2011年4月4日月曜日

第六軍団はこうやって消えた その② 東亜日報記者ブログより

6軍団だけでなく咸鏡北道担当組織秘書など軍将軍らと結託した党、行政幹部らも逮捕された。
彼らは苛酷に処断され、家族らは政治犯収容所に送られた。
疑惑がもたれた数百人の軍官らが逮捕および処刑されたこと。他にも、クーデター試みを全く知らなかった初級軍官らも軍服を脱がされ除隊処分となった。

除隊期間がわずかに残った古参兵士たちも除隊されて、炭鉱など辺境地に配置された。

反逆の種を完全に除去して他の部隊にうわさが広がるのを徹底的に遮断するという意図であった。

わけも分からないまま除隊処分となり、辺境地に送られた彼らは単に6軍団所属であったという理由で人生が完全に変わったのだ。
翌年1月から軍団傘下3個現役師団が、勤務条件がよくない江原道で、夜ごと列車にのせられて、移動した。
そして反逆の代名詞になった6軍団という名前は消えた。

6軍団は9軍団で新しく改編されたのだ。
クーデター粛清と6軍団整理がある程度決着がつくと、金英春は大きく昇進した。
1995年9月金英春はそうそうたる先輩らを抜いて副元帥の肩書と共に総参謀長(韓国なら参謀総長)に上がる。
2000年には北朝鮮共和国英雄称号まで受けた。
元応煕は総参謀部保安局長で、人民武力部保衛司令官に昇進した後、金日成死亡以後1990年代末に形成された各種大粛清を主導した。

2011年4月3日日曜日

第六軍団はこうやって消えた その① 東亜日報記者ブログより

出典 http://blog.donga.com/nambukstory/archives/167
関連日本語記事 http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2009021361948

韓国の東亜日報には、北朝鮮出身の記者がおり、なかなか文章がうまい。評判になっている彼の本を韓国で買ってきた。やさしい韓国語でよみやすい。しかも原文は彼の記者ブログ内にあり読むこともできる。


その中で第6軍団のクーデターの話を訳してみる。
この記事の一部は、東亜日報日本語版に掲載されている。
1994年に起きたとされるこのクーデターを鎮圧した人間が、その後急速な出世を遂げたとある。こういう構図が、軍がクーデターを起こせない仕組みを作り上げている。長いので分割して掲載します。

クーデター試み北朝鮮軍6軍団、このように消えた。

チュ・ソンハ記者2009/02/13 7:54 pm

1994年1月2日、咸鏡北道に駐留している北朝鮮軍6軍団軍団長が急に死亡した。
この日咸北清津市に位置した6軍団司令部上空でヘリコプターらが轟音を響かせた。
人々はわけが分からなくて不安に震えた。

約1年後6軍団の政治委員をはじめとする将軍および高位軍官らが処刑され、軍団傘下師団らが江原道と咸鏡南道駐屯軍へと更迭された。
3代名物を選べと言うなら石、軍隊、風が選ばれる江原道で、石を10個投げれば8個が軍隊頭に落ちるという話がある江原道.
‘石江原道’と呼ばれるその土地で、6軍団に新しく配置されて、咸北に入ってくる軍人らは車で快哉を叫んだ。

“ワ~ここははまだ山にヤギが歩き回っているよ…”

もちろん軍人精神でなく‘泥棒精神’に透徹した江原道軍人らが入ってきた後、咸北野山らでヤギと羊たちが消えて個人家らで家畜らが容赦なく消えた。
咸北の人々は苦しんだ。

“以前にも苦労したがそれは何でもなかったね…今度は馬賊団が入ってきたよ。”
2時ぐらい北朝鮮には噂が飛び始めた。

6軍団将軍らがクーデターを起こしたということだ。
うわさはこうだった。

6軍団政治委員(中将)がクーデターを夢見て同志を糾合したという。
軍団保衛部長も政治委員と意気投合した。

軍団長だけ残った。

北朝鮮軍団を動かそうとするなら武力統率権を掌握した軍団長、政治責任者の2人者政治委員、軍団監視を担当した保衛部長このように3人が同意を集めなければならない。

3権分立が徹底していて他の国のように軍司令官の単独の決心によってでは、軍が動けない構造だ。

このために北朝鮮ではクーデターの可能性がそれだけ低いのだ。

彼らは軍団長を引き込むための機会で1994年正月(旧正月のこと)に定めた。

上官を訪ねて行って、新年挨拶ができる正月は将軍らが自然に一ヶ所に集まれる機会でもあった。

彼らは軍団長の意志を打診し、合流を断った場合暗殺するという計画もたてたという。

軍団長は断った。
そして計画のとおり、暗殺された。
ある高位級要人の証言によれば毒酒を飲んだという。
参考で当時6軍団長はパルチザン出身ではなかったが、韓国動乱(朝鮮戦争)で大きい活躍を繰り広げた人だった。

