間組は、戦時中中国や韓国で大規模な事業を請け負い、急成長した企業である。
その社史には、徴用工の事が明記され、社内でも反対がおきたほどだったという。
その経緯は
51年目の戦争責任というNHKのドキュメンタリーに記録されている。
間組の社史647Pには以下の記述がある。
5 )多くの犠牲を伴った世紀の堰堤工事
壮大な工事を短期間に竣工させるため、このエ靡に
は実に多くの労働者が動員された。しかし、元来、朝
鮮北部は人口密度が低いため、労働者の数が決定的に
足りず、労働者の多くは「斡旋」形式により半強制的に
朝鮮南部から送り込まれた者たちであった。こうして
労働力は確保されたが、その一方で、現場は混乱し、
朝鮮人、中国人労働者の事故が頻発した。その正確な
数は不明である。
現場での死傷事故では、桟橋の上をコンクリートを
積んでひっきりなしに走るガソリンカーに繰かれる事
故と墜落事故が多かった。このため、水豊病院に運び
込まれる者はかなりの数にのぼった。
また、現場は朝鮮.満州の国境地帯に位置し、工事
に先立って貯水池敷地として買収した用地は朝鮮側3000
万坪、満州側3000万坪、計6000万坪という広大な面積
であったため、この地域に住む朝鮮人、中国人7万人
は、工事のために立ち退かなければならなかった。
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