2010年9月5日日曜日

党代表者会はいつから?

重要な会議とされながら開催日さえ不明。こまった国である。9月9日は建国記念日なので、それの前の数日と考えられているが、この報道をみると、10日にも開かれるという説のようだ。

以下は聯合通信の報道。

北媒体、党代表会 報道'まもなく'‥開幕日'五里霧中'

(ソウル=聯合ニュース)キム・ソンジン記者= 44年ぶりに招集予告された北朝鮮労働党の第3次代表者会が今週開かれることが有力視されるが北朝鮮媒体らは行事参加者らの平壌集結など予備動向を全く報道せず、相変らず行事開幕日 自体が'五里霧中'の状態だ。

北朝鮮朝鮮中央通信と中央放送、平壌放送は4日午前今回の党代表者会の事前手続きで咸鏡南道と咸鏡北道、江原道、羅鮮市の党代表会が開かれたと明らかにした。 先立って北朝鮮媒体らは平壌直轄市と残り6道、主要都市らの党代表会開催の便りを別々に伝えたことがある。

だが、北朝鮮媒体らはその後の5日午後9時現在まで党代表者会開幕に先立ち予想される参加者らの平壌集結、行事登録、万寿台金日成銅像参拝なども報道しなかった。

こういう手続きが実際にまだ進行されなかったとすれば現実的に党代表者会の6日開幕は難しく、今週に開いても中盤や後半へ渡る可能性が高いと観測される。

こうした中北朝鮮内に通信員を派遣している韓国の対北朝鮮媒体らが伝える内容も大きく交錯して混乱を加えた。

北朝鮮短波ラジオ'開かれた北朝鮮放送'は5日北朝鮮当局が本来計画を遅らせて来る9~10日2日間党代表者会を開催する予定だと明らかにした。

この放送は複数の北朝鮮'党および軍消息筋'を引用、"当初6日とされた党代表者会本会議開幕が9日で遅れること"としながら"9.9節(北朝鮮政権樹立記念日)行事とともに党代表自晦本会議を開いて10日まで2日間進行する予定"と話した。

この放送は行事の延期背景と関連、"先月26~30日(キム・ジョンイル国防委員長の)中国訪問が急で差し迫るように企画されて進行されたようだ"としながら"合わせて北朝鮮あちこちの洪水被害で(地域党代表らの)移動に支障が生じたし各地域で解決しなければならない問題も多くなった"と説明した。

放送は引き続き"行事に参加する全国各地の代表らは7日から平壌に集結して8日まで登録を完了する予定であり一部海外居住代表らは6日頃北朝鮮に入国するだろう"と付け加えた。

一方、同じラジオ局の'自由北朝鮮放送'は北朝鮮の党代表者会がすでに4日始まって参加者らが登録手続きを踏んだし本会議は6~7日2日間開かれると伝えた。

この放送は平壌、平川区域住民の伝言を引用、"今回の党代表者会には全国の党幹部と情熱党員らはもちろん海外大使館働き手らも大挙参加する"としながら"党行事に海外大使館働き手らをこのように呼び入れるのは前例がない。今回の行事がそれだけ重要だという意味"と付け加えた。

sungjin@yna.co.kr

2010年8月31日火曜日

米国政府が対北朝鮮政策で迷い ニューヨークタイムズ

圧力だけでは動かないということは、6カ国協議にも応じるという流れなのかもしれない。

中国は国連を通じた制裁以外には応じない姿勢だが、米国の金融制裁は狙いが定まっており、豊かな内部情報に基づいていると思われ、効果はあるだろう。

 ニューヨークタイムズ(電子版)は27日、クリントン米国務長官が招集した対朝鮮政策評価会議に出席した国務省幹部や外交専門家たちの言葉を引用しながら、米国が今後、断固とした態度をとりつつ朝鮮に関与(engagement)または介入、包容する「新しい試み」にも重きをおき始めたと伝えた。

