2011年4月6日水曜日

第六軍団はこうやって消えた その③ 東亜日報記者ブログより

この記事の前提には、北朝鮮の人事がある。これについての解説記事なので、引用しておく。
北朝鮮の軍の人事は、韓国との実戦というよりも、内部のクーデターを容赦なく取り締まってきた人間が評価されることが分かる。
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出典 http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2009/04/0904j0217-00002.htm
人民武力部長に金永春氏、総参謀長に李英鎬氏任命

 朝鮮中央通信によると11日、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長である金正日・朝鮮労働党中央軍事委員会委員長の名義による国防委員会、党中央軍事委員会の決定が発表された。

 朝鮮人民軍の金永春次帥が朝鮮民主主義人民共和国国防委員会人民武力部長に、朝鮮人民軍の李英鎬大将が朝鮮人民軍総参謀長に任命された。

[朝鮮新報 2009.2.17]

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以下は、記事の続き。


元応煕は総参謀部保安局長で人民武力部保衛司令官に昇進した後、金日成死亡以後1990年代末に行われた各種大粛清を主導した。
保衛司令部の権力は天を突き刺す勢いだった。

(韓国の)全斗煥時代の保安司(国軍保安司令部ーしばしば、最悪の人権弾圧機関として例に挙げられる)の威勢を凌駕しただろう。

はなはだしきは中央党幹部までも保衛司が内密調査し、数多くの幹部の首が飛んだ。
威勢をふるった保衛司令部は2002年に突然縮小された。

多分保衛司の権力が突出したため、金委員長が牽制したのだ。

そうでないとしても今は取り除くべきものはみな取り除いたとして、安定した権力委譲を成し遂げたと考えた金委員長が保衛司をこれ以上放置してはいけないと考えたとも見られる。

兎食狗烹(狡兎(こうと)死して=走狗(そうく)(=良狗(りようく))烹(に)らる。 史記(越王勾践世家)すばしこいうさぎが死ねば、猟犬は不要になって煮て食われる。敵国が滅びると、軍事に尽くした功臣はかえってじゃま者扱いされて殺されることのたとえ)という話が北朝鮮では、そのまま当てはまる。

半年以上執拗に空軍司令官を盗聴、監視し、ついに彼を反革命分子で粛清させた功労で金正日の目にとまり、成り上がった元応煕は、2004年5月65才という比較的若くして突然死んだ。

彼以外にも現在死んだり消えた人が多く、今保衛司の首脳陣の構成は1990年代末と全く違うという話もも伝えられる。

黄長燁前北朝鮮労働党秘書は昨年9月6軍団事件の収拾に当たった金英春を(金正日の義弟)張成沢が操縦したと明らかにした。
1994年当時張成沢の兄弟の張ソヌと張ソンギルは、各々北朝鮮軍大将と中将で、軍団長となっても不思議でない職位だったが、彼らを抜いて金英春がその地位に就いたのだ。

金英春に対する金委員長、または張成沢の信任が厚いことを語る。

これら6軍団事件中の多くの内容は、本記事により、韓国で初めて公開されるものだ。

筆者はこの内容を、当時北朝鮮軍保衛司令部最高位の将軍の子供の1人から聞いた。
そうやって金英春が人民武力部長となった。

韓国の国防長官で当たる地位である。

総参謀長に上がった李英鎬は平壌防御司令部(軍団級)司令官出身だ。

韓国とすれば首都防御司令部司令官である。

平壌防御司令部の任務中最も重要な任務は有事の際すなわちクーデターが発生すれば、金正日政権を守ることだ。

反面平壌防御司令部がクーデターを起こせば致命的だ。

したがって平壌防御司令部司令官は忠臣中の忠臣にならなければならない。
李英鎬は親衛隊の護衛局出身という証言もある。

結局北朝鮮は軍首脳部に最高の「クーデター鎮圧専門家」を任命したわけだ。

韓国のマスコミはは異口同音に、‘実戦にたけた軍人と彼らの表現するが内幕は、実戦よりは事実上クーデターを防ぐのに最も適任者である忠誠派を任命したといえる。

彼らを除いても北朝鮮には軍事作戦通は多い。

(続)