軍団長程度が死亡すれば労働新聞2面程度に訃告が出る。

当時労働新聞も2面に6軍団長が長い間の持病で死亡したと発表した。

クーデター主謀者らが皆処刑されて、彼らが計画したクーデター内容は伝えられないでいる。

平壌攻撃計画をたてたという話、金正日国防委員長を誘引して、暗殺しようとしたという話、韓国軍と手を握って咸北を渡そうとしたなどの説が飛び交った。

参考ながら、1994年を前後した時期は北核問題で北米、南北間の対決が最高潮に達していた時期だった。

1993年3月北朝鮮は準戦時体制を宣言したし、米国は寧辺核爆撃を試みる時であった。

これから南北が統一されれば、軍保衛司令部捜査記録が公になり、歴史を作ろうとした彼らの堂々としていた志が明らかになるようになるだろう。

1994年初め6軍団でおかしな気配が感じられた時、金正日国防委の人が直ちに当時軍の軍需動員総局長だった金英春隊長だった。
金英春は派遣されるやいなや元応煕当時総参謀部保衛局長と手を握って、徹底して内密調査した。
早く緊急な火を消さなければならなかった。
政治委員など主導者らを、会議をするという口実で咸南イウォン飛行場に誘引した後、その場で逮捕した。
政治委員は疑いを抱いたがやむを得ず飛行場行って捕縛されて、平壌に連行されて行った。

数十人の軍人らが車から降りる彼を襲った時、彼は逮捕されることを覚悟していた表情という。

当時状況を見守った人は後日政治委員が“この連中~”といいながら怒鳴りつけて腹部をげんこつで殴りつけ、ずるずる引きずられて行ったと話した。

以後約10ケ月の間、軍団では徹底した内密調査が進行された、数多くの加担者らが追加で逮捕および処刑された。

北・咸鏡南道で大型列車事故発生 開かれた北朝鮮放送

鉄道事故は、北朝鮮では基本的に公開されない。インフラの弱さを如実に示すものだからだろう。大型事故というが何人程度死んだのか気になる。

・作成者チンソルラク記者
・作成日2011-04-01
・照会:1393
31日本放送局の内部消息筋が伝えたところによれば、去る29日咸鏡南道リウォン郡で貨物列車と旅客列車が衝突する大事故がさく烈して,多くの死傷者が発生した。

消息筋は“旅行に行ってきて直接目撃した”と話しながら,事故現場には“軍部隊の軍人らと保安機関の関係者らが一般人らの接近を許さず、死傷者の規模と具体的な事故原因は分からなかった。”と説明した。

彼は“多くの人々が死んだという話も飛び交って,多くの人々が病院にのせられて行ったという話が出ると見て被害はだいぶ大きいこと”と推測した。

参考だが、咸鏡南道リウオン郡は比較的列車事故が少なかった所だ。

咸鏡南道で以前列車事故が多かったのに概してその地域の傾斜が激しい,険しい自然地理的特徴が事故原因とあらわれたりした。
反面咸鏡南道リウォン郡は東海岸の小さな地域なのでその地域での電車事故は今回が初めてだ。
チンソルラク記者

2011年3月29日火曜日

北朝鮮に英語教育熱、ネイティブ教師招き実力向上 聯合

昔から関心のあった記事
http://japanese.yonhapnews.co.kr/northkorea/2011/03/23/0300000000AJP20110323001600882.HTML
こちらもご覧ください。
私の文章です。
http://gendaikorea.com/20101105_01_gomi.aspx

2011/03/23 11:13 KST文字拡大 文字縮小印刷
【ソウル23日聯合ニュース】北朝鮮が外国に英語ネイティブ教師の派遣を求めるなど、英語教育に熱を上げているようすだ。中学・高校、大学生の英語力も伸びていると伝えられた。