 特に、米国が金正日国防委員長とどのような形式であれ接触を再開しなくてはならないという点について強硬派たちが同意を示したと報じた。一方、クリントン長官は、「天安」艦事件をめぐる厳格な経済制裁と米「韓」合同軍事演習等の現在の対朝鮮強硬政策について「圧力だけでは朝鮮を動かすのに十分ではない」という結論を下したと伝えた。

 同紙によると、会議ではスティーブン・ボスワース対朝鮮政策特別代表が新しい試みを主張したほか、クリントン政権時代に国務省朝鮮担当官を歴任したジョエル・ウィット氏が「問題は我々が今、何をすべきかである。その答えは関係を再開することであり、(米国の)道具箱にはそれ以外の道具はない」と述べた。しかし現政府の国家安全保障会議(NSC)アジア担当補佐官ジェフリー・ベーダー氏は「我々は既存の方式を変えたくはない、過去の経験を繰り返さないことを望む」等と慎重な姿勢を崩さなかったという。

 同紙によると、米政府関係者の中には米国は圧力戦術を放棄しないであろうし、それを強化する可能性もあるという意見があるが、タカ派の専門家までもが、オバマ政権の対朝鮮政策を批判し、対話がなければ戦争の危険性が高まることを憂慮しながら、米国の制裁で朝鮮が核プログラムと対南敵対行為を放棄したことは殆どないと主張したという。また、当局者の中には、金正日委員長の健康悪化説と後継問題等がある状況で、朝鮮での政治的変化が起こるまで米国が待てると主張する者がいる反面、朝鮮との対立が深刻化すれば、接触の機会が少なくなると主張する者もいるという。

 さらに同紙は、オバマ政権が朝鮮に対する新しいアプローチを探る上で6者会談が有益であるという意見があるが、問題は会談の早期再開に反対する南朝鮮と日本を説得することであり、朝鮮が核武器の解体に同意するまで交渉しないというオバマ政府の非妥協的な態度であると指摘した。

11月の中間選挙まで焦りを見せながらも圧力一辺倒の対朝鮮政策を取らざるを得ないオバマ政権が、右往左往する政府内の意見をまとめあげ、選挙後に「対話路線」へと舵を切れるのか、今後の動向が注目される。(了)

2010年8月28日土曜日

中国ネチズンは、金正日総書記の訪中を冷笑 聯合

市民がこのくらい冷静に見ているのなら、政府関係者も心の中ではいろいろ考えているでしょう。

【北朝鮮】金正日訪中、中国ネチズン分析・冷笑交錯

 金正日(キム・ジョンイル)北朝鮮国防委員長の電撃的な中国訪問の便りは、中
国政府の沈黙にもかかわらず、現地ネチズンらの冷笑を買っている。

 中国政府は27日午前現在、金委員長の訪中事実に対して一切言及していない状
況。しかし、一部ネチズンは韓国マスコミを引用した自国媒体のインターネット
報道で、金委員長が5月に続き3カ月後に再訪した事実に接し、先を争って意見を
アップした。

 特に金委員長が吉林市を訪問したためか、中国のインターネットポータル「百
度」(www.baidu.com)の吉林市コミュニティには金委員長に対する書き込みが相
次いだ。

 ID「xiaotao4144」のネチズンが、「金正日が何のためにきたのだろうか」と
いう話題を投げ、あるネチズンは「韓米軍事訓練にどのように対応するのかを私
たち(中国)と議論するため」というコメントをアップした。

 他のネチズンは金委員長が前日、父親の金日成(キム・イルソン)主席の母校で
ある吉林市毓文中学校を訪問した事実を伝え聞くと、「金日成の毓文中学校記念
館を見て、金を借り、私たちが洪水にどのように対処するかを見にきたのだろう」
と書いた。