2011年4月5日火曜日

新豆満江大橋を建設へ 朝鮮日報

 こういう動きもあった。転載しておきます。いよいよ中国資本が北に入り始める。


 北朝鮮と中国は、昨年末に丹東と新義州を結ぶ「新鴨緑江大橋」の着工式を行ったのに続き、今年は豆満江(中国名:図們江)下流の琿春と咸鏡北道元汀里を結ぶ新豆満江大橋を建設する。中国はまた、琿春-羅津間の高速道路建設工事も今年3月から本格化する計画で、北朝鮮の羅先(羅津・先鋒)経済特区を中心とした中朝経済協力に必要なインフラが、今年中に大幅に拡充される見通しだ。

 琿春の地方紙・図們江報は27日付で「琿春市当局が今年、新図們江大橋と琿春-羅津高速道路建設に総額2億1225万元(約26億7000万円)の予算を投入することにした」と報じた。具体的な着工時期は明らかにされていない。同紙によると、両プロジェクトは昨年8月、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記が訪中した際、中朝首脳会談で合意したものだという。
 琿春の圏河税関と北朝鮮側の元汀里税関を結ぶ豆満江下流の中朝国境地帯は、丹東-新義州と並び中朝両国の主要交易ルートの一つ。ここから直線距離で約50キロの地点に羅津港がある。両国の税関の間には、1936年に建設された全長500メートルの豆満江鉄橋があるが、老朽化している上、幅6.6メートルと狭いため、中国側は新たな橋の建設に向け、10年以上前から北朝鮮側を説得してきた。

 新豆満江大橋は、従来の鉄橋からおよそ100メートルほど離れた地点に建設されるという。琿春市によると、建設費は6225万元(約7億8000万円)。橋を経由して北朝鮮側の羅津港へ通じる高速道路も新たに建設される。同地域には現在、山岳地帯を経由して羅津に向かう全長約90キロの道路があるが、距離が長い上に舗装されていないため、輸送量の増加に対応できない状況だ。

新たに建設される高速道路は、琿春-羅津を直線で結ぶ全長53.5キロの区間で、琿春市は1億5000万元(約18億9000万円)の予算を計上している。区間内の山岳地帯には2本のトンネルを建設する。同市交通局の付忠源局長は「図們江地域の国際化に向けた交通環境の確保が、今年の重要業務になるだろう」と話した。

 新豆満江大橋と新たな高速道路の建設をめぐっては「有事の際に中国軍の進入ルートになり得る」との理由で、北朝鮮がこれまで消極的な態度を示していたが、羅先特区の活性化のために同意したという。ロシア・ナホトカにある北朝鮮総領事館は今月中旬、ロシア沿海地方の立法会議に羅先特区への投資を促すとともに「中朝両国は、新たな橋の建設や琿春-羅津間の高速道路を共同で建設することにした」と説明した。

 延辺大のユン・スンヒョン教授は「中国は今月初め、北朝鮮の羅先港経由で初めて東北地方の石炭を中国南部に輸送したが、インフラが未整備のため苦労した。二つのプロジェクトが完成すれば、豆満江流域での中朝経済協力が加速するだろう」と語った。

北京=崔有植(チェ・ユシク)特派員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

http://www.near21.jp/kan/center/publication/journal/68/nomura.pdf

http://www.eastasia.jp/Wondongwook.pdf

2011年4月4日月曜日

第六軍団はこうやって消えた その② 東亜日報記者ブログより

6軍団だけでなく咸鏡北道担当組織秘書など軍将軍らと結託した党、行政幹部らも逮捕された。
彼らは苛酷に処断され、家族らは政治犯収容所に送られた。
疑惑がもたれた数百人の軍官らが逮捕および処刑されたこと。他にも、クーデター試みを全く知らなかった初級軍官らも軍服を脱がされ除隊処分となった。

除隊期間がわずかに残った古参兵士たちも除隊されて、炭鉱など辺境地に配置された。

反逆の種を完全に除去して他の部隊にうわさが広がるのを徹底的に遮断するという意図であった。

わけも分からないまま除隊処分となり、辺境地に送られた彼らは単に6軍団所属であったという理由で人生が完全に変わったのだ。
翌年1月から軍団傘下3個現役師団が、勤務条件がよくない江原道で、夜ごと列車にのせられて、移動した。
そして反逆の代名詞になった6軍団という名前は消えた。