 米国の海外向け放送ボイス・オブ・アメリカ(VOA)が23日に報じたところによると、北朝鮮はカナダのキリスト教系援助団体「メノナイト・セントラル・コミッティー」に、平壌市内の高校に英語教師2人を派遣してほしいと要請した。選ばれた教師らは、研修を経て9月から来年7月まで北朝鮮に居住し、週5日、1日3~4時間授業を行う。また週に1~2回、北朝鮮の教師たちにも英語を教えることになるという。

 同団体は、北朝鮮からこうした要請があったのは初めてだとしながら、「北朝鮮当局は生徒たちの英会話能力を強化しようとしている」と伝えた。

 ニュージーランドの民間団体「NZ-DPRKソサエティー」も、7月から9月までの3カ月間、英才教育を行う金星学校、金星第1中学校で英語を教えるボランティアを募集している。

 米政府系放送局のラジオ自由アジア(RFA)によると、北朝鮮とニュージーランドの交流増進のため設立された同団体は、北朝鮮が外部世界との交流を拡大し国際社会の一員となるには英語教育が必須要素だと強調。金星第1中学校は、11~17歳の英才600人余りを教育している、北朝鮮のコンピューター秀才教育の特殊学校だと紹介している。

 同団体は、2006年と2008年にも北朝鮮にネイティブ英語教師を派遣した。当時、北朝鮮に赴いた教師は「生徒たちは英語で意味のある会話をすることを苦手としていた」と話したが、昨年訪朝した米国人は「平壌外国語大学出身の20代の女性が英語圏の国に行ったことがなないにもかかわらず、聞き取りやすい洗練された英語を使っていた」と伝えており、変化のほどがうかがえる。

 このほかにも北朝鮮からの要請を受け、英国政府傘下の英国文化院、米NGO「グローバルリソースサービス」などから派遣される英語ネイティブボランティアと英語教師が増え、北朝鮮の生徒・学生のTOEFLのスコアも目に見えて上がっている。

 TOEFLを主管するエデュケーショナル・テスティング・サービス(ETS)によると、2009年の世界平均点は80点、北朝鮮平均点は75点だった。北朝鮮の平均点は2007年が69点、2008年が72点と、3年間で6点上がっている。

mazi38@yna.co.kr

2011年3月28日月曜日

中国人らが北朝鮮を訪問する理由 開かれた北朝鮮放送

中国人は北朝鮮を格下の国とみて、満足しているようだ。この心理は指導者同士の間にもあるに違いない。その優越感と劣等感の絡み合いが、二つの国の関係をより見えにくく、複雑にしているといえそうだ。
http://www.fnkradio.com/


・作成者張ソングン記者
・作成日2011-03-28
・照会:244
外部と遮断された神秘な国、北朝鮮に行ってみたがる世界の人々の心は、単に北朝鮮内部に対する実情を直接目で見て、好奇心を解決しようとするところにある。

だが簡単に北朝鮮を訪問できる中国人の心は、北朝鮮に行けば西洋の百合のように、貴賓待遇を受けられる。これを北朝鮮を訪問するのを楽しみと考える。

28日最近北朝鮮を旅行した中国人は‘朝鮮中国’という中国ウェブサイトに自身が北朝鮮を訪問した印象を紹介した。

中国人は“北朝鮮に行けば私たちは貴賓待遇を受けながら、私たちをながめる北朝鮮住民たちの視線で私たちは西洋の百合になった感じと共に、強大国という待遇を受ける”と表現“これに私たちは北朝鮮を観光するのを楽しみと考えて、はなはだしきは中国に帰りたくないという考えになるようになる”と話した。

彼は“中国人らがいつも話すのがあるのに、北朝鮮は中国のかつてのように遅れた国家なので、外国人らは皆よく生きる人々で考え、最高級の待遇をしてもらい、気分が良い”と話した。

彼は“北朝鮮、新義州から平壌まで行く間、鉄道の両側と見られる農村の家庭の姿は非常に美しかったのに、すべての建物は鉄道と遠く離れていて、本物なのかにせ物なのか区別できなかったし、建物には人々の姿が見られなかった”と説明した。
彼はまた“北朝鮮で貴賓待遇を受けたことは良かったが携帯電話を持って行くことができないこと、北朝鮮住民たちに近けないのが、とても不便だった”とし“当局の厳格な監視によってホテルに戻っては外にも出て行けなかった”と話した。
引き続き“中国に戻る時には北朝鮮税関では携帯して行ったカメラを検閲するのに、良くない北朝鮮内の姿を撮影した場合は皆削除される”と付け加えた。
張ソングン記者nihao5533@hanmail.net