 また別のネチズンは、北朝鮮媒体が金委員長訪中前日の25日、「中国が北朝鮮
に緊急水害救護物資を支援するようにした」と報道した事実を紹介し、中国の対
北支援問題と連結させた。

 このように分析的な反応もあったが、中国若者たちの冷笑的な対北朝鮮認識を
のぞかせる“皮肉”も少なくなかった。

 あるネチズンは「金正日が、パパが昔使ったトイレを見にきたのだろう」と茶
化すと、他のネチズンは「米国と韓国が北朝鮮を攻撃しようとしているから、そ
れを避けて、ここへ来て数日休むためかも」と皮肉った。

 これに加えて「核原料を作るため」「朝鮮族冷麺を食べようと」「不老不死が
金を求めにきた」という茶めっけの混ざった反応も上がってきた。

 これに先立って、25日、毓文中学校学生200人が加入している「百度」でも、
インターネットカフェには「金委員長の訪問のおかげで、1日休校になった」と
いう書き込みも載っていた。<連合>

2010年8月27日金曜日

毓文中学校と金日成

 

 金正日総書記が来たというので一躍有名になったこの学校のことは、金日成回顧録に詳しく出ている。

昔読んで付箋が張ってあったのだが、すっかり忘れてしまっていた。

簡単に書いておこう。日本語版第1巻の161ページから記述は始まっている。

市内の新興層によって建てられた傾向のよい学校ということで選んだという。

当時の校長は、李光漢といい、天津南海大学で、周恩来首相の同級生だった人物だということが後になって分かる。

当時日本の軍警ににらまれていた朝鮮独立運動家は吉林に逃げ込んでいた。

ここで金日成は「マルクス・レーニンをさらに深く研究した」という。

また、吉林毓文中学校在学中の1927年8月27日、打倒帝国主義同盟(トゥドゥ)を、より大衆的な組織である反帝青年同盟に改編し、8月28日には朝鮮共産主義青年同盟を結成したという。

自伝には、こういう活動とあわせ、金日成が読書にいそしんだことが記述されている。

その後、日本と中国の反動軍閥が学生活動家を拘束、金日成も投獄される。そこで祖国の将来を思い、30年5月に釈放されたという。

金正日総書記は、吉林市の北山公園も訪ねている。ここでは週末に金日成がよく読書発表会が開いていたという。

どこまでが脚色かは不明だが、ここも中朝関係では欠かせない場所ということなのだろう。

 

http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:54fK-Lbp1MoJ:www.kcckp.net/ja/event/2010-08-15/article.php%3F1+%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%9D%A9%E5%91%BD%E3%81%AE%E9%80%B2%E8%B7%AF&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

 

祖国解放の偉業を成し遂げた不滅の業績

抗日大戦を勝利に導いて

1945年8月15日は、朝鮮人民が日帝の軍事占領を終わらせ、奪われた祖国を取り戻した民族再生の日である。

今日も朝鮮人民は、解放の万歳の声が全国を震撼させた歓喜のあの日を胸熱く振り返り、祖国解放の歴史的偉業を実現した民族の英雄金キム日イル成ソン主席に限りない感謝を贈っている。

意義深い朝鮮の解放65周年に際し、本編集部は金日成主席の抗日革命闘争史の概要を紹介する。

1.朝鮮革命の進路

祖国をよく知らねばならないという父の意を体し、11歳の幼い身で100里の道を歩いて祖国に帰った主席は、母の実家のある七谷の彰徳学校に編入してから2年後のある日、父がまた日本の警察に逮捕されたという知らせを受けた。

その日で万景台の生家に寄って一晩泊まり、身支度を整えて100里の旅に出た主席は、1925年2月3日、朝鮮が独立しなければ二度と帰るまいと固く誓いながら鴨緑江を渡った。

1926年6月、朝鮮の反日民族解放運動の卓越した指導者であり民族主義運動から無産革命への方向転換の先駆者であった父の金亨稷先生は、朝鮮国民会の事件で日本の警察に逮捕されたときの拷問と、その後また逮捕されて脱出するときにやられたひどい凍傷の後遺症、革命活動の過労によって32歳を一期に死去した。

