東亜日報の名物記者の個人ブログから。
中朝国境の開発は、民心をつかむためのポーズと書いている。脱北者だけに実感がこもっている。
byチュ・ソンハ記者2011/05/23 7:07 am
‘強盛大国’という単語は1998年8月22日北朝鮮‘労働新聞’政論を通して,初めて登場した。
この時北朝鮮は強盛大国達成時期を金正日が還暦をむかえる2002年に据えた。
だが2002年になると‘今年は強盛大国建設のため新しい変革の年’として言葉を変えた。
強盛大国建設が失敗したことを自認したのだ。
その年北朝鮮は市場経済的要素を大幅導入した7月1日経済管理改善措置を断行し、9月にはヤンビンを長官でする新義州特別行政区を発表した。
北朝鮮住民たちをびっくりさせるのに十分な発表らだった。
住民たちは“私たちもいよいよ改革と開放をすることなのか”という膨らんだ夢を見た。
少なくとも2005年パク・ポンジュ総理をはじめとする改革派らが大々的に粛清される時までは。
北朝鮮が強盛大国達成時期に定めた2012年がまた間近に迫った。
相変らず経済事情は10年前とほとんど差がない。
このままならば来年北朝鮮の民心は今はこれ以上期待することがない政権を完全に離れることであり,これは深刻な体制威嚇になるものと見られる
金正日やはりこれをよく知っている。
だが彼には直ちに住民たちに与える米も,お金もない。
それで金正日は今最後のカードを取り出そうとしている。
2002年にしたように、住民たちに‘期待と希望を植え付けること’をしようとするのだ。
来年に羅津・先鋒と新義州の前にある黄金坪で経済特区を大々的に開発する姿だけ見せても住民たちは“今度は本当に開放しているようだ。
どうせ耐えたこともう少し耐えてみよう”と考えるだろう。
‘もの乞い外交’という非難を甘受しながら,金正日がまた再び中国を訪れたのもこういう脈絡で分析される。
金正日には民生よりは体制維持が優先だ。
じっとしていても体制維持に問題がないならば不便なからだを率いて1年の間3回も中国を訪れなかったようだ。
しかし2012年住民たちに何もくれない時、近づく怒りの民心は金正日も計るのが難しいだろう。
経済特区は民生のためでない体制維持のための仕方ないカードでもある。
もし住民たちに期待と希望だけ植え付けるのに成功したら彼が死ぬ時まで残った何年間権力は安定的に維持できるだろう。
金正恩に権力を強固に,相続する時間も儲けられる。
ここに経済特区が金正日の計画だけではなれば経済破綻でますます前途がますますはるかに遠い金正恩号の方向するのにも解き放して突破口を開いてくれることもできる。
もちろん金正日の対国民ショーには危険も従う。
北朝鮮は数十年の間封鎖と欠乏に慣れた体制であり,門を閉めて粘るには全世界が驚くほどの耐性を持っている。
だがドアをあけることは金正日には習熟したゲームでなく新しい冒険だ。
もしかしたら北朝鮮という体制は足りないことには数十年耐えられても,あふれることにはただ数年も耐えられないこともできる。
こういう危険にもかかわらずドアをあける,いや,ドアをあけるふりでもするほかはないのが北朝鮮の現状況だ。
そうでなければより一層危険なためだ。
来年北朝鮮はいざという時には直ちにかんぬきを閉じる万全の準備をして門を少しずつ開くと予想される。
しかしひとまず一度ドアが開けばその次に起きることはその誰も分からない。
行われたドアの隙間から、微風が吹いてくるのか,狂風か・・・
http://blog.donga.com/nambukstory/archives/5385
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