2011年3月27日日曜日

英ユーデン大使"平壌では日大地震二日間分からない" 聯合ニュース

最近北朝鮮を訪問した英国大使の旅行記。情報統制が厳しいが、コンピュータ機器はかなり出回っていたというのがおもしろい。

https://blogs.fco.gov.uk/roller/uden/

(ソウル=聯合ニュース) "北朝鮮では周辺の人々が日本大地震の便りを三日後にでも分かるほど言論統制が激しかった。"

大地震が日本東北部地域を強打した11日、3泊4日日程で北朝鮮を訪問したマーティン ユーデン駐韓英国ユーデン大使は27日聯合ニュースに伝えた北朝鮮訪問所感文で"13日まで北朝鮮ユーデン大使館の通訳官や現地の英国人教師たちも日本で何が起きたのか知らなかった"として北朝鮮内社会統制の断面を知らせた。
北朝鮮は日本大地震が発生して一日が去る12日朝鮮中央通信を通して、初めて報道したのに続き朝鮮中央放送など対内媒体は13日から本格的に伝え始めた。
去る2008年に続き2番目で北朝鮮を訪問したユーデン大使は14日まで四日間平壌と元山を視察したし、市場の姿と現地住民の姿などを目撃して戻って、北朝鮮訪問所感文に盛り込んだ
。
ユーデン大使は"初めての訪問の時は市場で相当の量の牛肉と豚肉が販売されていたのに今回は牛肉を全くなかった、少量の豚肉だけあった"として"ジャガイモ、ニンジン、野菜は多かったが緑色野菜はほとんど探せなかった"と伝えた。

また2008年北朝鮮訪問当時には市場に若干のコンピュータ周辺機器があっただけだったのに今回は携帯用保存装置とデジタル カメラなど多様な種類の中国産製品を見たたと紹介した。

彼は"平壌から元山に行く途中、野原に数千名からなる大規模な人の集団が仕事をしていた。ただ、トラクターはせいぜい10台ほどに過ぎなかった"として"これは住民多数が途方もない肉体労働に苦しめられていることを示唆すること"と伝えることもした。

ユーデン大使は長文の北朝鮮訪問記を終えながら"(私たちが)北朝鮮官僚らを敵対視しないでいることを見せて機会がついた通り北朝鮮住民たちに外界の実際の姿を見せるための代案を模索してみる必要がある"と強調した。

2008年2月ソウルで赴任したユーデン大使は韓国だけで3番目勤務をしている'韓国通'に選ばれる。

ロンデデハククイーンメリー大学で法律を専攻した後、弁護士生活を経て、1977年外交官で入門して以来韓国、日本、ユーゴスラビア、アルバニア公館とヨーロッパ安保協力会の(CSCE)、英国貿易投資庁などの地で仕事をした。

以前に韓国勤務を終えて英国に帰って、2003年'韓国で送った時間'(Times Past in Korea)を出したし、膨大な量の韓国関連書籍を収集して、保有している。

ユーデン大使は北朝鮮訪問所感文を彼の個人ブログにも上げた。

2011年3月24日木曜日

北朝鮮が中国への依存度高める 京郷新聞


中朝貿易関連の記事。中国への依存度が高まり、南北統一の支障になるという分析。中国は南北統一をそう望んでいないので仕方ないだろう。

北朝鮮経済の中国隷属化現象が尋常でない。

北朝鮮経済の中国依存度がますます高まっているからだ。
中国の対北朝鮮影響力を牽制してきた南北経済協力が現政権の対北朝鮮強硬策で大きく衰退したのも、このような流れを加速化させている。

三星経済研究所と対外経済政策研究員などによれば2009年北朝鮮の対外貿易(南北経済協力含む)で中国が占める比重は52.6%に達した。

北朝鮮の対外貿易が特定国家に50%以上依存したのは、1990年旧ソ連以後初めての出来事だ。
中国の対北朝鮮無償援助規模も2002年1597万ドル,2004年1456万ドル,2006年3736万ドルから2007年から2010年まで4年の間は年平均4200万ドルに増えた。

また北朝鮮に投資される海外資本の90%以上を中国が占めていると分析された。
昨年1~11月北・中交易額は30億6124万ドルですでに史上最大規模だった2008年交易額を越えた。
北朝鮮が中国から輸入する品目は原油など鉱物性生産品の比重が最も大きい。