主席は、父から「志遠」の思想と3大覚悟、同志獲得の思想、2挺の拳銃を遺産として譲り受けた。

その後、撫松第1優級小学校を卒業した主席は、父の知友たちの斡旋で1926年6月中旬、民族主義者が独立軍の幹部養成を目的に樺甸県に設立した軍事・政治学校である華成義塾に入学した。

義塾に入りはしたが、すぐそこの教育が気に入らなくなった。義塾での教育が民族主義思想と旧式の軍事教練だけであったからである。

主席は、革命の真理を探求しながら朝鮮革命の正しい道を模索した。

一方、民族主義運動に幻滅を抱いて真の革命の道を渇望する華成義塾の先進的な青年学生に革命的影響を与えるとともに、革命の道で生死をともにできる同志を一人二人と結束していった。

こうして1926年10月17日には樺甸で打倒帝国主義同盟(略称「トゥ・ドゥ」)を結成した。これは朝鮮革命の新たな出発を告げる歴史的な宣言であった。

主席は、1927年1月から吉林毓文中学校に籍を置いて革命活動を繰り広げた。

主席は、『共産党宣言』や『資本論』など数多くの革命的な図書を耽読しながら先進思想を深く研究する一方、秘密読書グループをつくり、討論会、講演会、雄弁大会などを催して青年学生のあいだに先進思想を普及した。

これとともに、彼らを革命組織にしっかり結束する活動も精力的に推し進めた。

まず、合法的団体として朝鮮人吉林少年会をつくり、朝鮮人旅吉学友会を朝鮮人留吉学友会に改編し、打倒帝国主義同盟をより大衆的な組織である反帝青年同盟に改編して広範な青年を結束した。そして、これらの組織を統一的に指導する前衛組織である朝鮮共産主義青年同盟を結成した。

主席は、吉林市内と周辺の農村地域はもちろんのこと、広い地域に組織網を急速に拡大していった。

主席は、吉林毓文中学校内の反動的な教員に反対し、民主的秩序を固守するための同盟休校、1928年秋の吉会線鉄道敷設反対闘争と日本商品排斥闘争を組織し勝利に導いて隊伍を実践闘争のなかで鍛えた。

1929年秋、主席は中国の反動警察に逮捕され、吉林監獄で鉄窓生活を送った。

主席は身はたとえ獄中にあっても、一方では囚人はもちろん看守まで教育し、外部の革命組織に対する指導を続け、もう一方では朝鮮革命の進路を模索した。

1930年5月初めに出獄した主席は、分派・事大主義者の起こした極左冒険主義的な5・30暴動の後遺症によって破壊された革命組織を立て直し、6月30日には卡倫で共青および反帝青年同盟の幹部会議を招集し、『朝鮮革命の進路』という歴史的な報告を行った。

主席は報告で、朝鮮人民の反日民族解放運動が失敗を繰り返している主な原因は、民族主義者や初期共産主義者が、上層部の幾人かが集まって空論に明け暮れ、実際の革命闘争に人民大衆を奮い立たせず、自国人民の力を信じず外部勢力に期待をかけていることにあると辛辣に分析、総括し、朝鮮の革命家は人民大衆を革命の主人と見なす確固たる立場と態度をもつべきであると指摘した。

また、朝鮮革命の性格と基本任務、動力と対象を独創的に規定し、それに基づいて抗日武装闘争路線と反日民族統一戦線路線、党創立方針を提示した。

このときから朝鮮革命は、金日成主席の示した主体的な革命路線と科学的な戦略・戦術に基づいて進められる新たな発展の段階に入ることになった。

主席は、遅滞なく卡倫会議の方針を貫徹するための実践闘争に移った。

7月3日、卡倫で最初の党組織である建設同志社を結成し、青年前衛を各地に派遣して基層党組織を設けるようにした。

7月6日には伊通県孤楡樹で初の革命的武装組織である朝鮮革命軍を結成し、武装グループを朝鮮国内と満州の各地に派遣して、活動拠点をつくり、大衆を革命化し、武装闘争の経験を積み、武装隊伍を結成するための準備を整えるようにした。