6軍団は9軍団で新しく改編されたのだ。
クーデター粛清と6軍団整理がある程度決着がつくと、金英春は大きく昇進した。
1995年9月金英春はそうそうたる先輩らを抜いて副元帥の肩書と共に総参謀長(韓国なら参謀総長)に上がる。
2000年には北朝鮮共和国英雄称号まで受けた。
元応煕は総参謀部保安局長で、人民武力部保衛司令官に昇進した後、金日成死亡以後1990年代末に形成された各種大粛清を主導した。

2011年4月3日日曜日

第六軍団はこうやって消えた その① 東亜日報記者ブログより

出典 http://blog.donga.com/nambukstory/archives/167
関連日本語記事 http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2009021361948

韓国の東亜日報には、北朝鮮出身の記者がおり、なかなか文章がうまい。評判になっている彼の本を韓国で買ってきた。やさしい韓国語でよみやすい。しかも原文は彼の記者ブログ内にあり読むこともできる。


その中で第6軍団のクーデターの話を訳してみる。
この記事の一部は、東亜日報日本語版に掲載されている。
1994年に起きたとされるこのクーデターを鎮圧した人間が、その後急速な出世を遂げたとある。こういう構図が、軍がクーデターを起こせない仕組みを作り上げている。長いので分割して掲載します。

クーデター試み北朝鮮軍6軍団、このように消えた。

チュ・ソンハ記者2009/02/13 7:54 pm

1994年1月2日、咸鏡北道に駐留している北朝鮮軍6軍団軍団長が急に死亡した。
この日咸北清津市に位置した6軍団司令部上空でヘリコプターらが轟音を響かせた。
人々はわけが分からなくて不安に震えた。

約1年後6軍団の政治委員をはじめとする将軍および高位軍官らが処刑され、軍団傘下師団らが江原道と咸鏡南道駐屯軍へと更迭された。
3代名物を選べと言うなら石、軍隊、風が選ばれる江原道で、石を10個投げれば8個が軍隊頭に落ちるという話がある江原道.
‘石江原道’と呼ばれるその土地で、6軍団に新しく配置されて、咸北に入ってくる軍人らは車で快哉を叫んだ。

“ワ~ここははまだ山にヤギが歩き回っているよ…”

もちろん軍人精神でなく‘泥棒精神’に透徹した江原道軍人らが入ってきた後、咸北野山らでヤギと羊たちが消えて個人家らで家畜らが容赦なく消えた。
咸北の人々は苦しんだ。

“以前にも苦労したがそれは何でもなかったね…今度は馬賊団が入ってきたよ。”
2時ぐらい北朝鮮には噂が飛び始めた。

6軍団将軍らがクーデターを起こしたということだ。
うわさはこうだった。

6軍団政治委員(中将)がクーデターを夢見て同志を糾合したという。
軍団保衛部長も政治委員と意気投合した。

軍団長だけ残った。

北朝鮮軍団を動かそうとするなら武力統率権を掌握した軍団長、政治責任者の2人者政治委員、軍団監視を担当した保衛部長このように3人が同意を集めなければならない。

3権分立が徹底していて他の国のように軍司令官の単独の決心によってでは、軍が動けない構造だ。

このために北朝鮮ではクーデターの可能性がそれだけ低いのだ。

彼らは軍団長を引き込むための機会で1994年正月(旧正月のこと)に定めた。

上官を訪ねて行って、新年挨拶ができる正月は将軍らが自然に一ヶ所に集まれる機会でもあった。

彼らは軍団長の意志を打診し、合流を断った場合暗殺するという計画もたてたという。

軍団長は断った。
そして計画のとおり、暗殺された。
ある高位級要人の証言によれば毒酒を飲んだという。
参考で当時6軍団長はパルチザン出身ではなかったが、韓国動乱(朝鮮戦争)で大きい活躍を繰り広げた人だった。

