2019年10月22日火曜日

検事の力はなぜ大きくなったのか2 ハンギョレ

専門用語がそのまま出てきて、訳しても意味の分からないところがあるが、とりあえずそのままにしておく。


これは近代的刑事訴訟法の一般的原則を排除する代表的害をもたらす条項だ。
このような‘急速処分’条項が日本刑事訴訟法に登場したことは1922年(大正刑事訴訟法)だった。
日帝強制占領期間、朝鮮が日本より10年もはやかったことだ。
朝鮮人を抑圧するために日本検察制度より強大な権限を検事にあらかじめ与えたことだった。
当時検察と裁判所,警察は日本人が掌握した状態であった。
訴追-捜査-裁判の分離原則崩れて
検事と警察の強制捜査が普遍化して,被疑者をひとまず逮捕して,自白を受け取る方式で捜査が進行された。
言論人朴殷植の証言を見よう(<韓国独立運動史>,1920年).
“警察が見て罪を犯したと認められる者は司法(裁判)によらなくて直接逮捕した。
捜査対象者だけでなくその親戚,友人まで関連させて,事実の有無と軽重を問わず新聞に先立ち残忍な刑罰を加えた。
人事不省になるまで数日を監禁した後に、やっと尋問し,また刑罰を加えて,自白を強要して何の証拠もなし自白だけで罪を成立させる。”
実際に日帝強制占領期間に検挙された人員の半分が警察から解放され,検察に送検された人員の半分以上が不起訴処分を受けた。
略式命令事件を除けば予審や公判に回付される人員は当初検挙人員の10~20%に終わった。
不起訴事件中でも40%内外が無嫌疑であった。
多くの無嫌疑と不起訴処分は検察と警察の公権力行使が無能で苛酷さを証明すると解釈できる。
当時警察と検察が“非科学的検挙”を日常行って“7人の犯罪者を検挙するために100人を捕らえる”という言論批判が出てくることもした。(<東亜日報> 1929年12月6日付け)
公判廷の様子も日本と朝鮮は明確に違った。
日本では検事と弁護人が裁判長の許可を受けて,被告人・証人などを直接尋問することができた。
だが朝鮮では判事が日本人,被告人・証人が朝鮮人のため通訳が不便だとし,これを許さなかった。
検事と弁護士が証人・被告人を直接尋問できないから裁判は書面審理を主とする‘調書裁判’になった。
日帝強制占領期間、朝鮮の刑事手続きは検事と警察が‘急速処分’が必要だとし,被疑者を強制的に捕まえて,自白を強要する‘尋問’を経て調書を作成して,この調書を法廷に提出して,証拠として,有罪を率いるのが一般的だった。
結局‘強制捜査-自白強要-調書裁判’という慣行が固まっていった。
1934年日本裁判を傍聴した朝鮮人弁護士カンビョンスンが朝鮮裁判と比較した文を見よう。
“この(日本)公判審理は当事者対等主義が最も完全に発揮されたのだ。
老練達識の弁護人が起訴事実が不十分だという点を指摘して,手続上のミスをついて,裁判長の許しの下検事に非難の矢は鋭く言い放ったし東京検査局の精鋭検事が出て,事実を説明して必要な要件を補充するように作った。
完全に攻撃と防御の地位がさかさまになったようだった。
このように3者(裁判所・検察・弁護士)がお互い牽制して提携しながら,刑事司法の使命を成しとげて裁判の誤りを防げるのだ。
弁護人の弁論をわずらわしくて大して重要ではないことにここは裁判官,検事独善主義に陶酔して,弁護人を見下して横目でにらむ検事,傾聴する価値がない弁論でもたもたごまかす弁護人を多分含む朝鮮の司法機関が観点を正して経た面を整えて,もう少し近くて合理的に運営されることはいつになるだろうか。”(<法の精神文(門)> 1937年7月5一致)

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