この頃から革命同志と人民は、主席を金日成同志と呼ぶようになった。

初めは、朝鮮人民を暗闇から解放の夜明け道に導く明星になってほしいという意味で「一星同志」または「ハンビョル同志」と呼び、後には朝鮮の明るい太陽になってほしいという念願から「金日成同志」と呼ぶようになった。

2010年8月24日火曜日

水害、中朝で大きな差

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現在中朝国境の丹東では、鴨緑江が氾濫して大きな被害が出ている。ところが、北朝鮮の方が被害が大きいという。どうしてか。自由ラジオ放送が伝えている・

'鴨緑江氾濫'新義州-丹東被害大きい差
中国-金ジュンノ xallsl@rfa.org
2010-08-23

今回の鴨緑江氾濫でこの水害防止壁上段2mの下まで水が満ちて上がったが丹東市内での川の水流入を遮断することができた。


MC:去る21日明け方鴨緑江近隣地域におりた暴雨によって鴨緑江が氾濫したために川を間に置いた北朝鮮と中国の接境都市新義州と中国丹東が皆大きい被害をこうむりました。
しかし川一つを間に置いた二つの接境都市の被害状況は大きい違いが生じているといいます。
どんな理由に現地中国の金ジュンノ特派員がお伝えします。

鴨緑江河口に位置した北朝鮮と中国の二つの接境都市新義州と丹東が去る21日(土曜日)明け方鴨緑江の氾濫で途方もない被害を体験しています。


1995年鴨緑江の氾濫で二つの都市が水に浸って以来15年ぶり(一説には20年ぶり)にまた大規模浸水被害にあったのです。
北朝鮮の朝鮮中央通信

は去る21日“大水で新義州市の道は完全に水に浸って,1階建の建物らは屋根まで水につかった”と伝えました。

 朝鮮中央通信はまた“中国の秒当たり5,300立方Mの水が鴨緑江に押し寄せて,川の水が堤防を越えて,新義州市内にが押し寄せて,道路運行が麻痺して多くの対象らが被害をこうむった”と言及することによって新義州市内ほとんど大部分が水に浸ったことを示唆しました。


中国丹東に居住する北朝鮮出身華僑チャン某氏は“新義州駅と新義州税関をはじめとする新義州市内平屋大部分が水に浸ったという便りを新義州に住んでいる弟と電話通話しながら伝え聞いた”と自由アジア放送(RFA)に明らかにしました。


しかし新義州の向い側中国丹東は鴨緑江川辺の道路と川辺に位置した開発区と呼ばれる一部地域だけ浸水被害にあって,新義州と対照を見せています。


中国丹東時がこのように鴨緑江が氾濫したのに浸水地域が最小限で終わったことは鴨緑江氾濫に備えて,川辺について市街地を保護するように設置されている‘水害防止壁’おかげです。

実際に今回の鴨緑江氾濫でこの水害防止壁上段2mの下まで水が満ちて上がったが丹東市内での川の水流入を遮断できました。


今回の洪水から丹東市街地を守った一等功労者の水害防止壁は日帝強制支配期の時初めて設置されたものであり,新義州にも設置されていたと高齢の丹東市民らが証言します。

古くなったこの水害防止壁を中国丹東時は都市開発過程でより一層補完してメンテナンスするのに比べ北朝鮮,新義州市側はこれを撤去してしまったせいで鴨緑江が氾濫する場合対応無策になるほかはないと複数の中国消息筋が強調しました。


