をするという口実で咸南イウォン飛行場に誘引した後、その場で逮捕した。
政治委員は疑いを抱いたがやむを得ず飛行場行って捕縛されて、平壌に連行されて行った。
数十人の軍人らが車から降りる彼を襲った時、彼は逮捕されることを覚悟していた表情という。
当時状況を見守った人は後日政治委員が“この連中~”といいながら怒鳴りつけて腹部をげんこつで殴りつけ、ずるずる引きずられて行ったと話した。
以後約10ケ月の間、軍団では徹底した内密調査が進行された、数多くの加担者らが追加で逮捕および処刑された。
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