軍団長程度が死亡すれば労働新聞2面程度に訃告が出る。

当時労働新聞も2面に6軍団長が長い間の持病で死亡したと発表した。

クーデター主謀者らが皆処刑されて、彼らが計画したクーデター内容は伝えられないでいる。

平壌攻撃計画をたてたという話、金正日国防委員長を誘引して、暗殺しようとしたという話、韓国軍と手を握って咸北を渡そうとしたなどの説が飛び交った。

参考ながら、1994年を前後した時期は北核問題で北米、南北間の対決が最高潮に達していた時期だった。

1993年3月北朝鮮は準戦時体制を宣言したし、米国は寧辺核爆撃を試みる時であった。

これから南北が統一されれば、軍保衛司令部捜査記録が公になり、歴史を作ろうとした彼らの堂々としていた志が明らかになるようになるだろう。

1994年初め6軍団でおかしな気配が感じられた時、金正日国防委の人が直ちに当時軍の軍需動員総局長だった金英春隊長だった。
金英春は派遣されるやいなや元応煕当時総参謀部保衛局長と手を握って、徹底して内密調査した。
早く緊急な火を消さなければならなかった。
政治委員など主導者らを、会議をするという口実で咸南イウォン飛行場に誘引した後、その場で逮捕した。
政治委員は疑いを抱いたがやむを得ず飛行場行って捕縛されて、平壌に連行されて行った。

数十人の軍人らが車から降りる彼を襲った時、彼は逮捕されることを覚悟していた表情という。

当時状況を見守った人は後日政治委員が“この連中~”といいながら怒鳴りつけて腹部をげんこつで殴りつけ、ずるずる引きずられて行ったと話した。

以後約10ケ月の間、軍団では徹底した内密調査が進行された、数多くの加担者らが追加で逮捕および処刑された。

北・咸鏡南道で大型列車事故発生 開かれた北朝鮮放送

鉄道事故は、北朝鮮では基本的に公開されない。インフラの弱さを如実に示すものだからだろう。大型事故というが何人程度死んだのか気になる。

・作成者チンソルラク記者
・作成日2011-04-01
・照会:1393
31日本放送局の内部消息筋が伝えたところによれば、去る29日咸鏡南道リウォン郡で貨物列車と旅客列車が衝突する大事故がさく烈して,多くの死傷者が発生した。

消息筋は“旅行に行ってきて直接目撃した”と話しながら,事故現場には“軍部隊の軍人らと保安機関の関係者らが一般人らの接近を許さず、死傷者の規模と具体的な事故原因は分からなかった。”と説明した。

彼は“多くの人々が死んだという話も飛び交って,多くの人々が病院にのせられて行ったという話が出ると見て被害はだいぶ大きいこと”と推測した。

参考だが、咸鏡南道リウオン郡は比較的列車事故が少なかった所だ。

咸鏡南道で以前列車事故が多かったのに概してその地域の傾斜が激しい,険しい自然地理的特徴が事故原因とあらわれたりした。
反面咸鏡南道リウォン郡は東海岸の小さな地域なのでその地域での電車事故は今回が初めてだ。
チンソルラク記者

2011年3月29日火曜日

北朝鮮に英語教育熱、ネイティブ教師招き実力向上 聯合

昔から関心のあった記事
http://japanese.yonhapnews.co.kr/northkorea/2011/03/23/0300000000AJP20110323001600882.HTML
こちらもご覧ください。
私の文章です。
http://gendaikorea.com/20101105_01_gomi.aspx

2011/03/23 11:13 KST文字拡大 文字縮小印刷
【ソウル23日聯合ニュース】北朝鮮が外国に英語ネイティブ教師の派遣を求めるなど、英語教育に熱を上げているようすだ。中学・高校、大学生の英語力も伸びていると伝えられた。

 米国の海外向け放送ボイス・オブ・アメリカ(VOA)が23日に報じたところによると、北朝鮮はカナダのキリスト教系援助団体「メノナイト・セントラル・コミッティー」に、平壌市内の高校に英語教師2人を派遣してほしいと要請した。選ばれた教師らは、研修を経て9月から来年7月まで北朝鮮に居住し、週5日、1日3~4時間授業を行う。また週に1~2回、北朝鮮の教師たちにも英語を教えることになるという。

 同団体は、北朝鮮からこうした要請があったのは初めてだとしながら、「北朝鮮当局は生徒たちの英会話能力を強化しようとしている」と伝えた。

 ニュージーランドの民間団体「NZ-DPRKソサエティー」も、7月から9月までの3カ月間、英才教育を行う金星学校、金星第1中学校で英語を教えるボランティアを募集している。