一方丹東時は鴨緑江が氾濫する直前の20日深夜12時前後を期して,水害防止壁外側川辺に位置したアパート住民とホテル宿泊客らを水害防止壁内側の市内で全員待避させて今日(23日,月)午前から車両と人々の通行許容を部分的に再開しました。

 

中企業が自由貿易区開発、8億ドル投資

北朝鮮はこのほど、中国との国境を流れる鴨緑江の中州で、中国・遼寧省丹東と接している威化島および黄金坪を自由貿易地区として開発するため、中国企業2社に50年ずつ貸し出す方式で開発権を与えたもようだ。

中国企業2社の投資規模は、威化島が3億米ドル、黄金坪が5億米ドル。具体的な企業名は明らかになっていないが、近々投資誘致説明会が開かれる予定だ。

北朝鮮が威化島と黄金坪を自由貿易地区として開発する背景には、昨年に実施した核実験による国際社会からの孤立や、デノミネーション(通貨単位切り下げ)の失敗により、混乱を極めている経済を建て直したいとの思惑がある。特に、威化島と黄金坪は対中国貿易の70%を占める丹東と近接していることから、経済を再び活性化させるには開放が必須だったとみられている。

■中国にもメリット

威化島と黄金坪の開放は、中国側にもメリットが大きい。昨年の温家宝首相の訪朝時に提起された、中国・丹東~北朝鮮・新義州~平壌と続く経済ベルト造成プロジェクトが一歩前進したことになるためだ。中国は吉林省・図們市~北朝鮮・清津間の鉄道補修など、北朝鮮との数々の建設案件に合意している。同国はこれを日本海側進出への足場としたい考え。また、北朝鮮の豊富な地下資源をいち早く確保できるなどのメリットも見出しているようだ。【聯合=23日】

 

平壌ー新義州高速道路 失敗か

http://www.cbs.co.kr/nocut/Show.asp?IDX=1523132

量-新義州高速道路投資誘致失敗...建設失敗に終わるようだ
"北1次的に新義州-安住間180km建設計画"
2010-07-10 09:21 アン・ユンソク論説委員

北朝鮮当局が昨年末から推進してきた平壌(ピョンヤン)-新義州間高速道路建設事業が投資誘致失敗で廃棄される危機に置かれていると分かった。


北朝鮮,新義州の一消息筋は8日,自由アジア放送で"去る5月初めに請負機関長会議で平壌-新義州高速道路建設のための突撃隊を募集すると知らせたが,道人民委員会建物に組織された平壌-新義州高速道路建設大臣が解任されて責任者でいた道路建設事業所支配人も本業に帰った"と伝えた。
貿易事業のため中国丹東に出ている平安北道貿易管理国のある幹部も自由アジア放送で"新義州-平壌高速道路は‘6.18突撃隊’と現地建設突撃隊を動員して,今年6月に着工して,2012年4月まで完工する計画だった"として"張成沢国防委員会副委員長が直接工事を責任を負ったことと理解している"と伝えた。


彼は"金正日国防委員長の中国訪問で平壌-新義州高速道路建設と羅津-清津間高速道路など北朝鮮の道路を高速道路に変えるのに必要な援助を得ようとしたが,中国側が羅津,先鋒市を100年期限で賃貸してくれることを要求しながら,両側の会談が決裂されたと理解している"”と伝えた。

2010年8月19日木曜日

朝鮮半島有事に中国が軍事対応の可能性、米国防総省

今回は翻訳なし。聯合通信の日本語版からの抜粋です。米国は朝鮮有事の際、一貫して中国が軍事行動を取る可能性があるとの見方をしている。実際はもうすこし慎重に行動するだろうし、この報告書も明確に書いているわけではないが、ぎりぎりの場面に来れば分からない。

8月18日9時27分配信 聯合ニュース(抜粋)