輸出は石炭と鉄鉱石などが主流を占めている。
中国依存度が大きくなりながら,北朝鮮の産業生産はエネルギー,設備および部品を中国に支えなければならない構造に変えている。

特に中国の対北朝鮮直接投資が資源とインフラ分野に集中しているという点は憂慮するに値する。

中国は再び,鉄道のようなインフラ建設を支援して採堀権を得る方式で北朝鮮地下資源を事実上、一気に手にするする計画だ。
最近5年の間中国は北朝鮮内20ケ所余りの無煙炭,金,銀,同,鉄,亜鉛,モリブデン鉱山と投資開発および運営権,採堀権契約を結んだと知らされた。

中国が事実上北朝鮮の生命の綱の役割をしているのは核問題を囲んだ国際制裁と南北経済協力縮小が主要原因だ。
中国製品の価格競争力,有利な地理的条件,国境貿易に対する中国の税制減免恩恵なども北朝鮮の対中依存度を高めている。
もちろん北朝鮮の劣悪な商品競争力,貧弱な社会間接資本施設などで中国以外の他の国で貿易船を多角化するのに根本的な限界がある。

一部では中国が東北3省開発を通して,意図的に北朝鮮を自国経済圏に編入させて,東北4省を作ろうとする計画を稼動しているという疑惑も集めている。

対外経済政策研究員趙明哲博士は“北・中経済協力拡大は統一過程で中国の影響力拡大,韓国の影響力弱化を招いて,南北経済統合と韓国主導の統一に障害になる素地がある”と指摘した。

最近北・中経済関係中最も眼に触れるのは‘長吉図開発’だ。
中国としてはこのプロジェクトの成功のために北朝鮮情勢の安定と羅津港開発などが必要だから対北朝鮮投資を当分引続き拡大すると予想される。

中国は境界地域に多様な経済協力拠点らを開設して平壌や清津,南浦をはじめとする産業都市地域にも企業進出を奨励している。

北朝鮮は自国経済の‘中国隷属化’診断に相当な拒否感を持っていると分かった。

北朝鮮にこのような憂慮を伝達すれば北朝鮮政権の自主性を引き降ろそうとする不純な試みとし,強く反論するということだ。

北朝鮮事情に明るいある経済学者は“資本力が不足し、かつ技術が後れた国は資本と商品を輸出する方法がないから資源輸出が避けられず,このような開発モデルが考えられないことでもない”として“北朝鮮側は‘地下資源を製錬したり商品化させて,付加価値を創り出そうとする努力をたくさん傾けるなど合理的な輸出方式を研究している’と反論する”と伝えた。
国内でも北・中経済密着を北朝鮮の‘東北4省化’でながめるのは問題があるという見解がある。
北・中経済協力と南北経済協力をゼロサムゲームとして見るよりは相互補完的でみるべきだということだ。
三星経済研究所は‘北・中経済密着の背景と示唆する点’報告書で“南北経済協力は発展させていくものの北・中経済協力が北朝鮮の変化と韓半島統一に寄与できるように韓・中関係を緊密にすることが重要だ”と指摘した。

昨年の南北貿易額、19億1000万ドル
2011/03/23 19:40 KST文字拡大 文字縮小印刷
【ソウル23日聯合ニュース】韓国貿易協会が23日に発表した報告書によると、昨年の南北貿易額は19億1000万ドル(約1543億8500万円)で、昨年の中朝貿易額(34億6000万ドル)の55%水準にとどまった。前年は中朝貿易額の64%水準だったが昨年は9ポイント落ち込んだ。

 南北貿易は、韓国海軍哨戒艦「天安」沈没事件が発生した昨年3月までは中朝貿易規模を上回るほど好調だった。しかし、同4月以降は、中朝貿易額は前月比で増加したが、南北貿易額は前月比で減少し、中朝貿易額を下回った。

 貿易協会関係者は「南北間の情勢悪化に伴い、南北貿易の低迷も続き、輸出入にも影響を与えた」と説明した。

 北朝鮮の韓国からの輸入額は8億7000万ドル、中国からの輸入額は22億7000万ドルで、大きな差が出た。韓国への輸出額は10億4000万ドル、中国への輸出額は11億9000万ドルだった。
http://japanese.yonhapnews.co.kr/economy/2011/03/23/0500000000AJP20110323005000882.HTML

原文はここ、クリックするとpdfをダウンロードできます。http://cfile205.uf.daum.net/attach/13047D1C4CA81CB00A8237
長吉図開発とは 

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