 米政府系放送局のラジオ自由アジア(RFA)によると、北朝鮮とニュージーランドの交流増進のため設立された同団体は、北朝鮮が外部世界との交流を拡大し国際社会の一員となるには英語教育が必須要素だと強調。金星第1中学校は、11~17歳の英才600人余りを教育している、北朝鮮のコンピューター秀才教育の特殊学校だと紹介している。

 同団体は、2006年と2008年にも北朝鮮にネイティブ英語教師を派遣した。当時、北朝鮮に赴いた教師は「生徒たちは英語で意味のある会話をすることを苦手としていた」と話したが、昨年訪朝した米国人は「平壌外国語大学出身の20代の女性が英語圏の国に行ったことがなないにもかかわらず、聞き取りやすい洗練された英語を使っていた」と伝えており、変化のほどがうかがえる。

 このほかにも北朝鮮からの要請を受け、英国政府傘下の英国文化院、米NGO「グローバルリソースサービス」などから派遣される英語ネイティブボランティアと英語教師が増え、北朝鮮の生徒・学生のTOEFLのスコアも目に見えて上がっている。

 TOEFLを主管するエデュケーショナル・テスティング・サービス(ETS)によると、2009年の世界平均点は80点、北朝鮮平均点は75点だった。北朝鮮の平均点は2007年が69点、2008年が72点と、3年間で6点上がっている。

mazi38@yna.co.kr

2011年3月28日月曜日

中国人らが北朝鮮を訪問する理由 開かれた北朝鮮放送

中国人は北朝鮮を格下の国とみて、満足しているようだ。この心理は指導者同士の間にもあるに違いない。その優越感と劣等感の絡み合いが、二つの国の関係をより見えにくく、複雑にしているといえそうだ。
http://www.fnkradio.com/


・作成者張ソングン記者
・作成日2011-03-28
・照会:244
外部と遮断された神秘な国、北朝鮮に行ってみたがる世界の人々の心は、単に北朝鮮内部に対する実情を直接目で見て、好奇心を解決しようとするところにある。

だが簡単に北朝鮮を訪問できる中国人の心は、北朝鮮に行けば西洋の百合のように、貴賓待遇を受けられる。これを北朝鮮を訪問するのを楽しみと考える。

28日最近北朝鮮を旅行した中国人は‘朝鮮中国’という中国ウェブサイトに自身が北朝鮮を訪問した印象を紹介した。

中国人は“北朝鮮に行けば私たちは貴賓待遇を受けながら、私たちをながめる北朝鮮住民たちの視線で私たちは西洋の百合になった感じと共に、強大国という待遇を受ける”と表現“これに私たちは北朝鮮を観光するのを楽しみと考えて、はなはだしきは中国に帰りたくないという考えになるようになる”と話した。

彼は“中国人らがいつも話すのがあるのに、北朝鮮は中国のかつてのように遅れた国家なので、外国人らは皆よく生きる人々で考え、最高級の待遇をしてもらい、気分が良い”と話した。

彼は“北朝鮮、新義州から平壌まで行く間、鉄道の両側と見られる農村の家庭の姿は非常に美しかったのに、すべての建物は鉄道と遠く離れていて、本物なのかにせ物なのか区別できなかったし、建物には人々の姿が見られなかった”と説明した。
彼はまた“北朝鮮で貴賓待遇を受けたことは良かったが携帯電話を持って行くことができないこと、北朝鮮住民たちに近けないのが、とても不便だった”とし“当局の厳格な監視によってホテルに戻っては外にも出て行けなかった”と話した。
引き続き“中国に戻る時には北朝鮮税関では携帯して行ったカメラを検閲するのに、良くない北朝鮮内の姿を撮影した場合は皆削除される”と付け加えた。
張ソングン記者nihao5533@hanmail.net

注目の投稿

金正恩朝鮮労働党委員長新年辞

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/14970  転載です <参考資料>  朝鮮労働党機関紙『労働新聞』は、毎年1月3日頃に「新年の辞」の基本体系を理解するための要旨を掲載している。参考までに、その全文翻訳を添付する。 「今年の新年の辞の基本内容...

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