【ワシントン17日聯合ニュース】米国防総省は16日に議会に提出した中国軍事動向に関する年次報告書で、中国の地域的懸念のひとつに「朝鮮半島の混乱」を挙げ、北朝鮮の急変時や南北の軍事衝突など朝鮮半島有事には、中国が軍事的対応を取る可能性があると指摘した。


 報告書は、北朝鮮、南沙諸島、尖閣諸島(中国名:釣魚島)などの問題に触れ、中国の戦略を「域内安定最優先」と分析。その上で、海外資源へのアプローチが可視的に脅かされたり、朝鮮半島の混乱で域内安保力学が変化することがあれば、軍事的展開や配置状況の変更を実行することもあり得ると述べている。これは、混乱の水準により人民解放軍を中朝国境近くに移動させる、北朝鮮地域に進駐させるといった状況も包括する表現とみることができる。


 こうした分析は、「朝鮮半島の混乱」状況のひとつ、北朝鮮の急変時に、中国が人道的支援、治安維持、核兵器統制を名分に軍事的に介入することがあり得るという専門家の見方そのままに、米国政府も中国の軍事対応の可能性を考慮していることを証明するものと受け止められる。

 米国は、中国の軍事的介入の可能性も念頭に置いたうえで北朝鮮急変時の対応計画を非公開で策定していると伝えられるが、政府の正式な報告書が朝鮮半島有事の中国の軍隊移動に言及したのはこれが初めてだ。


 ワシントンの外交筋は17日、聯合ニュースの電話取材に対し「米国政府が軍事的展開や配置という表現を用いながら、中国の朝鮮半島混乱対応シナリオを予想したのは初めてだ」と伝えた。朝鮮半島の混乱とは、中国が臨まない北朝鮮の急変事態を念頭に置いたものだとした。

 国防総省は、中国は2020年まで経済発展に友好的な環境を維持するため、外部の緊張状況を管理することに焦点を当てているが、中国指導者らの統制範囲を外れ「中国を平和的路線から離脱させる出来事が起こる可能性がある」と診断している。

 これに先立ち米国の保守系シンクタンク、ヘリテージ財団は4月に公表した北朝鮮の権力移譲に関する報告書で、米国高官は、北朝鮮に急変事態が発生した場合、核兵器を統制するため北朝鮮に進駐する中国軍と米国の衝突、または中国軍と韓国軍の衝突が生じるという最悪のシナリオを想定していると主張した。自国の軍事介入に対する北朝鮮の否定的な感情を理解している中国は慎重な姿勢を取るだろうとしながらも、北朝鮮が統制不能な状況に陥ったと判断すれば、軍隊を進め、北朝鮮の崩壊を防ぎ、現状を維持する戦略を選択するだろうと強調した。

2010年8月16日月曜日

趙紫陽極秘回想録より

今年かなり話題になった本に「趙紫陽極秘回想録」がある。

大弾圧の舞台裏と銘打ってあるが、それほどの衝撃はない。趙紫陽は、以前にも回想録を出版したことがある。その本と今回の内容はオーバーラップしているところが少なくない気がした。

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私の関心事である中朝関係でいえば、胡耀邦国家主席が、北朝鮮に甘かったという部分である。

268ページに記述がある。

外交政策で胡は金日成に親切すぎ、北朝鮮の要求を気軽に受け入れすぎた。たとえば中国のジェット機を提供し、中国の空軍基地で北朝鮮のパイロットを訓練し、緊急時には中国軍を展開してもらいたいという要求である。

胡が北朝鮮から帰国したとき、鄧はすぐさまそれらの要求を退けた。

と書かれている。

今でも北朝鮮は中国に無理難題を要求するというが、これは20年前から同じだったようだ。

注目の投稿

金正恩朝鮮労働党委員長新年辞

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/14970  転載です <参考資料>  朝鮮労働党機関紙『労働新聞』は、毎年1月3日頃に「新年の辞」の基本体系を理解するための要旨を掲載している。参考までに、その全文翻訳を添付する。 「今年の新年の辞の基本内容...

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